第54話 こんなの私じゃない【臨視点】

 私、梨本臨は柄にもなく全力で走っていた。


 目的地は帆乃の住むマンション。


 くそぉ。


 こんなときのために脚力増強靴を発明しとくんだった。


「どいつも、こいつも、ふざけんな」


 なにかがおかしいとは思っていた。


 帆乃があれだけのことをしてるのに、一向に帆乃を襲おうとしないバカ田下。


 あいつが精子を作れない身体だったなんて知らなかった。


 帆乃だって、親友の私に、帆乃のためなら無条件でなんだってやってあげる私に、一番大事なことを教えてくれなかった。


 まるで私だけ、蚊帳の外で暴れていた無知な愚か者みたいじゃないか!


 帆乃が住むマンションのメインエントランスで一度立ち止まる。この一週間、電話もメールも返事はなし。草飼に連絡してみても、


『お嬢様は風邪で寝込んでおります』


 の一点張りだった。


「頼りなさいよもっと!」


 ちっ、という舌打ちの音がメインエントランスの中でむなしく反響する。


「ま、そっちがその気なら」


 帆乃を家から引きずり出す方法なんかすぐに考えつくんだから。


 私は一度帆乃の部屋を呼び出す。……予想通り反応なし。だけど私がマンションの前まで来ているってことは帆乃も理解したはずだ。


「立てこもる覚悟もないくせに」


 私は最終手段としてとっておいた方法を実行に移す。


 帆乃にスマホでとあるメッセージを送信。…………ほらね。もこもこフワフワのパジャマを着た、髪の毛も顔もぐちゃぐちゃな帆乃が走ってきた。こうすれば帆乃は絶対に部屋を飛び出してくると思っていた。


 だって私たちは親友だから。


「臨っっ!」


 エントランスの自動ドアが開くのを待てずに一度ぶつかりそうになる帆乃。


 私がちゃんと立っているのを確認できたなら自動ドアが開き切るのを待てばいいのに。


 自動ドアの隙間に身体をねじ込むようにして外へ出て、私にむぎゅっと抱き着いてきた。


「よがっだぁ」

「なにをそんなに焦ってんのよ。バカなの?」

「だって、いきなりこんなの送られて」

「こんなのでまかせに決まってるでしょ? 本気にする?」

「だって、だって」


 私は帆乃にこんなメッセージを送っていた。


【帆乃が出てこなかったら、いますぐここで死んでやる】


 まったく、こんなのを本気で心配して、なりふり構わず飛び出してくるのなんて帆乃くらいのものだ。親友だから、私にはそれが手に取るようにわかる。私たちは親友で、なんでも話せる関係と思っていたのに、帆乃は一番大事なことを話してくれなかった。


 じり、と心の中でなにかが燃える。


「ねぇ、帆乃。どうして言ってくれなかったの?」


 帆乃の涙が一瞬で止まった。そんなにキツい言い方になってしまっただろうか。胸のあたりがどんどん熱くなる。こんなに熱いの、いままで経験したことない。


「な、なんのこと?」


 あからさますぎるよ帆乃。動揺しすぎ。ここまでバレてるのになんでまだ隠そうとするのよ!


「許嫁のことよ! それを破談にするために、あいつの子供が欲しかったって話よ!」

「……ごめん」


 帆乃が申しわけなさそうに目を伏せる。ようやく隠しきれないと悟ったようだ。ほんといまさらになって認めて謝って……ふざけないでよ! どうして私はこんなに怒ってるのよ! 帆乃のことが愛おしいのに、こういうことを言いたいんじゃないのに。


 帆乃といると昔からいつもこうだ。


 私の中には存在しないと思っていた、私がこれまで経験してこなかった、私の知らない感情が呼び起されて、私の中で暴れだす。これまではそのすべてが暖かいものだったのに、いまは刺々しい熱を帯びていて、すごく痛い。


 これが、怒りというものなのか。


 こんなに刺々しいものを感じるなんて最低な気分だ。


 それを誰かに、帆乃にぶつけてしまうのはもっと最低な気分なのに。


「私はね、ものすごく怒ってる」

「違うの。臨には無駄な心配をかけたくなくて」

「心配? は? あんたの茶番につき合わされてこっちは散々迷惑してんのに、いまさらそんなの気にして、ほんとバカじゃないの!」

「ごめん、なさい」

「もういい」


 私は帆乃に背を向けた。どうして? 感情がコントロールできない。おかしい。私はこんなじゃない。こんな風に感情のままに動くバカじゃないのに、どうして? どうして私は帆乃に対してこんなにも怒ってるの?


「私はね、あなたに話しかけてもらえて嬉しかった。幼いころ、お父さんが発明家として有名になる前で、私はずっと貧乏で、みすぼらしい格好しかできなかった。そんな私を、無口で笑わなくてロボット人間だってからかわれてた私をみんな避ける中で、帆乃は普通に話しかけてくれた」


 友達なんていらない。


 そう思って私は心を分厚い殻で覆っていたはずだったのに。


 帆乃がその殻を簡単にぶち破ってくれた。


「私はそれが嬉しかったの。初めてだったから。それから父さんが発明家として有名になっても変わらず話しかけてくれて、高校も、こうして一人暮らしまでして、わざわざ私と同じところを選んでくれた。すごくすごく嬉しくて、一生大事にしたい関係だって思った」


 でもね。


 つい勢いで逆説の言葉を使ってしまう私。


 どうしてこんなに腹が立っているんだ!


 弱っている親友にどうしてこんなことを言ってしまうんだ!


「私はなんでも帆乃に話してきたつもりなのに、帆乃は私になんでも話してくれなかった。私はそれがすごく悲しかった」


 そうか。


 私の口からこぼれた言葉でようやく気がつく。


 私の怒りの中には、悲しみが混じっていたのか。


「ごめん……臨」

「いまさらっ! 私は親友だと思ってたのに!」


 私は、私の身勝手のせいで帆乃が悲しそうな顔をするのを見ていられなくなった。


 傷つくとわかっていたのに、言う必要なんかなかったのに、私は自分の感情を一方的にぶつけてしまった。


 ひどいことを言ってしまった。


「もういい」


 私はどうしていいかわからなくなって、帆乃の前から走り去った。私が会いに来たはずなのに、勝手に苛立って、勝手に傷つけて、勝手に去っていく。自分で自分がわからない。


 こんなことになってしまって、次にどんな顔して帆乃に会えばいいのかわからない。


「知らない。私じゃないのに」


 今日は柄にもなく走ってばっかりだ。

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