第50話 気づかない事 【1875文字】
深夜、男子2名はテントの中にいた。与次郎が『せっかくのキャンプなのにベッドで寝るのもなー』などと言い出した結果である。
それに付き合う理由もない九条だったが、
「……」
まんざらでもない。普段は味わえない虫の声や風の音を聴きながら、とても静かな時間を過ごす。それ自体は九条にとっても楽しいものだった。
(そうだな。高校卒業したら、バイクでどこかへ旅に出るのも楽しいかもな)
ゆっくりと目を閉じれば、そのまま眠りについてしまいそうだ。足から力が抜けて、動かなくなる。自分の呼吸に意識を集めれば、それはより深く、ゆっくりとした寝息に変わっていく。
「ねー。九条っちは好きな女子とかいるの?」
「……」
「ねー」
「うるさいな。せっかく眠りかけたのに」
「いいじゃーん。合宿とかの定番でしょ?」
「それって中学生くらいまでじゃないのか?」
隣から与次郎に話しかけられて、九条はすっかり目が覚めてしまった。台無しである。
「つーか、寝ないと明日が辛いぞ。またハードな練習になるんだし」
「いやいや、せっかくのキャンプでしょー。まだ寝るには早いって。っていうか、もう初日は徹夜でもよくない?」
「……なんでお前はそんなに元気なんだ?」
改めて、与次郎のスタミナと持久力に感心する。同じようにボロボロになるまで自転車に乗っていたはずなのに、もう彼はケロッとしているわけだ。
「で、九条っちは好きな人いる?」
「さっきも訊かれたな」
「うん。で、答えを教えてもらわなかったからねー」
「……いない」
思いつかない、というべきだろうか。九条は頭の中を探ってみたが、誰を好きだとか嫌いだとかいう話にそもそも興味が無い。なので迷うまでもない話題だった。
なので一瞬だけ迷ったような間を作ったのは、あくまで演出でしかない。会話の流れみたいなものだ。
「与次郎は?」
と、一応聞き返しておく。興味も無いが、これも流れだ。
「んー、僕はねー」
(さて、何人ほどの答えが返ってくるのか)
軟派な印象の彼が、誰か特定の名前を言うとは思わなかった。だから適当なリアクションだけを用意しておく。『ふーん』と即答して寝てしまおう。そういうつもりだ。
「誰にも言わないでよー」
「はいはい。言わないから」
「いやー、まあ、他のメンバーには先に言っちゃったから、別に本人以外には伝えてもいいんだけどね」
「早くしろよ」
「ユイちゃん」
「ふーん……え!?」
用意したリアクションをし終えた後、じわじわとその名前が九条の中で像を結ぶ。気づいたら、自分でも驚くほどの声を出していた。
別に大きな声ではないと思うが、周囲の静けさと合わさって気になる。
「いやいや。言っとくけど、ぼくはマジだよ。マジでガチ」
「そうなのか? いや、確かに冗談にしては意外過ぎる名前が出てきたけどさ。お前ら、ただの幼馴染みたいなもんじゃないのか」
「うーん。だからこそ、かな。ぼくもよく分からないんだけどさ。――ずっと好きだったって話さ」
「他の女ばかり口説いている印象があったけど?」
「うん。ぼくもその記憶はあるなー。自覚もあるよー。でも、そのたびにユイちゃんの存在が大きくなっちゃってさー。あー、他の人に真剣になれたら、今頃ぼくにも彼女がいたかもねー」
「……」
聞き流す予定だった話題は、いつの間にか聞き逃せない話になってしまった。適当に相槌を打つ予定だったのに、気づけば自分の方から何かを訊ねたくなってしまっている。
とはいえ、
(俺、何を訊く気だよ。与次郎に、こんな話題で――)
何を質問したらいいか分からない。
ただ、イアたちが何やら含みのある態度になることがあったのは、こういう事だったのかと理解は出来た。
「イアたちには、それを言ったのか」
「うん。海水浴に行くときにねー。っていうか、九条っちにもバレてると思ってたよ。ぼくも隠している気が無かったからさー」
「俺が鈍いってか?」
「うーん。まあ、ねー」
違う。こんなことを与次郎に訊きたかったわけじゃないはずだ。
「その、なんだ……人を好きになる感覚って、どんな感じなんだ?」
「え?」
「いや、やっぱ何でもない。忘れてくれ」
ぐっと腹筋に力を入れて起き上がった九条は、そのまま立ち上がる。寝袋無しでも温かいと思っていたが、地面から離れると意外に寒いかもしれない。
何か大事な物まで地面に置いてきた気分になって、自分が寝ていたシートの上を確認する。何もない。
「九条っち?」
「ちょっとトイレ」
「あ、ああ、うん」
その宣言と裏腹に、九条はその晩、テントに戻ってくることは無かった。
別にどこかに消えたわけではなく、そのままトレーラーハウスのベッドに戻っただけなのだが。
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