第4話 セーラー服と水冷式ユイ 【2539文字】

 鮮やかなブルーのママチャリが一台、大通りを走っていく。乗っている少女は息も乱さず、軽そうにペダルを回していた。

 もっとも、その表情は別な意味で重い。


(ううむ……九条殿のあの言葉、どういった意味であったのか?)


 同級生の男子から「好きだ」などと言われたのは、初めての事だった。それなりに男友達も多いユイだが、こういう経験は初めてである。

 まして、


(一方的に言って、一方的に『それじゃ、また』と帰って行きおるとは……つまり、返事は求めていない。イコール、別に告白とか、付き合うとかいう話ではないということか)


 そう納得しようと思うものの(そして実際にその通りではあるものの)、しかしモヤモヤした気分が残る。頭から離れない。


(拙者の聞き違いという可能性も捨てきれぬが、確認しようにも、その……のう)


 どう確認をしろと言うのか、困ったものだ。


 いつもより少しばかり速度を落として走っていたユイに、隣から声がかかる。


「あ、ユイちゃん。おはよー」


 ユイと同じ、緑色の襟に白いブラウスのセーラー服。赤いリボン。そしてユイの乗る自転車よりも、数段くたびれた銀色のママチャリ。


「おお、イア殿。おはようでござる」


 黒木 依愛くろき いあ。ユイのクラスメイトで、中学生時代からの親友である。もう5年以上の付き合いだ。

 細い銀縁のスクエア眼鏡と、丁寧に編まれた三つ編みがトレードマークの、ステレオタイプの図書委員みたいな子である。


「大丈夫? ぼーっとしてたみたいだけど?」


「ああ、いや、大丈夫でござるよ。少し考え事をしていただけでござる」


「ふーん。それならいいんだけどさ。ほら、今年は暑いし、熱中症とか脱水症状だったら心配だなぁって」


「ふむ。確かに」


 言いながら、ユイはハンドルに取り付けられたボトルホルダーに手を伸ばした。このボトルホルダーは、スポーツ車からママチャリまで、車種を選ばず取り付けられる。とりあえずハンドルに空きスペースがあれば、だが。


「それ、いいね」


「そうでござろう。飲み物だけは切らすと危険でござるからな」


 スポーツ用のボトルを握り、中身を水鉄砲のように飛ばして口で受け止める。


「それ、中身は何?」


「ただの水でござるよ。飲むだけじゃなく、かぶることも出来るでござる」


「え?かぶ……」


 意外な使い道……というより、耳を疑う使い道に、イアは困惑した。しかしユイは、


「うむ。普通はロードバイクなどに乗る選手がやることで、少なくともセーラー服ではやらぬと思うが」


 再びボトルを握り、水を出す。今度は自分の髪に向けて。


「わっ! え? 大丈夫?」


「うむ。濡れても風で乾くでござるからな。その際の気化熱を利用して、身体を冷却する仕組みでござる。思うよりずっと涼しいでござるよ」


 どうせ学校に着くまでには乾くだろう。そう高をくくったユイは、ブラウスにも水をかけていく。さすがに制服でやるのは初めてだが、やはり涼しい。


「イア殿もいかがでござる?」


 いかがも何も、そんなことする自転車ガチ勢はユイくらいなものである。が、


「え、えっと……うん。涼しそうだもんね。お願い」


 友達付き合いがいいのやら、断るのが苦手なのやら。


「では、いくでござるよ。それ」


「ひゃっ! あ、本当に涼しい。なんっていうか、ここだけひんやりした風が流れてくる感じ」


「そうでござろう? この時期は、空気自体も熱いでござるからな。体感する効果は絶大でござる」


 張り付いたブラウスに、すぅっと熱が吸い取られていく。そこを起点に体温が下がっていくので、全体的にもはるかに気持ちいい。汗が引き、身体がようやく正常に動いてくれる。


「ほんとだ。涼しいね」


「そうでござろう」


「でも……」


「ん?」


 ブレーキをかけたイアは、片足を着いて自転車を停めた。そして、濡れたセーラー服を指でつまむ。すっと持ち上げられた薄い布は、指から離れると肌に張り付き……


「ちょっと、恥ずかしいね」


 意外と着やせするらしい彼女の、それでもユイよりは控えめな身体の線を浮かばせた。なんなら、その健康的な肌や、それより少し濃い色のレースまで、


「むおっ、しまった! 制服でやると透けてしまうのでござるか!?」


「ええっ!? 気づいてなかったの? てっきり分かったうえでやってるんだと思ってた」


「分かっていたならやらぬよ。イア殿も止めてくれればよいものを……うひゃっ。拙者まで透けてるでござる!?」


 ユイ自身、制服でやることではないと教わっていたが、その理由がまさか『透けるから』だとは思わなかった。彼女にこの方法を教えてくれた人は、そこまで詳しくは説明しなかったのである。


「……このまま学校行くのは、さすがにダメかな?」


「拙者は嫌でござるな。……仕方ない。少し寄り道をして、人通りの少ない道を行こう。少し走っているうちに乾くでござる」


「どのくらいで?」


「まあ、今日は朝から暑いし、日差しも強いでござるからな。5分くらいでござろう」




 この日、彼女たちは裏道を使って学校に行き、涼しい気持ちのまま登校することが出来た。

 そして、見事に5分丁度の遅刻を達成したのであった。






(またアイツ遅刻かよ。今日はイアまで一緒に……)


 事情を知らない九条は、教室の前列の席から、彼女たちの様子を見ていた。


「――まあ、今回は美しい友情に免じるが、自転車バカもいい加減にしてくれよ」


 と、先生が説教を切り上げた。ちなみに、面目上は『イアが乗っていた自転車のチェーンが外れたので、それを直すためにユイが手伝っていた』ということになっている。嘘も方便だ。


「「すみませんでした」」



 声を揃えて一礼した二人が、自分の席にそれぞれ戻る。二人とも一番後ろの列だ。

 戻る際に、ユイがなんとなく九条の方を見た。目が合う。


(すまぬな。連続遅刻でござる)


 声に出さず、顔の前に手刀をかざして伝えるユイ。昨日の事もあって、なんだか九条には特別悪い事をしたような気になっていた。

 対する九条は、ふんっとそっぽを向く。昨日は思いがけず変な事を言ってしまった。それもあって、なんだか顔を合わせるのが恥ずかしいのだ。

 しかし、それが正しく伝わったかどうかと言えば、


(むむっ。昨日ノートを届けてやったと言うのに、その態度でござるか? そんなに遅刻が許せぬのか)


 伝わらなかったようである。まあ、伝わったら照れ隠しにならないのだが。

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