第16話 苦しみの果てに

 黒狼牙こくろうがを構えるアナリンの脇腹が血に染まっている。

 その表情は冷然としていたけれど、その顔には確かににじんでいたんだ。

 痛みをこらえる表情と、わずかな怒りの色が。


「……小癪こしゃくな。まがい物の分際で」


 僕はアナリンの憎悪の込められた言葉と刺すような視線を受けたけれど、一歩も引かずに蛇剣タリオを構えた。

 まがい物と言われようが僕はこの戦いに勝たないとならないんだ。

 もうこれ以上、1人だって犠牲を出したくない。

 そのために皆の力を借りられるなら、こんなにすばらしいことはない。

 僕自身がヘナチョコと言われようと、そんなことはどうでもいい。

 今ここで勝つことが何よりも重要なんだ。


 さっき壊れた壁の向こうから噴き出した大量の花びらと、それによって出来たアナリンの一瞬のすき

 もしかしてこの壊れた壁の向こうにある時間歪曲回廊わいきょくかいろうの力が作用してアナリンの動きが遅くなったのかな?

 幻聴かもしれないけれどカヤさんの声が聞こえたような気がした。

 彼女が力を貸してくれたのかもしれない。


 そしてさっきアナリンに腕を斬り落とされる寸前だった僕を救ったのは、この体に息づくヴィクトリアのスキル・瞬間硬化インスタント・キュアリングだった。

 僕は1人じゃない。

 皆の力と思いを背負って戦ってるんだ。


 負けられない。

 僕は自分の体の中に確かに息づく4人のことを思って拳に力を込める。

 皆、もう少しの間、僕に力を貸してね。

 絶対にここでアナリンに勝って見せるから。


「この程度の傷を負わせたくらいでそれがしに勝った気になるなよ」


 アナリンは憎々しげに僕をにらみ付けると、痛むはずの脇腹をかばうそぶりも見せずに黒狼牙こくろうがを構えた。

 だけど完全に防戦一方だった僕が浴びせた起死回生の一撃は、きっとこの戦局を変えるはずだ。

 僕は自分自身を必死にふるい立たせた。

 先にこっちから打って出るんだ。

 後手に回るな。


 僕は金と銀の蛇剣タリオを握りしめ、アリアナばりの素早さでアナリンに攻撃を仕掛ける。

 アナリンは刀をさやに収めると、居合いの構えのままバック・ステップで僕の攻撃を軽々とかわしていく。

 その目はじっと僕を見つめていた。

 冷徹な視線が肌に突き刺さるようで恐ろしい。


 アナリンは確実に僕に一太刀ひとたちを浴びせるすきうかがっている。

 だけどそれを恐れ、こちらの動きに迷いが出ればそれこそアナリンの思うツボだ。

 彼女は一瞬のすきも見逃してはくれない。

 それから僕は息をするのも忘れるくらい動き続けて攻撃の手をゆるめなかった。


 アリアナのスピードとヴィクトリアの腕力が備わっているため、剣さばき自体は普段の僕では再現できないほど速く力強い。

 だけど、僕の攻撃はアナリンをとらえることは出来ない。

 その理由はさっきアナリンが言っていた通りだ。


 僕の剣の腕前なんて並みの兵士以下だ。

 そして今、僕に力を貸してくれている仲間たちの中にも剣術のスペシャリストはいない。


「フンッ。素人しろうとくさい太刀筋たちすじはもう見飽みあきた」


 そう言うとアナリンは鋭い踏み込みで突っ込んできた。


鬼速刃きそくじん!」


 直撃型の鬼速刃きそくじんだ!

 僕は必死にこれを避けようとしたけれど、アナリンの突進速度が速過ぎて避け切れない。

 反射的に2本の蛇剣タリオでこれを受け止めると、凄まじい剣圧が僕の両腕を襲う。

 何とか足を踏ん張ってこれに耐えたけれど、見えざる刃の衝撃が僕の胸を打った。


「ぐっ!」


 ノアのうろこが僕の胸を守ってくれるものの、強い衝撃に耐え切れずに僕は後方に弾き飛ばされ……えっ?

 後方に飛ばされるかと思った僕だけど、アナリンに足の甲を踏まれて強引に踏みとどまらされた。

 後方への勢いがついていたところを踏まれたため、足首とふくらはぎに無理な衝撃がかかって激しく痛む。


「うくっ!」

「簡単には倒れさせぬ。刃の地獄をとくと味合わせてやろう」


 そう言うとアナリンは僕の足を踏んだまま、ゼロ距離で連続して僕に斬りつけてくる。

 僕は懸命に蛇剣タリオでそれを受け止めるけれど、全ての斬撃が鬼速刃きそくじんであり、防ぎ切れない衝撃が次々と僕を切り刻もうとする。


「ぐっ! くはっ! がっ!」


 斬られる痛みこそないものの、その衝撃に骨がきしみ、筋肉が悲鳴を上げる。

 痛みは確実に僕の体をむしばんで、ライフはけずり取られていく。

 ノアのうろこに守られていなかったら、僕の体は数秒でバラバラにされていただろう。


 だけどノアのうろこがあっても僕の体は確実にダメージを蓄積ちくせきし、残り3分の1以下まで減少してしまう。

 こ、このままじゃすぐにゲームオーバーに追い込まれるぞ。

 僕は痛みに耐えながら懸命に肩でアナリンを押し返した。

 だけどアナリンは抵抗せずにスッと体を引くと、すぐさま反対の足を踏みつけて僕に刀を浴びせ続ける。


「逃がしはしない」

「ううっ!」


 ダ、ダメだ。

 アナリンは刀さばきだけじゃなくて、接近戦における駆け引きにもけている。

 いくら皆の力を借りている僕でも、駆け引きは自分で考えて実行する他ない。

 そして僕のそうした技能はアナリンのそれとは比べるべくもない。

 そこを突かれると苦しい。


黒狼牙こくろうがの斬撃にここまで耐えたのも貴様の力ではない。おのれの力を見せぬ者に戦の神は微笑まぬ」


 アナリンの斬撃は激しさを増していく。

 や、やばい……このままじゃやばい!

 ライフが残り20%を切り、危険水域の赤文字に変わった。

 あせりで平常心を失いかける僕にアナリンが追い打ちをかけてくる。


「王女の居場所がここにあると分かった以上、もう貴様らを生かしておく必要はなくなった。案ずるな。貴様を始末した後、魔女ミランダもすぐに後を追わせてやる」


 アナリンのその言葉が、僕にある光景を思い出させた。

 それは北の森でアナリンに斬り裂かれてミランダが重傷を負った時のことだ。

 あの後、ミランダは消息不明となり、僕はずっと心の奥底に不安を抱えたままここまでやってきたんだ。


 ようやくこの場所でミランダに会えた時、僕が彼女の無事な姿にどれだけ安心したか、どれだけ嬉しかったか。

 自分にとってミランダがいかに大切な存在なのか、無くてはならない人なのか、僕は否応いやおうなしにそのことを自覚させられたんだ。

 この気持ちをどう言ったらいいのか分からないけれど……僕はミランダを失いたくない。

 僕自身の命が尽きたとしても、ミランダにはその後のNPC人生を元気に生きていってもらいたいんだ。


 でも、ここで僕が死ねばミランダを守ることが出来ない。

 だから死ねない。

 他の誰よりもミランダのために……死ぬわけにはいかないんだ!


「うああああっ!」


 僕は気合いの声を上げて懸命に蛇剣タリオを握り、アナリンの攻撃を押し返そうとする。


「悪あがきは見苦しいぞ!」


 そう吐き捨てて攻撃を続けようとするアナリンだけど、そこで彼女がいきなり体勢をくずしたんだ。


「なにっ?」


 見ると彼女の左右のふくらはぎに金と銀のへびみついていた。

 さ、さっきアナリンに首を斬り落とされた蛇剣タリオへびたちだ!

 このミランダ城の中庭に打ち捨てられたまま動かずにいたはずのへびたちは、切断された姿のまま首から上だけで動いてアナリンに攻撃を加えている。

 あのへびたちが生きていてくれた。

 そのことで僕の心に勇気の火がともる。


「くおおおおっ!」


 一気呵成いっきかせいに力を込めて蛇剣タリオを押し返すと、アナリンは背中から地面に倒れ込んだ。

 その弾みで金と銀のへびはアナリンの足から離れて僕の元へ戻ってくる。

 そしてへびたちが蛇剣タリオつかに戻ると、頭部のみとなっていたへびたちは元の長い胴を取り戻したんだ。


「くっ!」


 アナリンは即座に起き上がるけれど、一瞬のすきを見た僕はアイテム・ストックから取り出したガラス玉をアナリンの足元に投げつけた。

 それは起き上がったアナリンの右足に当たって割れ、そこから強烈な凍結薬があふれ出したんだ。

 一瞬でアナリンの足元は凍り付き、彼女の両足は床に貼り付けられて動けなくなる。


「この程度でそれがしを止められると思うなよ!」


 そう言うとアナリンは黒狼牙こくろうがをすばやく振り回し始める。

 鬼嵐刃きらんじんだ!

 刃のあらしが辺りにき散らされ始める。


 僕は2本の蛇剣タリオで必死にこれを受け止めて弾いた。

 直撃型ではなく速射型のため、刃のあらしは物質を突き抜けることはない。

 それでも襲い来る刃のあらしを剣で弾くのは困難だった。

 僕は金と銀の蛇剣タリオでこれを弾き続けるけれど、さばき切れずに腕や足にいくつかの光の刃を受けてしまう。

 歯を食いしばって痛みに耐えながら、僕は懸命に目の前の刃の弾き続けた。

 だけど……。


「はっ……はっ……はぁ……くっ」


 アナリンが鬼嵐刃きらんじんを放ち終えたその時には、僕はその場に片ひざをついて倒れないようにするのがやっとだった。

 息が上がって肺がつぶれそうなほどに呼吸が苦しい。

 激しい疲労で蛇剣タリオを持つ両腕はダラリとれ下がったまま、上げることが出来ない。

 僕は全身傷だらけでライフはもう残り10%近くまで低下してしまった。


「それが限界だな。終わりだ」


 冷めた声音でそう言うとアナリンは、黒狼牙こくろうがで足元の氷を斬り払って自由を得る。

 そして黒狼牙こくろうがさやに収めて腰を落とすと、居合いの構えを取った。

 その目に冷たい殺意がみなぎっている。

 鬼速刃きそくじんが……来る。


 腕を上げないと。

 蛇剣タリオを構えないと。

 負けてしまう。

 死んでしまう。

 ここで死んでしまっていいわけがない!


「死ねっ!」

「くっ!」


 両腕に必死に力を込めようとしたその時、急に金と銀の蛇剣タリオの刀身が動かしにくくなり、僕は手元に目をやった

 すると剣のつかに戻った金と銀のへびが首を伸ばして互いに頭部をからみ合わせていた。

 そのせいで金と銀の蛇剣タリオが動かしにくくなっているんだ。


 こ、こんな時にへびたちは一体何をやってるんだ?

 僕は動かしにくい蛇剣タリオを懸命に動かして腕を上げようとするけれど、2匹のへびたちが互いに引き寄せ合うせいで、左右の手に握る2本の剣の間隔かんかくがどんどんせまくなってくる。

 そこで……蛇剣タリオが急激な変化を見せた。

 2匹のへびがふいに溶け合うようにして1匹のへびとなり、それにともなって金と銀の2本の蛇剣タリオも1本に融合したんだ。


「えっ……?」


 それは……剣ではなかった。

 ちょうど剣2本分の長さを持つ武器へと姿を変えていたんだ。

 槍?

 ……いや、違う。

 

 鋭くまされた穂先はノアの蛇龍槍イルルヤンカシュにそっくりな槍なんだけど、その穂先へと続くの両脇にはヴィクトリアの持つ嵐刃戦斧ウルカン彷彿ほうふつとさせるおのの刃部分が付属していた。

 

「こ、これは……」


 槍とおのが一体化した武器を以前に見たことがある。

 確か……槍斧ハルバードとか呼ぶ武器だ。

 今、僕が手にしているのはまさしくその槍斧ハルバードだった。

 2本の蛇剣タリオがこの局面でまたしてもこの変化を見せたんだ。


 僕の手元の武器が変化したのを見たアナリンは、忌々いまいましげに表情をゆがめた。


「また小細工こざいくか。だが……今さら遅い! 鬼速刃きそくじん!」


 そう言ってアナリンは居合いの構えから足を踏み込んで、一気に僕と距離を詰めてきた。

 直撃型の鬼速刃きそくじんだ!


「くおおおおおっ!」


 僕は無我夢中で立ち上がり、槍斧ハルバードを振り上げた。

 すると疲労で重くなり動かなくなっていたはずの両腕がスムーズに上がり、アナリンの繰り出す黒狼牙こくろうがを受け止めたんだ。

 だ、だけどこれじゃダメだ!


「無駄だ! それがし鬼速刃きそくじんを受け止められる者は……なにっ?」


 アナリンの両目がわずかに大きく見開かれる。

 その目に映るのは明らかなおどろきの色だ。


 それもそのはずだった。

 物質を突き抜けて敵を攻撃するはずの防御不可能の技、直撃型の鬼速刃きそくじんを受け止めた僕は、その衝撃を受けることなくこの場にしっかりと立っている。

 その理由は分からない。

 だけど僕が新たに手にした槍斧ハルバードは、アナリンの鬼速刃きそくじんをしっかりと受け止めて、僕を守ってくれたんだ。

 苦しみの果てに手にしたその武器は、先ほどまでの2本の蛇剣タリオよりもはるかにしっくりとこの両手に馴染なじんでいた。

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