第7話 真夜中のカーチェイス 後編 【2367文字】
(自転車さえ走らせれば、あとは拙者のものでござる)
歩道を遮る垣根がなくなり、もうすぐ歩道自体も無くなる。道幅が狭いところでは、よくある光景だった。
日本の道路は自動車を優先して作られる。たとえ歩行者が歩くところが無くても、車道だけはあるものだ。
「ふっ」
ハンドルを少し傾けて、右側歩道から左側車線へと移動する。体は進行方向を向いたまま、車体だけを横に滑らせる感覚だ。
「待てよ。おい」
「お嬢さん! 怖くないから止まれって」
さすがに助手席のドアは閉めたとはいえ、その窓と後部のスライドドアを開けたままの車が追ってくる。
(ふむ……それではスピード勝負といくでござるか)
ハンドルを引き付けたユイは、速度を上げていく。
体重の軽い人でも、重いペダルを回す方法がある。腕でハンドルを引っ張り、背中と脚の筋肉を使ってペダルを蹴るのだ。引き上げられた自転車は、その数倍の力で踏み込まれる。
全身の筋肉を使った漕ぎ方で、勢いをつける。初速さえ得られれば、あとは軽い力で漕げるはずだ。
(回れ。回れー!!)
自転車を振り回すように動かし、速度を上げていく。一歩間違えば車体が浮き上がり、そのまま投げ出されそうな速度だ。前後のタイヤに均一に体重をかけて、滑らないように気を付ける。
「はぁぁああああ!」
車のドライバーも、それを見て驚いていた。
「おいおい、時速50キロだぞ。本当にチャリかよ!?」
「何やってんだよ。追い抜けって」
「ああ、分かったから掴まってろ。それかドア閉めろ」
右車線に寄ったドライバーが、アクセルを踏み込む。もし対向車が来たら正面衝突するだろうが、今はヘッドライトの明かりすら見えない。誰も来ないという事だ。
「追いかけっこは終わりだ!」
相手の自動車が、さらに加速した。既に法定速度を超えているが、これから女子高生に合意なしのなにやらをしようという輩にとって気にすることではない。
(ふむ、やはり単純な速度勝負では、自動車が上でござるな)
当然の事ではあるが、ユイにとって時々忘れそうになることだ。
(道路も自動車用に想定して作られているゆえ、車の入れないような狭い道が無い。ならば――)
そっと、お尻を後ろに引く。サドルのある位置よりもさらに後ろだ。空力抵抗を避けるためだけの構えではない。体重を移動することで、タイヤのグリップを確保する。
(馬力でもコースでもなく、単純な『コントロール』で勝負でござるよ)
「おいおい、もうあの娘はいいだろ」
「俺も、ちょっとヤリたくねーわ」
「何言ってやがる。なめられたまま終われるか」
ついに、相手がユイを追い越した。――いや、実際には『ついに』というほどの時間も経っていなかっただろう。
このまま前に出て道をふさぐつもりである。先ほどのようにドアを開けてしまえば、確かに動きを制限できる。今度は歩道も無いうえに、側面は田畑だ。逃げ場はない。
しかし、
(これこそ、好機でござるよ)
その瞬間を、ユイは待っていた。タイミングを見計らって、急にブレーキをかける。
ズガガガガガガガッ!!
後輪ブレーキがロックし、タイヤが滑り出す。残った前輪に体重を預けて、しっかりと減速。そのまま、細い横道にそれた。住宅地に向かう道だ。
ドリフト気味に車体を滑らせて、方向を急激に変える。ユイにとってブレーキとは、ただ握るものではなく、前後左右に体重移動して駆使するものだ。
そのまま再びペダルを回したユイは、交差点からわき道に飛び込んだ。車はその交差点を通り過ぎてしまっている。今更Uターンして戻ってきても、その頃には遅い。
(小回りが利かぬ自動車にとって、この環境での追いかけっこは向かぬよ)
細い路地を数か所、適当に曲がる。その痕跡は追えないだろう。上手く撒いた。
「はぁー、はぁー、はぁー、んっ、くっ!」
息を切らせて、咳き込みそうになる。その音さえ、ユイは何とかこらえた。冷静に考えれば、その程度の音で見つかるわけもないのだが、
「うう……拙者を追いかけて、何が目的だったのでござるか? 拙者、大してお金も持ってないし、売れそうなものも無いでござるよ。あ、自転車でござるか? 確かに最近買ったばかりのピカピカでござる。おのれ、卑怯な……」
純粋なのか、それとも単に天然なのか、ユイの中に『自分そのものが狙い』という発想がない。このあたりが親友のイアに「無防備だよね」と言われる理由だろう。
「ふぅー……さて、奴らと鉢合わせせぬよう、その辺をぶらついてから帰るでござるか」
そう思って、ペダルを回そうとした。が、その時に右足をはじかれる。
「!?」
再び右足をペダルに乗せるが、またはじかれた。どうやらペダル自体が回らなくなったらしい。
(あー、今ので無理な力をかけ過ぎたでござる。ママチャリの足回りでは、耐えられなかったでござるか)
スポーツバイクなどと違い、ママチャリにそこまでの耐久性はない。車体の限界だろう。
(仕方ない。今日は片脚で帰るしかないようでござるな)
左脚だけで、ペダルを回す。踏み込んで勢いをつけ、その力を利用しながらペダルを戻す。その繰り返しだ。
走っているうちに、頭が冷えてくる。少しずつ、さっきの事を考えられるようになってくる。
(あ、もしかして、せっかく話しかけてくれたのに拙者が何も喋らぬから、それに腹を立てて追いかけてきたのでござるか?……だとしたら申し訳ない事をしたでござるな。相手は善意であったかもしれん)
そんな、状況的にはやや無理がある――とはいえ有り得ないとも言い切れない事を考えるのは、相手を思いやっての事ではない。せめてそう考えた方が、自分が楽でいられるからであった。
なんにしても、自転車を停めてしまえば普通の少女であるところのユイは、
自転車を走らせれば、誰にも負けない最強少女なのである。
だからこその余裕が、この能天気な思考回路を作り出すのだろう。
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