婚約破棄のそのあと
瀬織菫李
前編
よくある、といったら問題があるだろうか。
ここは王宮の広間。今夜は王家第二王子主催の夜会が開かれていた。そこで突然始まった婚約破棄劇。当人達にしてみれば劇などと言われれば噴飯物かもしれないが、他の参加者にとっては強制的に見せられた茶番劇に過ぎない。
公爵令息が侯爵令嬢と婚約を破棄し、男爵令嬢を妻に迎えるという。通常ではあり得ない事態だが、いきり立つ公爵令息に対し当の侯爵令嬢は何処吹く風で、扇を口許に当てて冷めた目で元婚約者を見つめている。
「なにか言ったらどうなんだエレオノーラ!」
「なにも言うことなどございませんわバレータ公爵令息様。強いて言うなら婚約破棄をされるのでしたら、今後は私の名を呼ぶのは止めていただきだいですわね」
バレータ公爵の三男マティアスが男爵令嬢に惚れ込み愛し合うようになり、それに嫉妬したエレオノーラが男爵令嬢に危害を加えようとした、それに対し憤ったマティアスがエレオノーラに婚約破棄を叩きつけた、というのがマティアスの言い分のようだ。
マティアスの追求に対し、否定も肯定もせず、婚約破棄のみ受け入れたエレオノーラ。泣いて縋られるか、反対に激昂し男爵令嬢に罵声を浴びせるか。そう予想していたマティアスは拍子抜けし、思わずそう叫んだのだ。
エレオノーラは内心で深くため息を吐く。どうして自分が愛情を注いでいないにも関わらず自分は愛されていると思うのだろうか。夜会でのエスコートは最低限で会場に着いた早々姿を消し、エレオノーラの好みではないセンスもあまり良くない贈り物が、明らかに代筆と思われるカードと共に届く度、エレオノーラから婚約者を慕う気持ちが消え失せていったと言うのに。
領地の運営に対する勉強にもおざなりで、父と相談し結婚時の進捗具合によっては、エレオノーラが女侯爵として立つつもりであった。
マティアスは気付いているのだろうか。今は確かに公爵令息という王族に次ぐ身分だ。しかし所詮三男。公爵嫡男は既に結婚し息子も産まれている。侯爵家の一人娘であるエレオノーラと結婚していればいずれは侯爵を継ぐ未来があったにも関わらず、勝手に破棄をし男爵令嬢と結婚などすれば、最悪勘当、良くてせいぜいが父の持つ子爵位を貰い受けるくらいしか出来ないと言うのに。そうなれば侯爵令嬢であるエレオノーラよりも身分が下になる。故にエレオノーラは名を呼ばれることを拒んだのだが、それをマティアスは傲慢と捉えた。
しかし、再び口を開こうとしたマティアスを遮る者が居た。
「エレオノーラ嬢」
「……わたくし、貴方に名を呼ぶ事を許した覚えはありませんわ殿下」
「ふ、不敬だぞエレオノーラ!」
周りで三人を見ていた人垣を掻き分けるように現れエレオノーラの名を呼んだのは、今宵の主催者であり第二王子アンリ。薄い金の髪がシャンデリアの灯火を反射し、アンリ自体が煌めいている様に見える。周りの女性から小さく嬌声があがるも、本人にとってはいつもの事の様だ。まるで気にした様子が無い。
王族といえど親族でもない未婚の女性の名をを軽々しく呼ぶなと苦言を呈せば、何故かマティアスが噛みついた。
「不敬かどうかは殿下が決める事です。先程名を呼ぶのは止めていただきたいと申し上げたにも関わらず、わたくしの名を呼んだバレータ様に言われる筋合いはございません」
「……くっ」
既にエレオノーラの中では婚約破棄は確定事項なのだろう。宣言したのが自分であるのに、これではまるで自分が婚約破棄されたようではないか。しかし、何もやり込められる様な言い回しが思い付かず、マティアスは黙ってエレオノーラを睨み付けた。
そんな二人のやり取りを可笑しそうに見ていた王子ーー夜会の主催者である第二王子アンリはマティアスには構わず、エレオノーラの前まで進むと、膝を着きエレオノーラを見上げながら、自らの胸に手を当てた。
「アンリ殿下!?」
王族が跪くなどあってはならないこと。驚きマティアスや周りの野次馬が声をあげるが、当のエレオノーラはその姿を黙って見つめた。
「エレオノーラ嬢。どうか私と結婚してください」
「ええっ!?」
アンリがそっとエレオノーラの手を取り指先に口付けると、広間にどよめきが沸き起こる。よもや婚約破棄されたばかりのエレオノーラに結婚を申し込む者が居るとは誰も想像していなかったに違いない。
「エレオノーラは嫉妬に狂って他人に危害を与える様な女です! アンリ殿下に相応しくありません!」
マティアスにとっては愛する女性を害しようとした女だ。王族に相応しいとはとても思えなかった為声を張り上げるも、アンリに冷たい目で見られただけだった。
「先程のエレオノーラ嬢が言った様に何が不敬か、何が私に相応しいかを何故君が決める? 非常に不愉快だ」
「あっ! あ、その……っ」
マティアスの態度こそ不敬。そうアンリは断じた。アンリはマティアスよりも五歳年上。歳の近い第三王子との交流はあったが様だが、アンリにとってはマティアスとの間に
「第二王子殿下。……ありがとうございます」
微かに頬を染め、跪くアンリを見つめるその愛らしい表情に、周囲の男性が思わず見惚れる。先程までマティアスを見ていた時の顔とは大違いだ。当のマティアスさえ一瞬目が離せなくなった。このような顔が出来るのか、と。
いつも自分を見る時は、無表情か嘲笑。そう感じていたマティアスは、今までにエレオノーラの心からの笑顔を見たことが無いことに気付いた。何年も婚約していたのに、自分にはエレオノーラを笑顔にする事が出来ていなかっただけなのか。わずかにマティアスの心に後悔が沸き上がる。
「では私の求婚を受け入れてくれますか」
「はい、殿下……謹んで
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