第8話 規格外の人間エンジン 【3217文字】

 次の日の朝、壊れたペダルをかばいながら登校したユイが、大遅刻を喫したのは言うまでもない。

 幸いにして、ユイが学校に到着したのは1時限目が終わったときだった。なので授業の進行を妨げることは無かったが……


「本当に壊れているようだな。回らん」


 遅刻届を受理する担任教諭としては、その理由が真実かどうかだけ確かめる必要があった。というより、その必要が出てきた。

 一度や二度であれば笑って流した『自転車のせいで遅刻しました』も、味を占めたように毎度やられると、虚偽の可能性が出て来る。

 なので、真実かどうか確かめるため、駐輪所まで出向く必要があったのだ。


「それにしても、こんなふうに壊れるんだな。ペダルって」


 ペダルの軸に近い部分に、一本の亀裂が入っている。強く踏み込まれた結果として軸が歪み、それに耐えられなかった踏み板が割れたのだ。


「ロードバイク乗りであれば、完成車のペダルを半年から1年ほど使い込んで割ってしまうことはあるでござる。しかし購入からたった1週間で割れるとは、拙者も思わんかった」


 と、先生よりずっと自転車に詳しいユイが補足する。だてに自転車店でバイトしてはいない。


「分かった。不審者の乗った自動車とカーチェイスしたという話は信じがたいが、自転車が壊れたことは確認したからな。校長にもそう説明しよう」


「ありがとうござるます。先生」


「……そのござるの使い方は合ってるのか?」


 先生はしげしげと、ユイの身体を見る。奇妙な口調と裏腹に、普通の女子高生といった風貌。手足は細く、また身長もさほど大きくない。クラスでも3番目くらいに小さいはずだ。立派なのは胸だけに見える。


(この身体のどこに、そんなパワーが隠されているんだろうな)


 教師としてではなく個人としては、そこが一番の疑問である。興味があると言い換えてもいい。

 しかしこのご時世、余計な事を訊けばセクハラだなんだと言われかねない――ので、個人としてではなく教師として、訊くべきことだけを訊く。


「学校近くで不審者に追いかけられたんだったな。詳しい場所と時間は聞かせてもらうぞ。他の生徒にも注意を促さないといけないからな」


「う……それは……」


 さすがにマズイ。

 場所は正直に答えてもいいだろう。アルバイトをしていることは学校にも届け出ているし、そこから家までの帰り道での事である。なんら不自然ではない。

 ただ、時間が22時以降であり、青少年健全育成条例とやらに引っかかる事。また労働基準法的にもグレーであることは隠し通さねばならない。店にも迷惑がかかるし、バイトも続けられなくなる。

 なので、


「あー、21時前でござるよ?」


 1時間以上ずらしておく。どのみち犯人も捕まらないだろうし、自分さえ黙っていれば嘘も突き通せるはずだ。


「ふーむ。その時間だと、別にうちの生徒を狙った犯行でもなさそうだな」


「う、うむ。たまたま拙者を見かけて声をかけただけでござろう。それに、もしかしたら拙者の思い違いかもしれぬからな。はっはっは」


 平穏に生活するというのは、大人にとっても子供にとっても、それなりに難しいものである。






 放課後。ユイはバイト先の自転車店に来ていた。


「あれ? ユイちゃん、今日はバイト休みの日じゃなかったっけ?」


 と、チーフメカニックが言う。40代くらいの痩身の男性で、この店では最も自転車に詳しい安全整備士だ。


「うむ。今日は客として来たのでござる。ペダルが壊れてしまったので、の」


 それを聞いたチーフは、眉根を寄せた。


「ペダルって……まさか、ユイちゃん本気で踏んだの?」


「う、うむ」


 ユイは目を逸らす。


「あのね、ユイちゃん。この車体は足回りが一般市民用なんだから、ユイちゃんの本気には耐えられないって注意したよね?」


 彼はユイのパワーもスピードも、自転車の一般的な耐久性も知っていた。だからこそ、ユイが自転車を購入したときに、しっかりと釘を刺したはずだったのだ。


「そ、そうでござるが、仕方なかったのでござるよ。自動車に追われたのでござる」


「はぁ……何があったか分からないけど、この『殺戮ベア』と戦うとは、自動車も可哀そうに」


「拙者の心配をしてほしいでござる! いや、確かに殺戮ベアなんてダサいあだ名をつけられてしまっているでござるが、いつでも誰かを潰しているわけではござらぬからな!?」


「はいはい」


 こういう時、一か所が故障したなら、ダメージは他にも伝わっている。念のために周辺すべてを確認する必要があった。


「うーん……他の部品もちょっと心配だね。一応組み直しか、あるいは部品交換を勧めるよ」


「むぅ。やはりママチャリ用の部品では、拙者の走りに耐えられぬか」


「うん。ペダルも元のモデルでいいなら、初期不良ってことで無料交換できるけどさ。結局同じペダルじゃ耐えられないと思う。クランクは……まあ、いいか。BBが不安だなぁ」


 何やら専門的な用語を並べはじめるチーフだったが、ユイには内容が理解できた。その程度の勉強ならしている。少なくとも、この店の大人たちが感心するほどには。


「それでは、ペダルは新しく買い替えで行こう。BBは、何かオススメがあるでござるか?」


「お勧めは、こっちのカセットBBだね。最新型だけど、コスパも良い。たった3万円にしては上質だよ」


「うーむ……自転車本体より高額になってしまったでござる。もっと安いのは無いでござるか? カップ&コーンでいいでござるから」


「いや、それは俺が組み立てるの面倒くさいから却下」


「職務放棄ではござらぬか!?」


 いずれにしても、さほどの予算がない。


「い、今のBBを再び整備し直して使うことは、出来ぬか?」


「あー、めんどくさい」


「出来るかどうかの回答がまさかの『めんどくさい』!? それは出来るということでよいでござるな?」


「出来るけどめんどくさい。工賃5000円と、チップ2000円もらいまーす」


「てんちょー。チーフがチップを要求しているでござる」


「やめろ。店長に言うな。てんちょー! 冗談ですからね!」




 結局、ペダルだけを交換。それ以外の部品は分解して組み直すことで決定する。

 バラバラにして、また組み立てるだけという、一見すると何の意味があるのか分からない行為だ。しかし予想した以上に、これが車体を大きく回復させる。


(それにしても……)


 チーフがBBを開けて、グリスをふき取る。ボールは新車と思えないほどにすり減っていて、すでに多数の深い傷がついていた。


(1週間でこんなにボロボロに!? 耐久試験に送ったってこうはならないでしょ。人力でこれか)


 スポーツ用から子乗せ3人乗りまで、さまざまな自転車を何千台と見てきた彼だが、この事例は初めてである。


(いや、例えば仕事で1日に10時間くらい走ってる自転車便の人だと、もしかするとこうなるかもな。……高校に通いながらこの店でブラックバイトやってる女子高生に、そんなに走ってる時間も無いと思うけど)


 そんじょそこらの人が見たとしても、その違いには気づけないだろう。彼が一流の安全整備士だったからこそ、見抜ける状態。


(はっきり言って、異常だ。ガソリンエンジン組み込んだと言われた方がまだ納得できるぞ)


 だからこそ、ユイの自転車を整備するのは『めんどくさい』のである。彼がユイにだけそう言うのは、気心の知れた相手だから、という理由もあるが、それだけではない。

 普通の人が乗った車体は、ここまで気を使わないのだ。


(仕方ない。ユイちゃんは『乗り心地が悪くなったでござる』って言うだろうけど、これも君のためだ)


 走り心地を犠牲にする代わりに、耐久性を上げるように組み上げていくことにした。

 いつもより粘性の高いグリスを、たっぷりはみ出るほど塗る。そして、組みつけも規定値よりやや強めに締め付ける。BBだけではない。車軸も、ペダルも、だ。


(本来は別料金だけど、いつも頑張っているユイちゃんに秘密のサービス、だぞ)


 こんなサービスを勝手にやっているから、彼の仕事はめんどくさくなるのだ。

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