大統領で綴るアメリカ史
北風 嵐
第1話 新大陸の発見
当時ポルトガルが東回り航路でインドに到達するべく次々と船を出したのに対し、コロンブスは西回りでインドに到達する事を計画。スペインのイサベラ女王の援助を得て出発した。大陸発見(1492年)とあるが、現在のバハマ諸島の一角であったことは知られるところである。
その後、イタリアの探検家にして地理学者アメリゴ・ヴェスプッチはスペインやポルトガルの支援のもと探検し、1503年頃に論文『新世界』で大陸であることを証明した。アメリカの名前は彼の名前から由来している
ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸各地の探検が行われ、植民地化が急速に進行した。先行したのはトルデシリャス条約*によってローマ教皇のお墨付きを貰ったスペイン、ポルトガルであった。スペインはカリブ海諸島と南米大陸の大部分を、ポルトガルはブラジルを植民地にした。
スペインはその後、16世紀半ばまでにアステカ帝国およびインカ帝国を滅ぼして、南アメリカ西部から中央アメリカ、メキシコに至る地域を支配下においた。
*注:子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた条約
スペイン、ポルトガルに後れを取ったイギリスやフランス、オランダは17世紀に入って北米に植民を開始した。フランスはセントローレンス川中流域に植民基地ケベックを創設し、主にインディアンと毛皮(ビーバーの毛皮等)の交易にたずさわった。さらに、五大湖地方からミシシッピ川流域に南下して、1682年にルイジアナとして領有した。
イギリスは、1607年に特許会社(国王の特許)によってジョージアに作ったジェームズタウンが最初である。ニューイングランドと称される北東部の諸州に次々と植民地を作っていった。フランスと違って定住農耕の植民であった。
オランダは最も遅くハドソン川河口に割り込む形でニューネーデルラント植民地を作ったが、イギリスがこの地を領土化した。今日のニューヨークの始まりである。
新大陸の発見によってヨーロッパにもたらされたもの。農産物としては、トウモロコシ、サツマイモ、トウガラシ、アンデス高原原産のジャガイモやトマト、熱帯アメリカ原産のカカオなどが伝えられた。いずれも現代では世界中で重要な食糧となっている。他にタバコがある。タバコは原住民の儀式や占い、魔除けにも用いていたが、ヨーロッパにもたらされ、当初は薬として使用されていた。
それと銀である。ヨーロッパへの新大陸産の銀の大量流入は、物価を急騰させることとなり、いわゆる価格革命が起こり、ヨーロッパ社会の構造転換の一つの背景となった。銀は世界的にも基本通貨としての訳度をもっていたが、その大量流通によって銀価格が下落したため、次第に本位貨幣としての位置づけはなくなり、1816年のイギリスに始まる金本位制に世界の大勢は移行していく。
ヨーロッパがアメリカにもたらしたもの。あまりいいものはない。先住民族と接触するにつれて、免疫性のない病原菌を持ち込むことになった。天然痘、チフスといった疫病の大流行によって先住民族の人口は激減した。人口減は征服による殺戮や、過酷な労役等にもよったが、先住民征服を容易にしたのはこれらの疫病であったといえる。コロンブス航海の後1世紀半で、アメリカ大陸の先住民族人口は80%減じたと見積もられている(1492年の5千万人から1650年には8百万人と推計。北米では白人が入植した当初は、先住民は約1000万人いたと推定されている。)。
逆に大陸からヨーロッパにもたらされた病気としては梅毒がある。元来はハイチの風土病だったと考えられている。
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