第36話 雨の日のアルバイト 【3116文字】
「……やっぱり、乾かぬものでござるな」
「はははっ。そりゃプールに飛び込んじゃったからな。アタシのなんかまだ絞れそうなくらい濡れてんよ」
放課後、再びずぶ濡れのセーラー服に着替えたユイは、そのままバイトに行くつもりでいた。
「ちなみに、アミ殿は部活休みでござるか?」
「いや、インターハイも来月に迫ってるからな。室内トレーニングはあるよ」
「……雨の日は、プールを使わぬのでござるか?」
「あー、まあ、寒いからな。……『どうせ水温低い季節でもやってるだろ』とかいうツッコミは無しで頼む」
「う、うむ」
つまりアミは、わざわざユイの着替えのために、ここまで鍵を開けに来てくれたというわけだ。なんというか、友達想いな子である。
「それじゃ、拙者はバイトがあるゆえ、失礼するでござる。今日はありがとうでござるよ」
「おう。困ったらいつでも言えよー。アタシ、こう見えてもいろいろ悪い事は知ってるからさ」
なんと頼もしい(?)言葉だろう。
親友の意外な一面をいくつか見たユイは、そのまま雨に打たれながら、バイトに行くのだった。
幸いにも、昨日や今朝に比べれば、雨は弱まっていた。
「おはようござるます」
「ああ、ユイちゃんおはよ……うわ、酷い格好だね」
店長はユイを見るや否や、その姿に驚いた。どう考えても、お客様の前に出せるものではなかったからだ。
いくら弱まってきたとはいえ、それなりに降っていた雨のせいで髪は湿っていた。それ以上に、やはり乾かなかった制服が酷い。
「すみませぬ。どうしても雨の日はこうなってしまうのでござるけど、どうすれば……」
「どうすればって……」
ユイの場合、本当にどうしたらいいのか分からない。まだ高校生で、学校に行く時さえ手段を考え巡らせないといけないのだ。困ったことに、解決策など思いつけばとっくに試している。
「親御さんに送り迎えとか頼めないの?」
「無理でござる。両親ともに仕事もあるし、さすがに学校からバイト先までは……」
「じゃあ、こんな日くらい自転車を使わないとか出来ないの? 交通機関とか」
「バスがほとんど走ってないことは、路線図を見れば一目瞭然でござる。そもそもこの店、駅から絶妙に遠いでござるし」
「それじゃあ、合羽を着て自転車に乗るとか……は、ユイちゃんの場合かえって危ないか。それで熱中症とか脱水症状になられても困るし」
「話が早くて助かるでござる」
最後の納得は、さすが自転車店の店長といったところだろう。似たような悩みはお客様からも多く寄せられている。それも、飛ばし屋ばかりから、だ。
「タクシーで来る? って言ってもなぁ……うちのバイト代でタクシー使ったら、日当より高い代金になっちゃうかぁ」
「うむ。それを通勤手当で全額……とは言わぬまでも、7割くらい賄ってくれれば助かるのでござるが」
「無理だね。ごめん」
「そうでござるよな」
店の制服として支給しているのは、店員共通の整備用エプロンのみである。だいたいはスーツで出勤し、その上にエプロンをつけることが義務付けられている。ジャケットは脱いでもいい。
ユイの場合は、学校のセーラー服の上にエプロンをつけて仕事をしていた。彼女の通う高校はアルバイトが禁止されていない。制服なら学生の正装として扱われるので、店側としてもちょうどよかった。
とはいえ、今回のような事態になってしまうと、何を着て店に出ればいいのか分からない。
「あのね。あんまりこういうことを言いたくもないけど、こういう時は自分で何かしらの対処をしてくれないと困るよ」
「その何かしらを考えるのは、拙者だけの仕事でもないと思うでござるが……」
「店側としては、店のルールを変えることも出来ないからね。もうそれに従えないなら……」
「……クビ、でござるか?」
「……いや、ただでさえ人がいないのに、辞めてもらうと余計に困るんだけど」
「そうでござるよな」
「うーん」
二人で困っていると、そこにもう一人のアルバイターが現れた。まだ大学生でありながら、この店では最も接客の丁寧な店員で通っている人物、ルリだ。
「おはようございます。吉識瑠璃、出勤しました」
「……」
「……」
そのルリを持ってしても、やはり頭からつま先までずぶ濡れで登場するのだから、どうしようもないのだろう。
「おはようでござる。――ルリ姉も自転車でござるか。お互いに大変でござるな」
「いえ、私の場合は着替えを一式用意しているので、全く困りません」
ルリは、背負っていた大きなバッグを下ろして見せた。
自転車用のドライバッグと呼ばれるものがある。広いマチが付いたものだったり、あるいは箱型だったりするそれは、完全防水使用のバッグだ。素材に使われているのは、海や川などで使われるドライスーツと同じ素材である。
ルリの持っているモデルは、箱型の大きなドライバッグ。普段は彼女がツーリングなどをするときに持ち歩いているものだ。
その防水ファスナーを開けると、そこから出てくるのはスーツパンツ一式に、ブラウス。それから靴やベルト、下着なども全て入っている。ドライヤーやバスタオルも完備していた。
「私は入社してから3年目になりますが、ほぼずっとこれで対処してきましたよ」
さすが、出来る女は違う、と言ったところなのだろう。したたる雨の雫さえも、涼し気な彼女の表情と相まってエリートの印象を崩さない。まだタイムカードも切っていないのに、既に大仕事を片付けてきたような貫禄である。
「ところで、何で着替えが2セットあるのでござるか?」
ユイが訊くと、ルリはすっと立ち上がって答えた。
「貴女の分ですよ。ユイ」
「え?」
「私とさほど体型に違いはないでしょう。……まあ、私の予備で良ければ貸し与えますよ。どうせ貴女がその格好で来ることは予想できましたから」
「る、ルリ姉……」
ユイが嬉しいような、困ったような、申し訳ないような……いろいろ入り混じった表情でスカートの裾を掴む。濡れたスカートが絞られて、数滴の水が床に落ちた。
「かたじけない。本当に、助かったでござる」
「どういたしまして。そこまで感謝されると、私も照れくさいですね」
「ならばもう少し照れくさい表情でもしてくれると可愛いのでござるが」
「私は無表情でも可愛いので大丈夫です」
「……まあ、今日は何も言うまい」
下手なことを言ってルリの機嫌を損ねても困るし、何よりルリには本当に恐縮するほど感謝している。ので、彼女が調子に乗ってもツッコミを入れないくらいの配慮はするユイであった。
「と、いうわけですので、私たちの着替えが終わるまで、更衣室には入ってこないように――他のスタッフにも同様にお願いしますね。店長」
「あ、ああ。うん。じゃあ、着替え終わってからタイムカードを切ってね」
「はい。いつも通りに」
こういう時、着替えられるところがあるかどうかも、割と大切な違いになってくる。この店舗にロッカールームがあったのは幸いだった。もっとも、簡易倉庫や休憩所としても使われるスペースなので、ゆっくり着替えるわけにもいかないが。
ルリが一度広げて見せた荷物を畳んで、ロッカールームへと向かおうとする。そこに、ユイは一つだけ疑問を投げた。
「ところでルリ姉。みんなの前で下着まで広げて見せる必要はあったのでござるか?」
「……」
ドアノブに手をかけたまま、ルリはぴたりと手を止めた。
「あ、もしかして――」
「ユイ。貴女は本日、裸エプロンで接客ですね。お疲れ様です」
「いやいや、嫌でござるよ!? 拙者の分の着替えを貸してくれる約束は!?」
「たった今、私の気が変わりました。ユイも恥ずかしい思いをしなさい」
「ルリ姉のは自爆でござろう!?」
まあ、多少は間抜けな部分もあるルリだが、
それでも、頼れる先輩なのであった。
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