68話 悪い夢


 目を覚ますと、灰色がどこまでも広がっている空間にいた。

 顔に黒いもやのかかった1人の女性と1人の女の子が、俺の手を握っている。


「ごめんね……ーー、こんな母親でごめんね……」

「……ーー、バイバイ……また会えるって信じてる……」


 そう言い残し、離れて行く。

 俺は2人を呼び止めようとしたが、喉から声は出ず、ただそれを見つめることしか出来ない。


 聞こえた音は彼女達の声だけだった。それ以外は何も音がしない。

 すると、彼女達の顔にかかっていたものと同じ黒いもやがどこからか現れ、2人を包み込んで行く。


 必死になってその2人の名を叫ぶ。しかし、変わらず声は全く出ない。


 喉に激痛が走り始め、激しくむせた。喉を両手で抑え、激痛に耐える。

 目を開けると、いつのまにか辺りは闇に包まれていた。

 見渡しても彼女達の姿どころか、光1つ見えない。

 俺は闇の中でひたすら叫び続けた。



「……イト!」

「カイト! お願い起きて!」


 俺の名を呼ぶ声が聞こえ、ハッと目を覚ました。

 目に入ってきたのは俺の手を握るお父さんと、俺の腰と頭に手を回すように抱えているお母さん。


「はっ……はっ……?」


 見渡すとそこは俺の部屋だった。

 俺は動悸が激しく、全身は汗でぐっしょりと濡れていた。


 両親の顔を見ると、とても心配そうな表情をしていた。お母さんに至っては泣いてしまっている。


 何が起きたか分からない俺には、なぜこんな事になっているのか見当もつかなかった。

 とても不安な顔をしている2人が気になり、尋ねた。


「お母さん……お父さん……どうしたの……?」


 その声は自分でも驚くほど弱々しかったが、2人の表情が緩み安堵の表情へ変わった。


「ああ……カイト……良かった……」


 俺を支える手から力が抜け、抱きしめられた。

 まだ頭がぼーっとして、何が起きているのか分からない。


「怖い夢を見ていたのね……もう大丈夫よ」


 頭を撫で、俺にそう囁いた彼女の言葉で意識がはっきりした。


「夢……か……」



「ごめんなさい……」

「気にしないで、あなたが無事で良かったわ」

「カイトはまだ子供なんだから、仕方ない」


 呼吸も落ち着き会話が出来るようになった。

 何が起きたか尋ねると、突然俺の叫び声が聞こえ、駆けつけたところ夢にうなされていなそうだ。


「大丈夫? どこか具合悪かったりしない?」

「うん。もう大丈夫」


 動悸はだいぶ落ち着いたし、汗も拭いてもらってからは引いたようだ。


「良かった……」

「……よし、それじゃあ、カイト好きな時でいいから、どんな夢を見たのか聞かせてくれ」

「……え?」


 あれ? こういう時って訊かないのが普通じゃないのか?


「……ああ、カイトは知らないのか。子供が悪い夢を見た時は、それを親に話すんだ。そうすれば、2度と同じ夢は見ないと言われているんだよ」


 なるほど、そんな話があるのか。知らなかったから少し驚いた。


「でも、無理に言う必要は無いからね」

「ううん……大丈夫」


 2人は俺の顔を見てちゃんと聞こうとしてくれている。なら、俺もちゃんと話そう。


 俺が見た夢は……。


「前の母親と……お姉ちゃんの夢を見たの」


 夢に出てきたあの2人は、1度目の人生の母親と姉……。


「……」


 俺の事を見捨て、父親のもとに残して行った2人だ。


 あの夢は、微かに残る1度目の人生の記憶に酷似していた。

 夢であの2人が呼んでいた『ーー』とは、その時の俺の名前だ。


「え……? カイトにはお姉ちゃんがいたの?」

「うん……でも、小さい頃に前の母親と何処かへ行っちゃって……顔も覚えてない」


 俺はその顔を覚えていない。もちろん名前も……。


「ねぇ……僕、叫んでたんだよね? なんて叫んでた?」


 夢では2人の名前を叫んでいた。それは覚えているのだが、なんと叫んでいたのかが思い出せない。

 思い出しても意味は無いけどね……。


 しかし、お母さんとお父さんは顔を見合わせ、困ったような表情で答えた。


「……ごめんね。初めて聞く言葉で、なんて言ってるのかは分からなかったの」

「そうだな。初めて聞く発音だった」


 やっぱりそうだよね……。


 俺は加護のおかげでこの世界の言葉が分かる。

 だが、この世界の言葉は日本語では無い。夢で叫んだのは日本語だから、聞き取れなくても無理はないだろう。


「そっか……」


 肩を落としている俺を気遣ってか、お母さんが優しく頭を撫でてくれた。


「ねぇ……お姉ちゃんに会えなくて寂しい?」


 彼女の顔を見ると、どうやら本気で心配しているようだ。お父さんも同じような顔をしている。


 確かに、あの2人がいなくなった時は寂しかったし、悲しかった。でも……。


「今は……お母さんとお父さんがいるから寂しくない」


 笑顔でそう答えた。

 今は家族がいる。ちっとも寂しくなんて無い。


「そっか……ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」

「でも、寂しくなったらいつでも私達のところへ来ていいんだからな」

「うん」

「よし、それじゃあ朝食にしましょうか」


 俺達は朝食を食べるために部屋から移動した。その道中で考えた。


 なぜ今更あのような夢を見たんだろ?

 特にあの人生に未練があるわけでは無い。むしろ思い出したくも無い記憶だ。


 それに、あの夢の中では必死になって2人を呼び止めていた。

 しかし、微かに残る記憶からすれば、1度目の人生では、あのように呼び止めてなどいない。


 当時は幼かったものの、自分の置かれた状況を理解し、絶望し、『もうどうでもいい』と感じた。

 だから、何も言わずにただ遠ざかるその姿を見つめていたはずだ。


 もしかすると、あれは俺の本心で、心のどこかでは一緒に連れて行って欲しかったのかもしれない。


「……もういいや」


 考えるだけ無駄だろう。

 なにせそれは過去の話。2つも前の人生なのだから。


 この人生にだけに目を向ければいい。

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