第57話 持久力と、もうひとつ 【3021文字】

(――っく!? やべぇ)


 アミの漕ぐペダルが、急に重くなった。息が出来なくなる中、どっと汗が湧き出てくる。


(限界か……)


 速度を落としたアミは、後ろをチラッと確認すると、すぐに左に寄る。他の選手の邪魔にならないように、車体を寄せたのだ。そこをゆっくりと、他の選手たちが抜いていく。


「くそっ……はぁ。はぁ――」


 まだ完全に停止はしていない。ゆっくりだが、地面に足を着かずに走り続けている。

 だが、それだけだ。もうレースどころの話じゃない。


(冗談じゃねぇぞ。せっかくヨジローがトップで交代してくれたのに、アタシは順位落とすどころか、次にバトンを繋ぐことも出来ないのかよ)


 前半こそ、トップを維持し続けることが出来た。だがいくら途中まで速かろうとも、最後まで走れないなら意味は無い。

 何とかして、九条の待つ第3区まで自転車を届けないといけない。

 なのに、動けない。肺は焼け付いて、心臓は破裂寸前だ。


「アミさん。大丈夫?」


 すぐ横をレイカが通り過ぎていく。その声に答えることさえ、今のアミには出来ない。


「まあ、頑張ってねー」


 アミと同じところまで来たというのに、レイカはまだ余裕そうだった。






 ところ変わって、アンカーたちのスタート地点では――


「ねえ。ユイちゃん」


「うむ? どうしたでござる? イア殿」


 まだまだ順番の回ってこないユイが、中継を見ながらアミを応援していた。もちろんイアも一緒だ。

 で、応援はしているのだが、気になることがひとつ。それをアミは、どうしても聞かなきゃ納得いかなかった。


「アミちゃんって、単距離専門だったよね? 陸上でも水泳でも」


「うむ。そうでござるな」


「でも、第2区は上り坂が主体だから、持久力が試されるんだよね?」


「そうらしいでござるな」


「えっと、何でアミちゃんを第2区にしたの? 消去法?」


 ユイを除けば、チーム全員があまり持久力のあるタイプだとは言えない。誰が2区になっても不利と言えば不利なのだが、


「いやいや、消去法ではござらぬよ。適材適所でござる」


「え?」


 信じられない……という感じに目をぱちくりさせるイアに、ユイは笑いかける。


「アミ殿は、一番の頑張り屋さんでござるからな。いつも放課後、最後まで残って走り込んでいたようでござろう? 拙者も補講の後によく見かけたりしたものでござる」


「ユイちゃんはまず補講を減らそうよ。……っていうか、それだけ? 実力とかじゃなくて、気持ち的なことで採用だったの?」


「そんなわけないでござるよ」


 実況中継は、ついにアミを映すことさえ無くなっていた。なのにユイは、何も心配していない顔で空を見上げている。


「ちゃんと、実力採用でござる」






 陸上でも水泳でも、アミは確かに『頑張り屋さん』だ。

 何度も、何度も、練習を繰り返していた。

 本気で走り、本気で泳ぎ、全力を使い果たすとすぐ倒れ込む。

 それでも、


(まだだ――)


 何度でも、


(まだ――)


 立ち上がってはスタート地点に戻り、また練習を繰り返していたのだ。


(まだやれる!)


 ついにペダルから靴を離したアミは、そのまま地面に両足をついた。サドルから腰をおろして、ハンドルに枝垂れ掛かるように体重を預ける。

 そして、その姿勢のまま自転車を押して駆け始める。


(まだ、まだだってんだよ!)


 充分に速度が乗って来たところで、再びサドルに腰を下ろし、ペダルを踏む。その姿勢になったのも一瞬のこと。またすぐにサドルからお尻を離すと、立ち漕ぎの姿勢でペダルを蹴り込んだ。


「もう一本! いくぞおおおお!!」


 上り坂を有利にするのは、持久力のほかにもうひとつある。

 それが、回復力。

 たとえ限界を迎えようとも、再び走り出せる力だ。


「どけぇっ!」


 既に多くの選手が、体力の限界を迎えようとしている。持久力自慢の人たちも、この暑さとママチャリの重さで疲れていた。そんなペースの落ちた人たちの隙間を、アミが潜り抜けていく。



『後続集団に動きアリ、ですかぁ?

 あ、アミ選手です。一度はダメかと思われたアミ選手。まるで別人と交代したかのような走り!

 そのどこにも疲れを感じさせません。いや、むしろ第2区スタート時点よりも速い? どうしてぇ!?』



 さあ、どうしてだろう。アミにも実は、よく分かってない。

 いつもの練習で言うなら、そう――


「身体があったまってきたからさ」


 この現象を、スポーツの業界でしばしばそう説明する。科学的にはよく分かっていない事や、上手く説明できない事。しかし昔からスポーツ選手たちが言い続けてきた事。

 まだ解明されていないことが、人間の身体にはたくさんあるようだ。

 後続から追い上げて、先頭集団を視野に捉える。


『レイカ選手! ここでトップに躍り出たー』


 余裕があるというのは本当だったのだろう。レイカが一番前を走る選手を抜いた。他の選手たちも限界のようだ。レイカを抜き返そうという人は誰もいない。

 ただ、一人だけを除いて。


「レイカさん。やっぱ速いんだな。驚いたよ」


「え?……アミさん。どうしてここに?」


 上り坂が終わって、少し休めそうな平らなところが見えてくる。そこが次の選手との交代エリアだ。第3区からは復路になるので、交代前にUターンして方向を変える必要がある。


(くっ、アミさん――まさかあなたが、最後までついて来るなんてね。でも、抜かせないわ)


 用意された三角コーンによるコーナーを、レイカは一番短い距離で回る。コーンを弾き飛ばすギリギリまで車体を寄せてのコーナリングだ。普段から自転車に乗っている彼女ならではのコントロール。

 速度は落ちない。これなら、抜かれるはずはない。


(もう、一本――)


 アミの脚はもう、これ以上の登り坂には耐えられない状態だった。が、ここは平地だ。


(平地と登り坂なら、使う筋肉は違う!)


 急にペダルが軽くなる。それを狙って、アミはまた爆発的な加速を見せた。そのままコーナー外側から、スピード任せにレイカと並ぶ。


「アウトコースから!?」


「へっ。なに驚いてんだよ。アタシらの世界じゃ、いつも抜くのはアウトコースからだろ?」


「あなた、陸上じゃ直線しか走らないでしょ」


「……確かに」


 並んだまま、バトンタッチエリアに突っ込む。レイカは自転車を降りて、自転車を持ったまま走り出した。

 一方、アミが使う技はもちろん、アレだ。与次郎もやっていた、自転車を無人で飛ばす自転車ミサイル。


「九条!」


 相変わらず、彼はスカした態度で突っ立っていた。イヤホンを耳に突っ込んで、何か音楽を聴いている。精神統一だろうか。

 そんな九条の目の前に、アミが飛び降りた後の自転車が向かっていく。無人のまま、それでもまっすぐに――


「いっけぇぇぇえええ!」


「ん? 何か言ったか?」


「えええぇぇぇ??」


 九条の前を通り過ぎて、そのまま自転車だけが第3区を走り始めてしまった。彼自身は、ポカーンとスマホを持ったまま突っ立っている。

 係員が笛を吹いた。


「はい。バトンタッチ失敗。第2走者は自転車を拾って来て、もう一度バトンタッチエリアまで戻ってきてください」


「嘘だろ!?」


「すまん。ちょっとぼーっとしてた。まさかこんなに早く来るとは思わなくて」


「係員の誘導があったんじゃねーのかよ」


「それにしたって追い上げが早すぎるだろ。もっとゆっくり来いっての」


「それ頑張ったアタシにかける言葉か!?」


「悪かったって――その、本当にスマン」


 後続の選手たちも次々バトンタッチして、この場を抜けていく。そんな中、

 トップで交代できたはずのアミは、倒れた自転車を拾いに行くため、自力で走っていくのだった。

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