第13話 黄金の熊

 全長100メートルはあろうかというアニヒレートが、わずか水深15メートルのモンガラン運河に沈んでいった。

 川底に仕掛けた底無し沼のわながその巨体を吸い込んだんだ。

 僕を含めたこの場にいる全員が息を飲んで事態を見守る。

 アニヒレートが沈んでから1分近くが経過した。

 水面の泡も消え、波に荒れていた川面はようやく静けさを取り戻した。


 だけど誰も歓声を上げない。

 皆、半信半疑なんだ。

 ここまでアニヒレートと対峙たいじしてきて嫌というほどその強大さを見せつけられた。

 どんな周到な策を張りめぐらせようとも、あの神に等しい巨大なくまは僕らの前に何度でも立ちはだかってきた。


 実際にその死体を目にしない限り、やすやすとこちらの勝利を信じることは……ん?

 僕とノアは上空から川を見下ろしているから、いち早く異変に気付いた。

 川の中から巨大な影が浮かび上がってくる。

 や、やっぱりダメか……。


「どうやら失敗に終わったようだな。いよいよノアの出番か」


 そう言うとノアは蛇龍槍イルルヤンカシュを構えた。

 だけどそのノアがまゆを潜めて目をらす。


「む? あれは……」


 川の中から浮かび上がって来たのは確かにアニヒレートだった。

 だけどアニヒレートの体は水を吸ってふくれ上がり、力なく水面に浮いたままピクリとも動かなかった。

 これには対岸の兵士たちがたまらず歓声を上げる。


 アニヒレート……し、死んでるのか? 

 いや、違う。

 そのライフゲージはまだ60000も残っている。

 そう思ったその時、ビリビリッと布を引き裂くような音がして、うつせで浮かんでいるアニヒレートの背中が真ん中から真っ二つに大きく裂けたんだ。

 そしてその裂け目から……別の何かが姿を現した。


「そ、そんな……」


 動かなくなった黒と赤のまだらの巨体の中から、まるで生まれ出るようにして現れたそれは、黄金色にかがやく毛並みを持つ新しい姿のくまだった。

 巨大な体ではあるものの、それまでのアニヒレートの半分、およそ50メートルほどの大きさであり、さながら生まれ変わったかのような姿だった。

 以前は筋骨隆々りゅうりゅうだったその体は、どちらかと言えばスリムなフォルムに変わっている。


「あれは……また脱皮したってこと?」


 僕の言葉にノアは苦虫をつぶしたような顔で首を横に振る。


「いいや。脱皮の域をとうに超えておる。古い骨肉を捨て、別の個体への分裂をはかったとでも言うべきであろうな」


 黄金のアニヒレートは新たな体で大きく息を吸い込むと、古い自分の体を足場にして、水の中に飛び込んだ。

 ものすごい水しぶきが上がり、うねるような荒波が対岸を襲う。


「退避ぃぃぃぃ!」


 警笛けいてきが鳴り響き、対岸の兵士たちが波に飲み込まれないようあわてて後退していく。

 そんな中、サイズダウンしたアニヒレートは悠然ゆうぜんと川を泳ぎ始めた。

 体がスリムになっているため川底に脚をつけることなく、器用に泳いで対岸へ向かう。

 そしてアニヒレートは川の途中に浮かべられたブイを越えた。


 あのブイの向こう側はもう水深が浅く、川底は底なし沼ではない。

 アニヒレートは後ろ脚で意気揚々と立ち上がり、水をかき分けて残り100メートルほどの対岸に近付いた。

 対岸の兵士たちはジリジリ後退しながら再び氷の槍を放射する。

 だけどスリムになったアニヒレートは動きも良く、向かってくる氷の槍を前脚で叩き落としながらグングン進んでいく。

 

「こ、このまま行かせるわけにはいかない!」


 僕はEライフルを手にアニヒレートの正面に回り込むと、その顔目がけて銀色のへびを射出した。

 銃口から放たれたへびはアニヒレートの鼻に付着してその鼻の穴にもぐり込もうとする。

 だけどアニヒレートの反応は思ったものと違った。


「フゥッ!」


 アニヒレートは落ち着いて鼻息でへびを吹き飛ばしてしまったんだ。

 あ、あれ?

 くそっ……もう一度だ!

 そう思って放った第二射目のへびはアニヒレートに届く前にその前脚で払い落されてしまった。


「そ、そんな……」

「どうやらへびによる攻撃をし過ぎたせいで、慣れてしまったようだな」


 様子を見ていたノアがそう言った。

 そ、そんな……恐れていたことが起きてしまった。

 もう慣れてしまったのか。

 アニヒレートはここまで多くの攻撃を受けてきたけれど、攻撃を受けるほどに耐性が付いていくという厄介やっかいな体質の持ち主だった。

 

「もうへびは通用しないってことか……」


 愕然がくぜんとする僕をあざ笑うように、アニヒレートは一歩また一歩と浅瀬を進んでいく。

 残りライフは60000をようやく切ったところだけど、王都から始まってここまで多くの戦力を投入し犠牲者を出してきたにもかかわらず、アニヒレートにはまだそれだけのライフが残されているという事実に心が折れそうになる。


 兵士たちは後退しながら魔法を放ち続けるけれど、アニヒレートはいよいよ対岸にたどり着こうとしていた。

 陸に上がられてまた四本脚で駆け出されたら、もうあそこにいる兵士たちでは止められない。

 ポイント・ファイブでの最終作戦も失敗に終わるかと思われたその時、空中にキラリと何かがひらめいて飛び、それがアニヒレートの両目に命中した。


「グガアッ!」


 途端とたんにアニヒレートがのけって前脚で顔をおおう。

 その両目を襲った二つのひらめきは空中をキラキラと舞って対岸に戻っていく。

 見ると兵士たちが後退した後の対岸には1人の人物が立っていて、その2つの飛行物体を両手でつかんだ。


 それは2本の手斧ておのだった。

 そう。

 羽蛇斧ククルカンだ。

 それを握って立つのは僕の友達、長身女戦士のヴィクトリアだった。


「ようやくアタシの出番か! 待ちくたびれたぜ!」


 そう叫ぶとヴィクトリアは不敵に笑った。

 このポイント・ファイブでの最後の切り札。

 それがヴィクトリアとノアだった。

 一騎当千の強さを誇る彼女たちがアニヒレートを止められなければ、もう本当に打つ手はなくなる。

 でも……。


「現実問題としてノアとあのイノシシ女の2人だけでは厳しかろう」


 そう言いながらもノアは鋭く蛇龍槍イルルヤンカシュを振るう。

 その表情は戦意に満ちていて憂慮ゆうりょのカケラも感じさせない。

 だけど彼女が口にした言葉は重い。


 ノアとヴィクトリアがいくら強くても、たった2人でアニヒレートに勝てると誰が言えるだろうか。

 それでも彼女たちはアニヒレートに立ち向かうんだ。

 僕は不安に押しつぶされそうになりながらノアに声をかけた。


「ノア。死んじゃダメだよ」

「死ぬ気でかからねばあのくま一矢報いつしむくいることすらも出来ぬ。だが案ずるな。ノアは犬死にするつもりはない。あのイノシシ女も同じだろう。それよりそなたは作戦本部に戻れ」

「え? でも……」


 戸惑う僕にノアは言う。


「ポイント・フォーでのそなたの任務は終わった。必要があれば本部への帰還も許されよう。ならばそなたは神の元へついておるのだ。そうすれば神もジェネットを投入しやすかろう」


 ノアの言うことは理解できる。

 神様はおそらくヴィクトリアやノアに加勢させるためにジェネットを投入することになるだろう。

 ジェネットは神様の護衛から離れることを当然躊躇ちゅうちょするだろうけれど、最終的には神様の指示に従わざるを得ない。

 その時に僕が神様のそばにいればジェネットも少し不安がやわらぐんじゃないたろうか。


 もちろん僕が護衛役として優れているとは思わないけれど、誰もいないよりはマシだ。

 それに僕がここでヴィクトリアやノアに加勢するよりもジェネットが加勢するほうがはるかに2人の力になれるだろう。

 

「ノア……分かった。僕は僕の役目を果たすよ。ノアもヴィクトリアとちゃんと協力し合ってね」


 僕がそう言うとノアはちょっとねたくちびるとがらせた。


「たわけ。ノアは子供ではないぞ。いくら大嫌いなヴィクトリアであっても、戦時くらいは協力できるわ。さっさと行かぬか」


 そう言うとノアは片手で僕の胸とトンッと軽く突いた。

 僕はその手を両手で包み込むようにギュッと握り、彼女の無事をいのってからその場を後にした。 

 そしてその足で僕は急いで飛び、両目を押さえて苦しむアニヒレートの横をすり抜けてヴィクトリアの元へと向かった。

 彼女は僕を見つけると陽気に手を振ってくれる。


 これからあのアニヒレートを相手にするってのに、ヴィクトリアは微塵みじんも恐れを感じさせないいつもの快活な笑みを浮かべていた。

 彼女の豪胆なきもわり具合には本当に恐れ入るよ。

 ヴィクトリアには怖いものなんてないんだろうね。


「よう。アルフリーダ。特等席で観戦していかねえのか?」

「うん。これから神様のところに戻らなくちゃならないんだ。アナリンが神様をねらってくるかもしれないし」 

「そうか。まあ、こっちのことは任せておけよ」


 そう言うヴィクトリアの横には5メートルはあろうかという金属の箱が置かれていた。


「ヴィクトリア。それは?」

「対アニヒレート用にカスタマイズした嵐刃戦斧ウルカンだ」


 そう言うとヴィクトリアは脚で箱のふたを蹴り飛ばす。

 中に収められているのはあまりにも巨大なおのだった。

 柄の底から刃のてっぺんまでおよそ4メートル以上はある。

 よく見ると柄の部分から刃の途中まではヴィクトリアの武器である嵐刃戦斧ウルカンであり、その先に巨大な刃が継ぎ足されている。


「神に作らせたんだよ。嵐刃戦斧ウルカンプラスってとこか」


 常識外れの武器だ。

 重量は……どのくらいになるのか想像もつかない。

 これ、人間に使えるの?

 唖然あぜんとする僕をさらに唖然あぜんとさせるように、ヴィクトリアはこの重厚にも程がある巨大なおのを両手でつかむと、それをヒョイッと持ち上げた。


「さすがに片手だとちょっと重いか。両手がふさがっちまうけど仕方ねえな」


 ちょっと重いとか、もう次元が違い過ぎる。

 ヴィクトリアの腕力は本当に人間離れしていた。

 

「おまえは本部でゆっくり見てな。アタシがこいつでアニヒレートをぶった切ってやるからよ」


 そう言うとヴィクトリアは巨大な嵐刃戦斧ウルカンを肩にかついだ。

 僕はそんな彼女に近付くと、おのを持つその手に自分の手を添えて彼女の無事をいのる。

 

「ヴィクトリア。無茶はしないで……って言ってもムダなんだろうけど、引く時は勇気を持って引いてね。あとノアとケンカしないように」


 ヴィクトリアは少しくすぐったそうにまゆを上下させ、それから肩をすくめた。


「分かってるよ。ま、あのチビとも何とかうまくやるさ。心配すんな」


 そう言うヴィクトリアにうなづき、僕はその場を後にした。

 彼女たちの無事を強く願いながら。

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