第50話 結末
「あ、え……これは」
「どうして、泣いてるんですか?」
吉良坂さんに指摘された途端、視界が一気に滲んだ。
頬がむず痒い。
次から次に涙が吉良坂さんのおなかの上へ落ちていく。
「違う、これは、違って」
そう呟きながら涙を拭うが、ちっとも収まる気配がない。
こんなことが前にもあった。
でもあのときと違うのは、俺がいま泣いている理由をはっきりと自覚しているということだ。
ここまでやったのに、ここまでしたのに、ここまでしてもらったのに、俺が背負っている残酷な現実に抗えなかった。
むしろ一度乗り越えようと壁をよじ登り始めてしまったばかり、その壁の高さを改めて思い知らされてしまった。
「も、もしかして、私の裸に、幻滅した?」
そんなわけない、と伝えたいのに、涙でうまくしゃべれない。
違う、違うんだ! 俺はどうしてこんななんだよ!
苛立ちと失望が身体の中を渦巻いている。
やっぱり駄目だった。
梨本さんから男になれって言われたくせに、草飼さんに吉良坂さんの家で二人きりにしてもらったくせに、スッポンや牡蠣を食べたくせに、イランイランの香りがしているくせに、吉良坂さんがここまで許してくれたのに、受け入れてくれたのに!
俺の流した涙が、彼女の綺麗で艶やかな肌の上を滑り落ちていく。
「げ、幻滅したなら、ごめんなさい。その分いろいろ頑張るから、なんでもしていいし、するから。私はあなたとエッチがしたいの。あなたの精子が、子供がほしいの」
そんなこと、涙目で俺に言わないでくれよ。
「ねぇ、私はどうしたらいい? あなたの言うことなんでも聞く。どんなことだってしてあげる。だから一緒に気持ちよくなろうよ。エッチって、すごく気持ちいんだって。幸せなんだって」
「だめ、なんだ」
ようやくその言葉を絞り出せた。
「だめ、って、私じゃ、私とじゃどうしてもエッチできないってこと?」
「そうじゃない! そうじゃないんだ!」
「じゃあなんで!」
「しないんじゃなくて、俺はできないんだ」
ああ、言ってしまった。
「そりゃあ俺だってしたいさ。普通の男子高校生だ。男だ。魅力的な女の子が下着姿でいる。しかも俺が服を脱がした。これから先のことだって受け入れてくれている。なんでもしてくれる。そんな状況で、やっぱり無理だなんて言いたくない!」
「だったらどうして!」
「だからいくら俺がしたいと思ったって、無理なんだよ!」
いますぐ下半身を取っかえたい。どんなに早漏なやつでもいい、どんなに粗末なやつでもいいから、通常の機能を備えたものに取り替えたい。
「だって俺は勃たないし、そもそも精子も作り出せない。そういう身体なんだ」
俺は俺の身体の真実を吉良坂さんに告げた。
「え……なにそれ」
吉良坂さんの顔が失望に歪む。
「じゃあ君の子供を、私は、どうやっても……できないの?」
悔しいけど、俺は深くうなずいた。
「どうして! ねぇどうして!」
吉良坂さんが声を荒らげる。泣き始める。顔を悲しみが支配していく。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてよ!」
「俺に言われたってどうしようもないんだよ!」
「私は君の子供が欲しいんだよ!」
吉良坂さんの顔はもう涙と絶望でぐちゃぐちゃだ。
「だってそうしないと、私は……おじい様が決めた相手と結婚することになる。子供が出来れば、妊娠すれば、私はその運命に抗える! お母さんがそうやってお父さんと結ばれたように! 私もなりたいの!」
初めて聞くことばかりだった。
おじい様が相手を決める?
それに抗うため?
なんだそれは。
小説のためじゃなかったのか。
でも、そこにどんな理由があろうとも、俺が彼女の願いを叶えてあげられることは絶対にない。
「申しわけないけど、俺にはできない。他をあたってくれ」
「いやだっ!」
「俺たちは初めから相容れなかったんだ」
吉良坂さんは子供が欲しい。
子供のいる暖かな家族に憧れている。
俺はそれを叶えてあげられない。
「そんな、どうして、こんなのって……」
吉良坂さんの身体から力が抜けていくのがわかった。お腹に手を添えて、ゆっくりとさすり始める。
「あなたの子供ができないって、そんな……」
俺はなにも答えない。
だって相容れないから。
どうすることもできない状況が、現実が、将来の夢が、憧れが、俺たちの間に立ちはだかっているのだから。
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