第3話 迷宮管理人
アーサー・ラドクリフは首をひねっていた。
王都から土の迷宮までの道は二日の距離だ。街道沿いにまっすぐ行けばいいだけの道のりであり、実際、軍の行軍では何度も通っている。見知った道であり、何の心配もない道だったはずだ。
そういえば、同僚のトーマスは、今回の王命でラドクリフが一人で迷宮に向かうと知った時、とても心配をしていた。
迷宮に入るのは危険とはいえ、土の迷宮のモンスターはそこまで強くないことは有名であるし、アーサー・ラドクリフは騎士団の中でも最強と呼ばれている男だ。王都では一人でいくつもの難事件を解決し、また悪漢を退治してきている。
「王都の中なら、何の心配もしない。お前はいろいろ非常識だし、トラブル体質だから、心配なんだ」
トーマスは王命を受けて出発することになったラドクリフにそう言った。
「俺はいたって、良識人だが」
「良識があることと、お前自身が非常識なのは両立するんだぞ?」
「俺がキノコごときに後れを取るとでも?」
過保護としか思えぬ親友の言葉に、ラドクリフは苦笑するしかないかった。
そして出立して三日たつまで、親友の心配を杞憂だと思っていた。だが、次第に笑えない事態に陥ったことに気づき始めた。
街道を真っすぐ進んだはずなのに、目的の土の迷宮にたどり着けない。途中、獣に襲われたり、山賊を退治したことも原因だろうが、本来あるべきはずの途中の村さえ道沿いにない。
これは一体どういうことなのだろうか。ラドクリフはまるで呪いにでもかかったかのような気分だった。そういえば、昔、ラドクリフはトーマスに『道を違える呪い』にかかっているのではないかと、言われたことがある。
あれは冗談ではなかったのだろうか。
七日目の朝。
野営をしているところに一人の少年が現れた。
「こんなところで何しているの?」
トムと名乗ったその少年にラドクリフは驚いた。奥深い森の中に、年端も行かぬ子供が迷い込んだのかと思ったからだ。
「やだなあ、騎士さま。僕の住んでいる村はすぐそこだよ?」
少年の言ったとおり、村はすぐそばにあった。名を聞けば、土の迷宮に一番近い村だ。
どうしてこうなったのかわからないが、ラドクリフはどうやら正しい方角に進んではいたらしい。
「土の迷宮は、あの道を上った先だよ」
少年はこともなげにそう言ったが、ラドクリフは安心できなかった。少年を疑ったわけではなく、自分に呪いがかけられているのではないかと思ったからだ。少年に頼み込み、土の迷宮まで案内してくれるように頼みこんだ。
果たして、少年の案内で坂道を上ると、茶色のローブを身にまとった長い明るめの茶色の髪の美しい女性がそこに立っていた。
「ひょっとして、あなたが土の迷宮の魔術師、エリン・ルコラート殿か」
「たぶんそうだと思うわ」
そっけなく答える女性を見つめるラドクリフは驚く。
迷宮管理人は最高レベルの魔術師がなるもので、たいていは高齢だ。しかも、求められる力に比べ、辺境の勤め先であるから若い魔術師には嫌われると聞いている。
目の前にいる女性は、まだ若い。おそらく二十八歳であるラドクリフより若いであろう。しかも、土の迷宮管理人を表す茶色のそっけないローブ姿ですら、美しさを隠せない。
胸がドキリと音を立てる。
ラドクリフは自分が彼女のブラウンの瞳に囚われてしまったかのように思えた。それは、彼女が迷宮管理人で強い魔力を持っているからなのだろう。
以前、訪れた火の迷宮の管理人は五十代の男性だった。噂では水の迷宮の管理人は八十代の男性だとも聞く。
まさか、これほど若くて美しい女性が管理人だとはラドクリフは思わなかった。
「失礼。思っていたより随分お若くて、美しい方だったので」
ラドクリフは慌てて頭を下げる。
「俺は近衛騎士団に所属のアーサー・ラドクリフだ」
「どうも」
にこりと微笑んだものの、エリンの表情は変わらない。
明らかにラドクリフを警戒しているようだ。
年頃の娘が、このような辺境で一人で暮らしているのだ。役目とはいえ、男性がやってくれば警戒するのは当然だろう。
むろん、迷宮管理人ということは、この国有数の魔術師だ。そこいらの男が束になってもかなわぬほど強いのは間違いないが、それでも、若い女性なら男性を警戒するのは当たり前である。
その反応は彼女の貞淑な性質から生まれるものだろう。
「王命で『歌うきのこ』がいるのだが、迷宮を開けてもらえるだろうか?」
ラドクリフは命令書をエリンに差し出した。
王命を受けたのは一週間前。思いのほか時間がたってしまった。そのことに思い至れば、のんびりもしていられない。
馬を預けたあと、ラドクリフはエリンの仕事部屋に案内された。
かなりの種類の薬草が置かれているせいか、独特なにおいだ。エリンは平気な顔をしているが、さすがにラドクリフは思わず顔をゆがめてしまった。
無論、ここで研究を重ねられた薬が王都にとても必要なことはわかってはいる。ただ、臭覚は理性でコントロールが難しい。
「歌うキノコは、第二層のこの辺りに生息しています。奴らは火の魔術に弱いですが、商品価値が下がるので、火の魔術の使用は避けられた方が無難です。奴らが『歌う』と、胞子を散らしますので、目を傷めることがありますのでご注意を」
エリンは机に地図を広げながら指を指した。
「そこに行くにはどうしたらいい?」
「基本、一本道です。第一層のここから第二層へと降りられます。分岐もあまりないのですぐわかると思います」
一本道、と聞いて、ラドクリフは、自分がここまで来た道のりを思い出す。
王都から土の迷宮まで、ほぼ一本道だと、ラドクリフは聞いていた。そして、自分も真っすぐに歩いてきたはずだ。それなのに、どう考えても予定通りに進めていない。
「ところで、ルコラート殿。つかぬことを聞くが、『道を違える呪い』というのを聞いたことはないか?」
迷宮管理人であれば、ラドクリフにかけられた『呪』のことを知っているかもしれないと、ラドクリフは意を決して訊ねたが、エリンは知らないと答えた。
高位の魔術師であるエリンが知らないのであれば、やはりあれはトーマスの冗談の類なのだろうか。そもそも、ラドクリフにそんな呪いをかけそうな存在に心当たりがない。
「万が一をご心配なのであれば、こちらのアクセサリーを身に着けてください。いざという時に私があなたを探すために必要になります。必要がないことを願いますが、身に着けておいていただければと思います」
エリンはそんなラドクリフを安心させるように魔石のついたネックレスを差し出した。
そこまで言ってもらったら、これ以上エリンの手を煩わすことは出来ない。
ラドクリフは言われたとおり、まっすぐに迷宮を歩き始めた。
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