129話 逃げる 5



 ポチが力無くしたように仰向けに倒れた。

 その姿は、異様な物だった。両頬には“ヒビ”が入り、体のあちこちは瞬く間にワイバーンのものへと変わっていく。


 あっという間に、全身の肌はマダラ状に鱗に覆われ、残った片腕と右足はワイバーンのものへと変わり、頭にはツノ。


 人の形態のときよりも、ワイバーンに近い体だ。


「え……!? な、なんで……!?」


 その理解し難い状況に、カイトは困惑した。

 遅れてコウとリティアも駆けつける。


「……なんだい……これ……」

「ポ……ポチさん……?」


 2人も驚きの声を上げる。すると、それに応えるかのように、ポチが弱々しく話し始めた。


「少々……見誤ったようです……」

「ど……どう言う事……?」

「主人あるじ様の……召喚獣となった私の、全ての行動の元となるエネルギーは……今や、主人あるじ様から供給される魔力のみ……」

「え……?」

「しかし……魔力の供給が絶たれた今……私に残る魔力は、この身が今を生きのびるための、ほんの僅かな魔力のみ……」


 ポチは目を閉じ、安らかな表情で続けた。


「先ほどの『ブレス』には……その僅かな魔力を使いました……」


 カイトの表情がみるみる崩れていった。

 ポチの言っていることを理解し、現状で起きていることを理解し、彼の未来を理解した。


 ポチは、体に残った僅かな魔力で命を繋いでいた。そんな状態にも関わらず、自分達を逃すためにその身を犠牲にしたのだ。


「ふふっ……我ながら情けない……最低威力の『ブレス』でさえ、魔力のほとんどを持っていかれてしまいました……」

「な……なんで……」


 弱々しく笑うポチへ、カイトが涙を流しながら尋ねた。


「なんで……さっきは、安心してって……何事も無く終わるって……」

「……ふふっ」


 しかし、それに対してポチは微笑む。 


「だって……そうでも言わなければ、主人あるじ様は止めていたでしょう?」

「……っ」


 もし事実を言われていたなら、自分はそうしていた。それを見通され、言葉に詰まる。


「他にも……このような事をした理由はあります」


 空を見つめながら、ポチは言う。


「“信用”とは……人の世の中で生きるには、無ければならないものです……しかし、それを築くことはなによりも難しい……」


 空を見つめていたポチの目が、コウへ向いた。


「私がコウ様に信用される……その手段は限られています。しかし、コウ様に非はありません……全ては……私が原因。自業自得……」

「……」

「……これで、もしコウ様の“一時いっときの信用”さえいただければ……それを土台に、“本物の信用”を築くことが出来るかもしれない……それは、私にとって、命をかける意味がありました……」


 すると、ポチはカイトへ目を向け、再び微笑む。


「しかし……少々無理が過ぎたようです」


 傷だらけで血を流し、しかし微笑みを絶やさぬポチ。そんなポチへ、コウは訊いた。


「どうして……俺の信用を得たいんだい? そこまでして、俺の信用を得る理由はあるのかい?」

「無論……コウ様は、人の中でも多大な信用を得ているお方……そんなお方より信用を得られれば、私は人の世でも生きやすくなると、結論づけました……しかし」


 ポチがゆっくりと爪の生えた手を伸ばす。その先には、カイトの小さな手があった。

 伸ばされた手は、カイトの手の上へかぶせられる。



「そのような事を考えたのも……『親(あるじ様)』の隣に、いつまでも居たかったからなのです……」



 それを最後に、ポチの体から事切れたかのように力が抜けた。

 彼の手と触れていたカイトは、それを感じ取った。かぶせられた手を握り、彼の肩を揺する。


「ポ……ポチ……? ねぇ……起きてよ……?」


 しかし、体を揺すろうと彼の目が開く事はない。ただ、光沢のある黒い鱗がキラキラと反射するのみ。


「ううぁ……や……やだぁ……やだあぁ……」


 爪の生えた手を握る手に力が入る。目からは大量の涙が溢れ出る。

 胸にぽっかりと大穴が開いたような、強く辛い喪失感。受け入れたくない目の前で起きた出来事。


「やだああぁ……起きてよぉ……死んじゃやだあああ……」


 いくら体を揺すろうとも、いくら涙を流そうとも、いくら拒もうとも、変わらず彼の目が開く事はない。

 それが、理解することが出来ても、受け入れたくない……そんな現実を物語っている。


「ポチさん……ポチさん……うわあああん……」


 名を呼び、カイトと同量の涙を流すリティア。カイトが揺するポチの体へ抱きついた。


「……ぇ……?」


 すると、その涙を流し、くしゃくしゃになっているリティアの表情に変化があった。

 確かめるように、ポチの胸へ耳を押し当てる。

 そして、その表情が確信のものへ変わった。



「ねぇ! ポチさんの心臓! 動いてる!」



 その言葉に、カイトは一瞬固まった。しかし、すぐに我に帰り同じように胸へ耳を押し当てる。


 そこからは、微かにではあるものの、確かに“鼓動”の音がする。


「!! ポチ生きてる!」


 無意識にそう叫んだ。絶望の淵に、一筋の希望が現れる。

 すると、目の前にあったポチの体が、突然頭上へ移動した。見ると、コウが担ぎ上げている。


「生きているのなら、一刻を争うよ。君達は走れるかな?」


 2人は顔を見合わせるが、すぐに力強くうなづいた。


「よし、それじゃあ行くよ。幸い、ここからグローラット領は近いんだ」


 そう言うなり、ポチを抱えたまま走り出すコウ。2人はその後について走る。


 ポチを抱えて走るコウの後ろ姿。

 その姿を見て、カイトは疑問に思い、尋ねた。


「コウさん……なんで、ポチを助けようとしてくれるんですか?」


 彼はついさっきまで、ポチへ刀を向けていたのだ。

 しかし、今はそのポチを助けようと動いている。それが不思議だった。


「うーん……まぁ、あの死体を処理することの条件が、“一時いっときの信用”だったからね。信用するなら、助けないと」


 コウはそのまま話し続けた。


「それに、彼ポチはカイト君だけじゃなく、リティアちゃんの身も案じていた。つまり、カイト君(主人)以外の人にも味方をすることが分かったし……」


 コウは顔を向けぬまま話し続ける。


「あと、俺は元々彼ポチのことを、殺すつもりは無かったんだよ?」

「……そ、そうなんですか?」

「うん。まぁ……彼ポチの言っていた事なんだけど……もし本当に殺してしまえば、君の俺への“信用”が無くなっていた」



『“信用”とは……人の世の中で生きるには、無ければならないものです……しかし、それを築くことはなによりも難しい……』



「俺は、君の“信用”がなによりも大事。そう結論付けただけなんだ」

「……」

「まぁ……ちょっとやりすぎて、掌返しっぷりが凄かったけどね」


 コウがそう言うと同時に、開けた場所に出た。今まで周囲を囲っていた木は無くなり、草原が広がっている。


「行こう。あの道を辿れば、グローラット領だ」


 コウが向かう先には、1本の道が見えた。馬車が通ったような跡もある。


 塗り潰されたように真っ黒だった空は、オレンジ色に染められている。

 地平線の向こう側、連なる山々の間から朝を告げる太陽が顔を出した。


 暖かな光、心地よいそよ風が身を包む。 

 帰るため、そしてポチを救うため、3人はその中を走っていった。

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