君、転生する事なかれ(仮)

@itatata

第1話

 ポメラニアンのななこを飼い始めてもう二十年。彼女も、もう、かなりのお婆さんになってしまった。彼女が来た日の事を、俺は、今でも、昨日の事のように思い出せる。なにせ、俺がペットショップで見付けて来たのだから。




 ななこを入れて、うちの家族は全部で三人と一匹。……だった。両親は数年前に他界していて、今は、普通の一軒家に、俺とななこだけ。




 そして、今、まさに、そのななこも、息を引きとろうとしている。目を閉じて、浅い呼吸を繰り返しているななこは、もう一時間くらい前から、声をかけても、なんの反応もしない状態。病状が悪化してから動物病院に入院していたのだが、もう手の施しようがない状態なので、今朝、退院して家に帰って来ていた。




「ななこ。今までありがとうな。父さんと母さんがいなくなった後さ。お前がいてくれたから、俺は頑張って来られたんだ」




 強がって、俺はそう声をかける。当たり前だけれども、ななこは、なんの反応も示さない。




「お前と、二人になって、何年だったかな? すぐには、思い出せない。しょうがないよな。どんなに頑張ったって、お前の方が俺より早く死ぬんだから」




 止まる事なく流れている涙が、勢いを増して更に流れ出る。




 ななこの耳が少しだけ、ぴくりと動いたと思うと、ゆっくりと、微かに、両目が開く。鼻が俺の匂いを探しているかのようにひくひくと動き、それから、小さく、くぅーんと鳴いた。




「ななこ」




 俺は、それがななこの最期の鳴き声だと、なぜかすぐに分かった。




 ななこは、死んでしまった。俺は、かけがえのない家族をまた一人、失ってしまった。




 それからの日々の事はよく思い出せない。ななこの亡骸を火葬場に持っていて、ペット用のお墓に入れて。それから、それから、なんと、今度は、俺が死んでしまった。死因は、交通事故。元々、仕事が結構忙しくって、それに、ななこの事が重なって、それで、心労も過労もかなり溜まっていたらしい。そんな状態で、家の近所の国道に差し掛かった時、一匹の猫が道路に飛び出したのを見てしまった。咄嗟に俺は駆け出していた。全然運動なんてしていない、三十歳の肉体は、自分の想像以上に衰えていて、あっさりと俺は車にはねられてしまった。ちなみに。猫の生死は不明だったりする。




「はいはい。回想はそれまでで。天星智さん。目を開けるのです」




 女性の声が聞こえたので、俺は目を開けた。




「ここは?」




 周囲を見回しながら俺は横になっていた体を起こす。周りには背の低い緑の草が広がっていて、俺は草原の中にいるようだった。




「ここは、ペットだった動物達が死後に来るあの世のとある場所です」




 声のした方に顔を向けると見た事のない顔をした二十代くらいの女性がそこには立っていた。




「は、はあ?」




「ただ、ここに来るペット達はペット達の中でも、皆、次は人間に転生したいという強い思いを抱いていた者達です。あなたは今日からここで先生をやるのです。ここに来たペット達が転生した時に人間として普通にやって行けるように教えるのです」




「は、はあ?」




「では早速、最初の生徒を紹介します。ななこ。おいで」




 女性が言うと、どこに隠れていたのか、女性の陰から一人の少女がひょこっと姿を見せる。年の頃は、十歳前後か。その子はとても綺麗な銀色の髪が印象的な小柄な少女だった。




「わふわふ」




 少女が鳴いた。鳴いた?




「これは夢ですか? いや。でも、さっきの回想で、俺は自分が死んだと言っていたような。うーむ」




 小首を傾げる俺に、少女が飛び付いて来ると、俺の顔をぺろぺろと舐めた。




「お、おう? ちょっと、くすぐったい。というか、こら。君、やめなさい」




「わふん?」




 少女が舐めるのをやめて小首を傾げる。




 俺は少女を自分から引きはがすと、女性の方に顔を向ける。




「夢だの死んだのはもうどうでもいい。なんて性質の悪い冗談だ。よりもよってななこという名前で、犬の鳴き声を出して。これじゃ、この子があのななこだと思ってしまうじゃないか。だが。あんたが何者かは知らないが、肝心な設定を間違っている。ななこは、二十年生きたんだ。ななこは、ななこはな、人間の年齢に換算すると、九十以上のお婆ちゃんだったんだ。こんな姿のはずがない」




「きゅうう~ん?」




 少女が傾げている小首を反対の方向に傾げる。うん。うん。君に罪ない。大丈夫大丈夫。




「設定は自由に変えられます。なにせ、私は、その手の事を全部やっている神なので。それで、その子は正真正銘の、あの、あなたが一緒に暮らしていたななこです」




「は、はあ?」




 俺は、少女、いや、ななこの顔をじっと見つめる。




「はふはふはふ」




「俺が俺だって分かるのか?」




「わ、わん。わふ~ん」




 少女が再び俺に飛び付いて来る。




「ななこ。ななこなのか!!! 本当に、あの、ななこなのか?」




「わふ~ん」




 こんな事があるなんて。また、ななこに会えるなんて。




「嬉しいのは分かりました。けど、あんまりじゃれるのはどうかと思います。その子はななこですけれど、今はもう人の姿をしています。それに彼女は、この後、人間に転生するのです。そういう犬みたいな事はやめさせないと駄目です」




「ななこ。お前、人間になりたいのか?」




「くふーん」




 ななこがなんとも言えない変な顔をする。




「どうした?」




「そうでした。ここからチュートリアルっぽくしましょうか。題して、ウキワクあの世ライフ。僕は君を人に転生させる! チュートリアルなんていうのはどうでしょう?」




「ななこ。何かあるのか?」




 俺は自称神の言葉をあえて無視してななこに声をかける。




「無視ですか。じゃあ、もう何も教えませんよ? 今から教えるのは凄く大切な事ですよ。教わると、ななこが人の言葉を一瞬にして話せるようになりますよ」




「どうか教えてください。お願いします」




 俺は一瞬にして、神の軍門に降った。




「早いですね。でも、素直なのはいい事です。では、教えますね。ななこだけではなく、これからあなたの前に現れる子達は、最初は元がどんな動物なのかは分かりません。あなたは相手の子がなんの動物なのかをその子の仕草や姿の特徴などから自分で探り出さなくてはなりません。それができたら、その子は人の言葉を話せるようになります。あなたは相手の子がなんの動物か分かったら、その子にキスをしてから、その子がなんの動物だったのかその種類を言うのです。ななこはポメラニアンですから、ななこの唇にキスをしてから、爺の名にかけて謎はすべて解けて丸々っとお見通しだ。君はポメラニアンだ!! どど~ん。と言うのです」




「あの。なんていうか、それはやらないと駄目なの?」




「それは、とは?」




「いや、唇にキスとか、その至極バカっぽいせりふとか?」




 神がにこりと笑う。それは、とてもとても神々しい笑みでした。




「駄目です」




「なんでですか? いらないと思うのです」




 俺は食い下がる。




「私が見たいからです。異論は認めません」




 神がそれはそれは威厳に満ちた表情を見せつつ言った。




「くう~ん。きゅうぅ~ん」




ななこが寂しそうに鳴く。




「どうした?」




 頭を撫でると、ななこがとても嬉しそうな顔をした。




「さあさあ。どうですか? 彼女と話をしたくなりませんか? 今は曖昧ですが、ちゃんと彼女は人語を理解するようにもなりますよ。彼女は前世の事もちゃんと覚えていますよ。昔話に花が咲きますよ~」




 神が興味津々といった顔で言う。




「あんた、俺が、恥ずかしがる所が見たいのか?」




「うふふふ。長い事神なんて者をやっていると性癖が歪む物なのです」




「ななこはどう? 俺と話をしたいか?」




「わんわん」




 ななこが元気よく鳴いた。




「ええーい。こんな物は一瞬だ。でぇいやー」




 俺はちゅっとななこの唇を一瞬だけ奪う。




「ヒューヒュー」




 神が黄色い声を上げる。こいつ、いや、このお方、いつかぶっとばす。




「爺の名にかけて謎はすべて解けて丸々っとお見通しだ。君はポメラニアンだ!! どど~ん」




「ねえねえ、ななこは、ななこはね、会いたかったんだよ。ずっとずっと、君に会いたかったんだよ」




 ななこがとても嬉しそうに微笑んだ。




 その日から、俺の、ウキワクあの世ライフ。僕は君を人に転生させる! 本編が始まったのだった……?

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