第18話 潜航②
畳張りの椅子に腰かけながら、浩一はその意識を集中させて周囲の技力を探っていく。
このような街中では、多少の技令は常に発動しているもので、その中からお目当ての気配に当たりをつけて動いていくのだが、この気配を探るというのも実に難しい作業である。
単純に技力の有無や技令の有無を探るだけであれば、並の技令士にも可能なことである。
ただ、それがどの方向でどの程度の強さのものであるかというところまでを探るには十分な熟達を必要とする。
そして、その技令がどのようなものであるかを離れたところより探る能力というのは、浩一ほどの腕をして初めて可能となる。
例えば、百メートルほど離れたところで用いられた炎技令があるが、その微弱さと範囲から料理を炙るのに用いたのだろうと推察することができる。
また、この建物の六階でも時間技令が僅かに用いられたが、外へ向かうものではなかったため占いにでも用いられたのだろう。
そのような気配の一つ一つを入念に探っていくのだが、多量の情報を捌くにはやはり落ち着いた雰囲気と心持が必要となる。
そうした意味では、日本酒を片手に料理を合間に楽しめるこの店は何とも好都合であった。
ただ、浩一には先程の女が多少引っかかっていた。
一言二言交わしただけではあるのだが、隠しても隠し切れぬ微弱の技力が漏れ出ており、敢えてその女が声をかけてきたというのが引っかかっていた。
浩一の方は全ての技力を出しているわけではないが、周囲の気配を探るために調整して相手に気取られるほどの量を今もその時も出している。
技令士であれば気付いて触れぬようにするのが、波風を立てぬようにするためには良いはずなのだが。
(どうにも妙な……)
という疑念は浩一の中に深く渦巻いている。
その一方で、女の得意とする技令が時間であることも浩一には既に察せられていた。
恐らく、上の階で占いをしたのも先程の女であろう。
時間技令は、周囲の時空間を歪めるものからある範囲の時間の進みを調整したり未来や過去を見たりするものまで存在する幅の広い能力である。
使い手こそ多くはないものの、非常に強力な技令であり、先の祭壇技令などと合わせて五大技令と呼ばれる。
その術者が、何の意図も無しに軽率な動きをするようには思えないのであるが、今回の件との繋がりを浩一は見出せずにいる。
(あるいは、別件で何か動いているのか?)
様々な推察が脳裏を過るが、しかし、浩一の中に在る何かが今回の件との繋がりを訴えていた。
こうした勘働きを、浩一は何よりも頼りにする。
そこで浩一はここの店主に先ほどの女のことを訊ねてみた。
女は源氏名を「かおり」といい、浩一の読みの通り六階にあるスナック「セイレーン」に勤めているという。
この店主も出前を届ける手前もあり利用したことがあるそうだが、小柄な初老のマスターとの息も合い、気さくでありながらよく気が回るらしい。
また、話の合間に手相を見ることもあるそうで、百発百中とはいかぬものの直近の大きな出来事が当たって驚く客もいるという。
「よかったら、行ってあげてみてください」
「ああ。良さそうな子だったからな。今度、妻に了承を貰ってから伺うことにしよう」
マスクをずらして上がった口角を見せた浩一は、静かに酒を口にする。
雪冷えの鋭さを口腔で転がしながら和らげ、口に残る出汁巻きの旨味と絡める。
店主の笑みを見据えながら、浩一は再び意識をかおりという女へ向けていた。
あの夜、介抱した男から聞き出していた店の名は、その隣のものであり、直接の関わり合いはなさそうに見える。
また、あのような嘔吐をどのような仕掛けによって催させたのかということについては、糸口が見えていない。
単純に考えれば体内に何らかの害を成すものを付与する技令、即ち
加えて、授毒技令は酒との相性がある意味ではよく、付与したものの効果が出やすくなるため、この建物内で用いれば恐らくはあそこまで持たなかったであろう。
あの男からは強烈な酒の匂いが漂っており、猶更である。
そこが掴めぬ以上、安易に踏み込む訳にはいかなかった。
ただ、どうにも気になる以上は一度訪ねてみる必要はありそうである。
下通に面した焼肉屋の一角を借りて待機させている美夏からも、新市街側で何か可笑しな技令の発動があったとは聞いていない。
ならば、この降りてきた細い糸を手繰るより他にあるまい、と浩一も腹を据えた。
「ご店主、締めにこのご飯セットをいただこうか。盛りを少し少なめにしてな」
「はい、ありがとうございます」
七時半頃に伺ったはずが、時計はもう十時半を指している。
その時、甲高い電子音が鳴り、伸介から一つのメッセージが届いた。
『銀座橋で激しく嘔吐する男性に遭遇しました。技令を受けた形跡があります』
浩一は男の介抱を指示してから、ウーロン茶を一つ追加で頼んだ。
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