第51話 下駄箱にラブレター

 それから、吉良坂さんは一人になりたいと下着姿のままリビングを出て行った。


 自分の部屋にでも行ったのだろう。


 俺は、俺が脱がした服たちを丁寧に畳んでソファの上に置いてから家を後にした。


 夜道を歩きながら夜空に浮かぶ三日月を見上げる。


 こんな身体に産まれたから、こうなるのも仕方ないんだ。手を伸ばしても無駄だとわかっていたのに、苦しくなるだけだとわかっていたのに快楽へ手を伸ばしてしまった。吉良坂さんへの気持ちが止まらなかった。俺が作ることのできない家族というものに、彼女が憧れていると知っていたのに。


 翌日、吉良坂さんは学校を休んだ。


 次の日もその次の日も。


 とうとう一週間たった。


 俺は、あの日のピンク色をいまでも鮮明に思い出す。


 エロさではなく、儚さとともに。


 もしこのまま吉良坂さんと会うことができなかったら、俺の記憶の中の吉良坂さんは、下着姿で去っていくあの悲しい背中になってしまう。


 俺たちは相容れないのだから、それも仕方ないのかもしれない。


 一応今日も理科準備室に行って、誰もいないことを確認してから下駄箱へ向かう。階段を下りるとき、ふと足元を見てみた。特に意味はないが、きちんと足元が確認できた。


「経験することの大事さ……かぁ」


 俺は幼いころの俳優オーディションで『不合格』を突きつけられた。


 そして、今回のことで、いままで見て見ぬ振りをしてきた、向き合わないようにしてきた、男としての『不合格』を突きつけられてしまった。


 俺は産まれたときから男として『不合格』なのだ。


 諦観と落胆がないまぜになったまま下駄箱に到着する。ぱこっ、と情けない音と共に下駄箱の扉を開けると、


「あ……」


 そこには手紙が入っていた。


「懐かしい、な」


 そっと手に取る。


 そう。


 あの奇妙な関係性は全てここから始まった。


 すべては吉良坂さんが俺の子供を身籠るため。おじいさんが決める結婚を破談に持ち込むため。


 俺はお金持ちの家に生まれたわけではないのでよくわからないが、きっとお金持ち、お嬢様という立場では身内が決める縁談を、個人の一存だけで破談にすることはできないのだろう。


 だからこそ吉良坂さんは俺を求めた。


 もちろん縁談を破談にするためだけではなく、自分の憧れにも手を伸ばすために。


 吉良坂さんの結婚相手が、きちんと子供を作る能力を持った男だったらいいなと切に思う。


 やっぱり、俺たちは初めから相容れないのだ。


 ――そして、手紙の内容は始まりの日と全く同じで。


「おしゃれなことすんなよ」


 人生二度目のラブレター。


 いつか、こうなるだろうなとわかっていたけどね。


 俺はその手紙をぐしゃりと握りしめ、踵を返した。

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