第5章『雨の日の学校』【17,339文字】
第31話 ずぶ濡れ少女 【2035文字】
とある日の早朝。夏の蒸し暑さで目を覚ましたユイは、学校に行く準備をしていた。
外はもう散々の天気だ。雨は長く降りしきる。昨日から予報はされていたが、それでも気分は暗鬱たるものだった。
「うーむ。別に雨そのものが嫌いなわけではないが、学校のある日は不都合でござるな」
この一言に尽きる。
可愛らしい声と裏腹に、奇妙なサムライ風の口調でぼやくユイは、まず時計を確認する。始発の電車はもう出発したころだった。
「電車は当てにならんし……」
ユイの住む戸鳴市から、学校のある輪学市まで、じつはまっすぐに電車が走っていない。近くにある地方都市の大きな駅を経由して、そこで乗り換える方法でしか移動できないのだ。
なので学校に間に合うためには、始発に乗って駅に向かい、地方都市の駅で50分ほど時間を潰してから乗り換えるしかない。朝の忙しい時間帯にもかかわらず、1時間に1本しか電車が無いのも問題だろう。
そうなるとユイにとって、自転車の方が電車より早い計算になるのだ。
「まさかタクシーで学校まで行くわけにもいかぬし、仕方ないでござるな」
腹をくくったユイは、大きなポリ袋を探しに行くのだった。
学校に着くころには、ユイも自転車もずぶ濡れだった。ただ、ポリ袋の中に入れたスクールバッグなどは無事である。
駐輪所に自転車を止めて、すぐにシリンダー錠をかけた彼女は、逃げ込むように校舎へと駆ける。
雨から逃げたいというのもあるが、それ以上に他の生徒たちの視線から逃れたい気持ちの方が強かった。
(やはりこの作戦、身だしなみの観点で問題でござるな)
ぐっしょりと濡れて水を滴らせる、セミロングの茶髪。タイヤからの泥跳ねで汚れたローファー。ソックスの上の膝まで点々と付く汚れに、すっかりくすむスカートやセーラーカラー。それらは彼女の羞恥心をほぼ最大まで煽った。
ユイだって女の子なのである。自分があまり綺麗と言えない恰好をしているとき、それはやはり気になるのだ。
ちなみに、すれ違う男子たちが送ってきている視線が、ぴったりと張り付く胸元や背中に集まっていることに関して、ユイはまだ気づいていない。
(ひとまず、いつもの空き教室に向かおう。そこで体操着にでも着替えれば大丈夫でござる)
実を言えば、こんなことはこの学校に2年以上も通って来て、その間に何度もあった。
もうすでに、着替えにかかる時間まで織り込み済みだ。濡れた靴下まで脱いだユイは、裸足に上履きを履いて空き教室まで向かう。長い髪を持参したバスタオルでまとめて、水滴が廊下に落ちないように気を使いながら走っていく。
それにしても意外かもしれないが、
自転車に乗るとやたら速い彼女は、自分の脚で走るのはそれほど速くもなかった。
空き教室の扉を開いて、すぐそばの壁に隠れるようなところ。そこにユイは立っていた。教室内は物置を兼ねて使われているようで、端にはたくさんの机が並んでいる。
ひとまず勝手に使っていることがバレないように、こそこそと隠れながら、ユイは着替えを始めた。
制服を脱いで、下着の上からバスタオルで身体を拭いていく。濡れた制服は畳んで、とりあえずビニール袋へ。
(制服登校なんてルールさえ無ければ、まだやりやすいのでござるけどな)
帰りも雨だろうから、その時はまたここで濡れた制服に着替えることになるだろう。それを考えると一層の不満がたまってくる。
(学校にシャワールームとかがあればよいのに――。それかせめて、濡れた制服を干しておくくらいの場所があればいいのでござるが)
どちらもない。いや、この教室にハンガーを持ち込めば、あるいはバレずにこっそりと干しておくくらいの事は出来るのかもしれないが、
(なにせ無断で借りているだけゆえ、あまり無茶も言えぬな)
その辺は仕方がないと割り切る。本当に、雨と学校は相性が悪かった。雨が学校に対応していないのか、あるいは学校が雨に対応していないのか。
(下着の替えも持ってくれば良かったでござるかな……)
雨は思ったよりも奥まで浸み込んでしまったようだった。仕方がないので、念入りに拭いておく。髪もタオルで取れる分の水を吸い取ったら、あとは諦めるしかない。
がらがらがらがら……
「!?」
突然、全く予想だにせず……あるいはお約束のように、教室の扉が開かれた。そこに男子生徒が、まるで何かから逃げるように入ってくる。
「まったく、雨は嫌いだ」
まっすぐ教室の奥の窓を見ていたその男子生徒は、濡れた制服をつまみながら恨めしそうに言った。独り言なのだろう。小さな声で、しかし静かな教室ではよく聞こえる。
ユイに気づいていない彼は、後ろ手に扉を閉めると、適当な机に鞄を置いた。そして中から体操着を取り出す。どうやら着替えるようだ。
適当な手つきでネクタイを外し、ワイシャツを手早く脱ぐ。痩せ型だからか、背骨や筋肉の浮いた背中。その決して筋肉質ではなくても充分に男性的な背中に、ユイは思わず声をかけた。
「九条殿?」
「え?」
お互いに、半裸のまま、二人は固まるしかなかった。
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