私も彼も、変わらない。

文綴りのどぜう

遺書。

執行まで、あとどのくらいだろう。


冷たい金属が俺を囲ってもう5年は経った。日にちや年月の感覚は曖昧だが、冬を迎えた回数さえ覚えてれば大体数えることはできる。若い衆はぶつくさ言いながら何人かでまとまって暮らしている。そんな生活は俺も昔経験したが、今度の居場所は独房だ。見張りはいつもウロウロしているが、別段話し相手がいるわけでもないので俺はただ、椅子に座って本を読んだり文字を書いたりしている。労働は願えばできるようだったが、もうこの檻の中で死ぬ事が決まって来ている身だ、今更誰かの為に何かをしたいとは思わない。シャバにいた頃好きだった物書きは未だにやめられないので、紙と鉛筆をねだりながらこれを書いている。死刑囚というのはいついつに執行されるか、予め告げられない。だからその日暮らしで、基本的に自由に生きている。死ぬ前に書きたいことを書いておこうと思って、今も鉛筆を握っているというわけだ。

俺がしたことは殺人だ。21人殺した。1人は若い女、あとはそいつが担任していた教室のガキ達。俺は仲間2人と手を組んで教室の入口を塞ぎ、毒ガスを撒いた。清掃員の格好は誰にも怪しまれなかったし、校舎裏に転がってるプロパンの容器に似せたガスタンクを持ち運んだから、「お疲れ様です」なんて呑気に挨拶までされていた。 作戦は周到に用意をしていた。前日、仲間が教室のある別棟に入って窓の鍵に細工をした。内側からだけ開けられないように。作業は外からやって、開け閉めして見せたので隠蔽は完璧だった。その次の日、授業が始まってそれぞれの教室に人が集中するタイミングで俺たちは別棟に入った。ガスタンクに繋ぐチューブを、教室下の小窓に差し込む。2つの入口に仲間を立たせて、ドアの点検、壁紙のチェックを装った。ただの清掃員とはいえ授業中にイレギュラーな来客、ガキは煩くはしゃいでいた。透明な細いチューブは、遠目からは気づかれにくい。別棟の中で苦しむ声をあげたとしても、校舎までは距離があるからすぐには気づかれない。異変がわかる頃には全員死んでいる。

「じゃあ、作業は以上になります。お邪魔しました。」

必要以上に丁寧に会釈をした。わざとらしかったかな。先生の返事を聞き、俺たちはチューブを伸ばしながら裏へ回った。裏手に置いたタンクにチューブを繋ぎ、コックを捻る。1人先に戻ってエンジンをふかしていたバンに急いで乗り込み、俺たちは別棟を後にした。


嫌な顔の刑事に手錠をはめられたのは、それからたった3日後の事だった。逃げるのに使ったバンのナンバープレートから足がついて、仲間の1人が捕まった。そいつが全部ゲロったので、3人仲良く御用というわけだった。

そもそもなんでこんなことをしたのか。理由はほんの些細なもんで、軽い実験の気分だった。俺たちは同じ大学で出会い、同じ文学サークルで活動していた。推理小説、ホラー小説、ミステリー。好きなジャンルまでだいたい揃っていた俺たちは、専攻の化学を修めながら犯罪学に興味を持った。よくある「ハンカチにクロロホルム」みたいな嘘半分で曖昧な手口ではなく、何十年か前、地下鉄で毒を撒いて多くの犠牲者を出したというアレのような派手な犯罪はどのように遂行するのか、その詳細を研究したかった。表向きは推理小説の楽しさをプレゼンしつつ、俺たちは隠れて人殺しを研究していた。物語の中に出てくる犯罪者達は、いつも筋道立てられた優秀な手口を使う。メタなことを言えばそれは犯人が考えた手口ではなく、書いた作家が考えたものだ。だからそんな手口を思いつく作家の中にも狂気があるはずだ。3人でいつもこう思っていた。その狂気が自分達の中にもあるとわかってからは、試さずにいられなかった。果たして俺らの頭は通用するのか。この本の中の犯罪者達のように人を殺せるのか。毒に対する知識はあったので、あとは実行するだけだった。それの標的がたまたまあの教室の奴らだっただけだ。


ここまで書いた時、男は看守に呼ばれた。執行が告げられ、文章は未完のままとなった。男の手汗が染み、禿びた鉛筆と紙は片付けられかけたが、男の胸中を知りうる最後の物品として、「遺書」の名前で保存されることになった。


男は文字を書きながら、それまでの人生で当たり前にしていたことを同じようにこなしていた。髭が伸びれば剃り、粗末な飯を食った。歯を磨き、顔を洗い、週3回風呂にも入った。多くを殺した死刑囚にも生命はあり、体内では赤い血が緩やかに流れ、生命活動の結果として老廃物は生じた。便も出れば髪も伸びた。誰かの心臓を止め、その命を奪った彼にも命はあった。もはや何のために在るのか誰にもわからない命が。果たして命の価値は平等だろうか。本当に胸を張って言えるだろうか、平等だと。人は色々な場所で産まれる。田舎町、大都会、先進国、砂漠に囲まれたオアシス、ジャングルの傍ら、山嶺の帝国。そして様々に命を使い、死んでゆく。路傍に骨が転がるような場所も、丁重な墓が建つ国もある。大金を手にし狂う人、口に糊する貧困層。学を修め世の為に辣腕を振るう者。全てに絶望し、車を駆り大衆のうねる交差点へ突っ込む者。命ある人全ては多様に生き、一様に死ぬ。社会で輝き、必要とされる人も、刑務所で死の宣告を待っていたこの男も、同じように朝、髭を剃る。飯を咀嚼し、睡眠をとる。

独房で文字と向き合った男は今日、死んだ。装置は滞りなく動き、脈の止まった彼は荼毘に付された。道は違えど、男の人としての始まりと終わりは、不思議なほど綺麗に一本の道であった。あの世に天国やら地獄があるのなら、今頃閻魔様に舌でも抜かれているのだろうが、それでも彼は生き、死んだ。刑務官として勤めている私の目から見ても、彼は残忍ではなかった。犯した罪こそ非道であったが、なぜか綺麗に生きているように見えてしまった。執行までの「余生」を全うしている、飾り気のないただの1人の人間だった。非難するのは簡単だが、人の中に湧く善悪は何処から生ずるのか。少し違えば、彼も普通に全うに生きたのでないか。いや、「普通」とは何なのだろうか。犯罪という悪を非難するその目は、言葉は、いったい何処までが「善」なのだろうか。執行前のあの日々、当たり前のように髭を剃り、顔を整える彼を見て、そんな事を思った。

今日も業務としての見回りを終え、空の独房が1つ増えた廊下を周り、机に戻った。

いつもより少しだけ、コーヒーが熱かった。

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私も彼も、変わらない。 文綴りのどぜう @kakidojo

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