第58話 一人じゃないから(前編) 【2068文字】

「自転車を拾ったら、一回コースから出て。それから戻って、ちょっと走り直してから交代してください」


 係員の指示に従って、アミが走る。まったく無駄な時間だ。


「よし、今度こそ大丈夫だ。自転車ミサイルを――」


「もうお前相手にはやらねーよ。ほら、九条」


 今度こそすり抜けないように、しっかりと手渡しをする。


「なあ、九条。……お前さ。そうやってスカしてると、大事なものを取りこぼすかもしれないぞ」


「自転車なら、ちゃんと掴んだよ。今度こそ」


「ああ、アタシが持ってきたからな。でも、何でもかんでも2回目があると思うなよ。戻ってこないもんもある」


「何の話だよ?」


「……言わねーよ。でも、お前も見てられねーんだよ。まだヨジローの方が見てられるし、素直に応援できるぜ」


「は?」


「あー、もう! とにかく、大事なもんはしっかり掴め。たいてい一度しか来ないんだ。覚えておけよ」


 突き飛ばされるように背中を押されて、九条もようやく出発する。


「――ったく。なんかアイツ見てるとイライラするんだよなぁ。別に今回の失敗とか抜きに、さ」


 ようやく仕事を終えたアミは、コースの外まで歩くと、そこで座り込んだ。芝生はチクチクと脚に刺さり、思ったほど座り心地の良いものではなかった。




(まあ、確かにここまでトップで繋いできたなら、それを維持したい気持ちも分からんでもないが……)


 九条には、九条なりの考え方がある。それは完全勝利などではない。


(要するに、俺たちのチームのアンカーが1位なら、それでいいんだろ。俺が遅れても、ユイが何とかしてくれるさ)


 簡単な話だった。ユイなら何とかしてくれる。ならばそれだけを考えていればいいのだ。

 これが予定通りの走順だったら、アンカーは与次郎だっただろう。そうなればこんな余裕は生まれなかった。結果的に、この順番で良かったのかもしれない。


(まあ、そもそも勝てなかったら、それはそれでいいさ。なんだかんだで楽しかったし、俺としては本気になる理由もないし、な)


 ライバルたちがひしめき合う中、コースは下り坂だ。ペダルを漕がなくても、充分にスピードが上がる。ハンデとして乗せられた水入りのペットボトルさえ、今では加速に使える味方みたいなものだ。

 思ったよりコーナーもきつくない。ところどころ砂や砂利が溜まっていて危険だが、そこにさえ気を付けていればいい。


「待ってろよ。ユイ」


 九条は、そっと目を閉じた。



――――――――――――――――



 最近、妹から言われたことがある。


「お兄ちゃん。明るくなったよね」


 と――

 本当に自覚のない九条は、妹の言うことが分からなかった。


「え? でも、お兄ちゃんが休みの日に友達と出かけるなんて、ちょっと前なら考えられなかったよ」


「……確かに、そうかもな」


「お兄ちゃん、バイク以外に友達いたんだね。人間の」


「ほっとけ。つーか、お前の中での『明るい』の基準は、休日に出かけるかどうかなのか?」


「うーん……休日に出かける回数って言うよりも――」


 妹は一瞬だけ難しそうな顔をすると、次の瞬間には指をぱちんと鳴らした。


「そう! 休日に出かけるのを楽しみにして、笑う回数。かな」



――――――――――――――――



(まったく、我が妹ながら、変なことを言うやつだ)


 しかし、確かにユイに誘われなければ、自分はこんな大会に参加しなかっただろう。

 アミやカオリと仲良くなったのも、ユイがいたからだ。与次郎とも学校で喋ることはあっても、こうして休日に同じ場所にいることは無かっただろう。


(まったく、全部ユイのせいじゃないか)


 そっと、九条が目を開ける。時間にして数秒ほどだろう。もちろん自分の速度は計算しているし、見通しも立っていた。数秒なら目をつぶっても、道から外れることは無い。

 ――そのはずだった。






『ああーっと、ここで大事故ですぅ。

 玉突き! カマ掘り! ムカデ人間!

 先頭の自転車が転倒したのをきっかけに、そこに突っ込んだ選手たちが次から次へと転倒。ブレーキが間に合った選手たちも、間に合わなかった後続選手にぶつかられて倒れて行きますぅ。

 非情な自転車レース。せめて皆さんが軽傷であることを祈りますよぉ。後続の選手たちは、これ以上巻き込まれないように注意してくださいねぇ』


 目を開けた時には、既に何かを踏んだ感触と、浮遊感があった。

 転んだ時、他の自転車に身体が引っかかるのを感じた。自転車から投げ出されて、そのまま地面に伏してしまったようだ。


「何が起きたんだ? くそっ」


 立ち上がった九条がまずしたことは、周囲を見回すこと。自分と同じように、周囲には倒れた人たちと、その自転車が散乱している。

 それを後続の選手たちが、すいすいと抜けていく。


(まずは、自転車を探さないと)


 倒れた車体の中から、自分たちの使っていた自転車を探す。それはすぐに見つかった。大して離れていない所に、他の車体と絡まって倒れている。


(あった――痛っ!?)


 駆け寄ろうとしたとき、九条は再び膝から崩れ落ちた。

 革製ブーツのファスナーを下ろし、ライダーズパンツの裾を上げて確認すると、


(マジかよ)


 足首は熱を持ち、真っ赤に腫れあがっていた。

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