135話 出発


「カイト、着いたわ」

「……うん」


 浮かない顔で馬車から降りた。続いてお母さん、お父さん、お姉ちゃんが降りる。


 単調に反復する波の音。カモメに似た鳥の鳴き声。

 ここは領地に面している海辺。と言っても、港からはかなり離れている。


「あ、やっと来た」

「……遅くなりました」

「ちょっとどうしたのよ。酷い顔よ」

「いえ……はい……」


 そこにあったのは、コウさん、ミフネさん、セオトさん、王様の姿。

 荷物はコウさんの能力で仕舞っているのか、なにも持っていない。


 これからポチに乗って倭国へ向かう。


 こんなところに集まったのは、当然人目を避けるためだ。ただ、王様が護衛も無しにこんなところにいるのに驚いた。


「では、私の背に乗る前に諸注意を」


 ポチが全員の前に立って、説明を始めた。


「まず、飛び立つ際は羽ばたく関係で、非常に揺れます。風よけに結界魔法で部屋を作るので落下の心配はありませんが、注意して……」


 そんなポチの説明を、俺はぼんやりしながら聞いていた。


 俺はあることに気がついてしまったんだ。俺の精神が持つかとうか分からない……そんな重大なことに。



 1ヶ月も倭国に行くってことは、“1ヶ月も家族に会えない”!!



 その事実に昨日気がついてからというもの、俺はずっとこんな調子だ。

 もう世界の終わりが、すぐそこまで来ているかのような心境。


 冒険の時は、長くても1〜2日だと事前に分かっていた(結果的には3日だったけど)。だから、耐えられた。

 しかし、それに比べて今回は1ヶ月。長い。とにかく長い。……うん。ながい。


 そんな訳で、今の俺はものすごく無気力になっている。ポチの話なんて耳にすら届かない。


「ね、ねえカイト? 大丈夫?」

「……はっ」


 お母さんの声で我に帰った。

 見ると、その場の全員が俺に目を向けている。


「どうかしたのかい? カイト君」

「ちょっと、さっきからどうしたのよ」

「あ……いや……」


 みんな俺の心配をしてくれている。だが、どう反応すべきか分からない。

 すると、ポチが言った。


「主人様は1ヶ月もの間、ご家族の皆様と離れ離れになるのを寂しがっておられるのです」


 それを聞いた途端、周りの全員は「なるほどね」と言うような表情を見せる。

 それに対して、若干顔を赤くする。


「ポ……ポチ……」

「違いますか?」

「い、いや……そうだけど……わっ」


 突然、背後から温かい感触に身を包まれた。


「大丈夫よ。カイト」

「お……お母さん……」


 お母さんが俺のことを抱きしめたのだ。それに続くように、お父さんとお姉ちゃんがそれぞれ俺の片手を握った。


「カイトは強い子だ。1ヶ月くらい、どうってことないさ」

「お父さん……」

「私も寂しいけど……我慢できるよ。だから、カイも我慢できるよ。だって自慢の弟だもん」

「お姉ちゃん……」


 体に周されたお母さんの腕に、優しく力が込められた。


「グレイスが言った通り、あなたは強い子よ。リティアちゃんが言った通り、あなたは自慢の息子よ。だから、そんな顔しないで?」

「お母さん……」


 すると、彼女は肩に手を置いて、俺を反転させた。彼女の姿が目の前に映る。


「それよりも私ね、倭国がどんな国なのかすごく気になってるの。きっと、とてもいい国だわ。あなたには、そんな倭国のいい所をいっぱい体験して来て欲しいの」

「……!」

「そしたら帰って来た時に、いっぱいお話ししてね。楽しみにしているわ」


 笑顔で楽しそうに話すお母さん。

 その笑顔を見ていると、落ちていた気分もだんだんと上がり始める。


「……うん。いっぱいお土産も持ってくる」

「ありがとう。お友達もいっぱい作って来ちゃいなさい」

「……うん」


 笑顔で素直に答えた。

 お母さんの言った通り、倭国ではいろんな体験ができるだろう。

 なんと言ったって、異世界にある日本にそっくりな不思議な国だ。きっと、楽しいことがたくさんある。


 そう思うと、寂しいという感情より“楽しみ”と言う感情の方が大きくなって来た。


「それに『行ってきます』って言う時は、笑顔じゃなきゃダメよ?」

「うん……行ってきます」

「ええ、でもまだ早いわカイト」

「……あ」


 まだポチを、ワイバーンの姿にしてなかった。気恥ずかしさから、慌ててポチの方へ駆け寄る。


「じ、じゃあポチ、ワイバーンの姿にするよ」

「はい。よろしくお願いします」


 イメージを浮かべ、ポチの姿をワイバーンへ変化させる。


 ……あれ? でもポチって自分で……まぁいいか。


 程なくして、彼は完全にワイバーンへと変化した。


「ポチ、大丈夫そう?」

「ゴァウッ」


 多分、大丈夫って言った。


「それじゃあ皆さん。ポチに乗りましょう」


 呆気にとられているコウさん達へ声をかける。彼らは若干の渋々感を漂わせながらこちらへ歩いてきた。


「まさか、生きてるうちにワイバーンの背に乗ることになるなんてね……」

「まったくだわ。それもおまけに“ブラック・”ワイバーンよ」

「ち、ちょっと不安です……」


 3人はそう言いつつも、ポチへ飛び乗った。


「それじゃあカイト君、そしてポチ。コウ達を頼んだよ」

「はい。任せてください」

「ゴァッ」


 王様はそう言うと、下がっていった。その方向には、家族の姿がある。


「カイト! 気をつけてね!」

「帰ってくるのを楽しみにしているぞ!」

「カイ! いってらっしゃい!」


 笑顔で手を振ってくれる3人。

 さっき言われた通り、俺も笑顔で答えた。


「うん! 行ってきます!」


 手を振り、ポチの背へ飛び乗る。

 それを確認したポチは、ゆっくりと立ち上がった。

 大きな翼が上下し、徐々に早くなっていく。


 そして、ポチの巨大な体が地面から離れた。


「わわっ」


 それと同時に大きく揺れる。油断していた俺は、バランスを崩してしまった。景色が上下逆に映る。

 すると、コウさんとミフネさんが俺の足を片方ずつ掴み、引き止めてくれた。


「大丈夫かい?」

「なにしてんのよ。ポチの説明聞いてなかったの? 最初は揺れるって言ってたじゃない」

「ご、ごめんなさい……ありがとうございます」


 苦笑いしながらお礼を言う。

 その時、少し心配そうにしながらも、笑うみんな表情が逆さに見えた。


「……行ってきます!」


 そんな彼女達へ、もう1度挨拶をした。


 笑顔で手を振る家族。そんな姿があっという間に小さくなっていく。

 体を起こすと、目の前の光景に心奪われた。


 抜けるような青さに澄み切る空。

 ペンキで塗り付けたように真っ白な雲。

 太陽の光を反射し、キラキラと光る海。


 この光景の向こうにあるのは倭国。


 この時、もはや寂しさなど微塵もなかった。

 これからのことへ好奇心、そして期待感をつのらせ、目の前に広がる絶景を眺めていた。

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