160話 コウの過去 23


 功は道場へ入門してから、数日程度で気の感覚を掴んでいた。

 初めて瞑想をしたあの日。自分がこの世界へ来たときの不思議な感覚を思い出していたら、不思議と気の存在を感じ取ることができていたのだ。


「た、たまたまですよ。たまたま気の感覚を掴めただけで……」

「それだけでも十分すごいんじゃぞ。それに、気の流し方も上手い。初級の“硬気”と“化勁”はすでに使えるんじゃないかのう?」

「えー! 凄い、功君!」


 2人に直球に褒められ、照れを隠しきれない功。

 しかし、突然叩かれる門の音と瀬音の緊迫した声により、その場の雰囲気は一変した。


「先生! 先生!」


 ただ事ではないと感じた3人は、急いで門へと駆け寄る。門を開けると、その先には息を切らした瀬音の姿があった。


「どうしたんじゃ!?」

「け、怪我した……子が、近くにいるんです! 助けてください!」


 それを聞いた総一郎は、屋敷からはいくつかの応急手当て用の備品を持って来た。


「行ってくるからの、少しまっていてくれ。では、瀬音ちゃん。案内を」

「はい! こっちです!」

「あ……い、いってらっしゃい!」


 あっという間に門の向こうへ消えて行った2人。あまりに突然のことに、功と美音はしばらく立ちすくしていた。


「あ、あんなに焦ってる瀬音さん、初めて見た」

「う、うん……そうだね」


 普段はあまりはしゃぐこともなく、いつも冷静だった瀬音。そんな彼女の焦った様子に、2人は若干動揺していた。


 屋敷に残された2人。この2人だけが屋敷に残ることは、あまり無いこと。

 そんな中美音がくすりと笑い、話し始めた。


「ねぇ、功君。あたしが功君のことを言霊で知った時も、あんな感じだったんだよ?」

「そ、そうなのかい?」

「うん。おじいちゃんは最初『妖怪は信用出来ない』って言ってたけど、泣きながら頼んだんだ」

「そ……そうだったんだ……」


 それに対して、どう反応すべきか困る功。


「ねぇ……おじいちゃんから教わったんだけど、“思い立ったが吉日”って言う言葉があるんだって」

「……そうなんだ。俺も聞いたことはあるよ」

「うん……それでね? 今言うのは、ちょっと違うのかもしれないけど……」


 すると、振り返った美音が功へ駆け寄り、両手を握った。功の両眼には、彼女の明るい笑顔が映る。


「あたし、功君に会えてよかった」

「……!」


 まっすぐに向けられる笑顔。両手に伝わる温もり。

 不意に伝えられたその一言で、不覚にも瞳の奥と胸が熱くなる。


「あたしね……ずっと思ってたの……」

「……?」

「功君って……お兄ちゃんみたいだなって」

「……!」


 少し照れ臭そうな表情で美音は言う。


「あたしは怪憑きなのに、いっぱい遊んでくれて……いつも一緒に居てくれて……お兄ちゃんにまた会えたみたいで……凄く嬉しかった」

「……そっか」

「うん。だから、ちゃんとお礼を言わなきゃなって思ってたんだ。あたしと一緒に居てくれて、本当にありがとう」


 他意のない率直なお礼。それは、功の記憶に色濃く残った。


「……」

「……功君?」

「それなら……俺も感謝してるよ」

「……え?」


 キョトンとした表情を見せる美音。功は静かに話し続けた。


「俺を助けるために必死になってくれて。ここに来たばかりの俺の話し相手になってくれて。それこそ、俺も美音ちゃんが妹みたいだなって思ったりもした」

「……!」


 それを聞き、みるみるうちに嬉しそうに照れ始める。そして、功は彼女の言ったことと同じ言葉で伝えた。


「俺、美音ちゃんに会えてよかったよ」

「……うん!」


 美音は涙を浮かべ、笑顔でうなづいた。

 その後、無事に帰ってきた総一郎と瀬音と合流した2人。

 それから夕暮れまでの時間、3人の遊ぶ声が屋敷に響いていたのは言うまでもない。


 ちなみに、怪我をした子供は無事だそうだ。



 夜。

 総一郎の小さな領地の横に位置する、広い森。そこに居るのは特に珍しくも無い様々な動植物の姿。


 しかし、そんな森に1つの変化があった。


 先頭を進む5体の巨大な四足歩行の生物が草木をなぎ倒し、その後ろを大量……いや、大勢の黒い影が、隊列をなし進行している。


 その中には、とても人とは思えぬ異形の影もあった。


「頭領。奴の領地に到着するのは、明日の朝ってえところです」


 隊列の先頭。そこから会話する声が聞こえてくる。


「同胞達の準備も順調。士気も高々。いつでも攻め込めますぜ」


 声の主は中柄な体躯の影。すぐ横には、ゴツゴツの筋肉を思わせる高身長の影。


「……奴ば殺さんとして数十年……ついにこん日が来たか……」

「ええ……長かったですぜ……」


 木々をなぎ倒す巨大な四足歩行の生物の背に、高身長の影がひょいっと飛び乗った。

 月明かりに照らされ、その姿が明らかとなる。


 太く長い手足。腰に携えられた大きな刀。黒を基調とした和服。そして、額に生えた2本の黄色のツノ。


「テメェら聞けぇ!! 怨京鬼おんぎょうきの頭領のお言葉だぁ!!」


 小さな体躯の影が叫ぶと隊列の進行はピタリと止まり、その視線は月明かりに照らされた怨京鬼に集められた。


「……聞け。奴ん領地付近には、明日ん早朝に到着する。したらば、近うば通る人間ば襲い、領地ば孤立さするばい」


 隊列をなす影達はうなづき、ただ聞いている。


「だが……攻め込むんな天道んば沈んでからじゃ」


 その言葉に隊列がざわつき始めた。


「なぜ夜にば攻め込むんか言えば……」


 しかし、そのざわつきは怨京鬼の次の言葉でかき消された。


「我らばねぶりねまっとる(舐め腐っている)人間どもに奇襲ば仕掛くるからじゃ! したらば喰うんも良し! 穢すんも良し! ただ殺すんも良し!」


 そのばの空気が狂気が満ちたものへ変わる。


「其ん内に秘むる怨恨! 今こそ彼奴きゃつらへ思い知らしむるぞ!!」


 激しい閧ときが響き渡る。地は震え、寝静まっていた森の動物達が一斉に逃げ出すほどだ。


「待っていろばい……『羅刹』……!」


 怨京鬼は空を見上げ、怨めしそうな表情を向けた。


「ぬしん首ばとるんな、ワシやけんな……」


 再び始まる隊列の進行。

 その足取りは力強く、そして、着実に領地へと近づいて行った。

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