第6章『ママチャリレース開催!! ~準備編~』【23,485文字】
第37話 ママチャリレース開幕のお知らせ 【2922文字】
「それにしても、思いのほか似合いませんね」
ルリが言う。
「うーん。同じものでも着る人が違うと、こんなに印象が変わるんだね」
店長も言う。
「何ていうか、子供っぽい?」
チーフメカニックも、そう言った。
「むーっ!」
ルリの持ってきたスーツパンツセットに着替えたユイは、すっかり衣装に着られていた。もともとの童顔がより際立って、どこかコミカルな印象を消しきれない。
体型的には大して違いが無いと言っていたルリだが、実を言えば少しだけユイの方が背が小さい。そのため袖や着丈など若干余った部分が、これまた絶妙に子供が背伸びした感を出していた。
「あ、でも拙者、ひとつだけルリ姉に勝っていることに気づいたでござる」
「……どこです?」
「胸の大きさでござるな。借りたブラジャーでござるが、少しだけキツイのでございたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた」
「言いがかりですね。私の方が大きいです」
「そ、そんなの、拙者が着やせしやすいだけでござる。実際に測れば拙者の方が大きいから、こんな窮屈さになるのでござるいたたたたたたたた」
「減らず口を叩いてばかりいると、そのぷにぷにほっぺが2倍に腫れあがりますよ?」
ユイの頬を右手でひねり上げながら、空いている左手を腰に当てて、精いっぱい胸を張るルリ。そのボリュームは充分に人目を引くほど立派なのだ。……であれば、それを超えるユイの大きさはいかほどのものなのか。
想像がいろいろと駆け巡る中、この茶番を終わらせたのは店長だった。
「はいはい。とりあえず仕事に戻ってね。ちょっと自治体さんから掲示物も貰ったから、これ貼っといて」
「え?」
「むぅ?」
自治体からの掲示物……この手の自転車店にそういったものが届くとなれば、内容は大体察することが出来る。交通安全ポスターか、小中学校の通学路になっている道の見守りステッカーだ。
しかし、今回は大きく趣向が違った。
『集え! 未来のレーサー!
山口県自転車リレー サイクル・チャンピオンシップ 開催』
「な、なんですか? これ……」
「はて? 気のせいでござろうか。拙者、これと似たような記事を見たことがあるでござるよ?」
二人は顔を見合わせながら、それぞれ数枚のカラー印刷ポスターを受け取った。それから養生テープも。
「まあ、県が主催する自転車の大会だね」
店長がレジの後ろにそれを貼りながら、少し寂しくなったつむじ(だった場所)を掻く。レジから出てきた彼は、客の目線で見やすいかどうかを確認して、しばし思案顔をしてから首を縦に振った。見やすくはないが妥協できるという意味の仕草だろう。
「ぶっちゃけ言うと、今年の初めごろに開催された『チャリンコマンズ・チャンピオンシップ』って大会があったでしょ? ほら、ルリちゃんが無理やり休暇を取ってまで出場して、大怪我して帰ってきたやつ」
「ああ、1月にやった日本列島縦断レースですね。楽しかったです」
「拙者はそれのせいで、ルリ姉の代わりにバイトし始めたり、夜中に叩き起こされて臨時出勤させられたり、散々でござったけど」
と、それぞれ思い出のある大会だ。
「その縮小版というか、流行りに乗った自治体がパクリで開催し始めた大会だね。本家と違うところは、ママチャリしか使えない事と、リレー形式で開催される事。それから一日で終わる事かな」
「なるほど。分かりやすいでござるな」
早い話、町おこしである。
現在、日本では空前の自転車ブームが来ている――と言ったら若干過言になるが、その大会のおかげで自転車の価値が見直されているところではあるのだ。おかげでこの店も大忙しなわけだが。
「まあ、せっかくのチャンスだからね。うちも乗っかるよ。新規販売に整備点検。レース用カスタムまで何でも承るって形でPRだね。さ、ユイちゃんはあっちの窓の方。ルリちゃんはそっちの入口とか店先の展示スタンドの方に貼ってきて」
手を叩き、さっさと仕事を促す店長。その様子にユイはだるそうに歩いていき、ルリはといえばテキパキと脚立を持って移動し始める。
「……ところで、こちらの大会は私たちも出場できるのですか?」
ルリがふと訊ねると、店長は首を横に振った。
「いや、ダメだね。開催は日曜日でしょ? ぼくらも店開けておかないと」
「では質問を変えましょう。その日曜日に希望休を申請してもいいですか?」
「ダメだね」
「質問を再び変更します。辞職願と希望休届の、どちらを受理しますか?」
「ルリ姉!?」
大会出場のために辞職まで考えるルリの勢いに、ユイは驚いた。
「ど、どうしたのでござるか? ルリ姉」
彼女は時々、どこかのロードレース大会などに出場している。そのことは知っていたのだが、ここまで強く出場を願うのは本当に珍しい事だった。本家チャリチャン以来のことかもしれない。
「いえ、ここを見てください」
「ど、どこでござるか?」
ユイが自分の仕事をそっちのけにして駆け寄る。ルリが細い指でトントンと示しているのは……
「ゆ、『優勝賞金 100万円』でござるか?」
「はい。この手の自治体の大会に懸賞金がかかること自体が珍しいように思えるのですが、今回はかなり本気を感じます。……100万ですよ? つまり、私たちの年収を軽く超えます」
ごくり……ユイの喉が鳴った。100万円ともなれば、ユイにとって見たこともない大金となる。今年の初めからバイトを始めた彼女にとって、まだ累計でもそこまで稼いでいない。
さすがに、『100万あったら遊んで暮らせる』みたいな金銭感覚は小学生の頃に捨ててきたが、それでもまだ実感の湧かない数字であることは確かだ。
「た、確かに、これだけあればルリ姉も、当面の学費を払えるでござ――」
「100万あったら、
ルリが狂ったように、つらつらと自らの物欲を語りながら寄ってくる。目の焦点が合っていないし、何やら怖い。
ユイがさっと横に避けると、ルリはそのまま正面に歩きながらブツブツと呟き続け、最終的には店の柱に頭をぶつけるまで止まらなかった。
「ひ、久しぶりに見たでござるな。ルリ姉の自転車オタクモード。ああなると手が付けられないでござる」
「ホント、あれさえなければいい子なんだけどね」
店長とユイは顔を見合わせて、お互いに溜息を吐いた。外はまだまだ本降りの雨で、お客さんがいないのが救いであったとさ。
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