愛しの先輩に告白したら、ネクロフィリアだった

或木あんた

第1話 君がそこにいるのなら。

「……私は、ネクロフィリアなんだ」


 放課後の屋上。

 片想い歴一年の俺と、その意中の先輩が向かい合う。

 先輩は病気がちな儚げ美少女だ。でも、どこか物言いが遠回しというか面倒くさくて、そんなところがたまらなく愛おしいと思う。

だから、一大決心をして告白したのだけど。


「……」


 俺は、全く表情を変えなかった。否、変えられなかった。


 ……ネクラ、何?


 大見得を切ったものの、知識不足でよくわからない。特殊性癖とくしゅせいへきがどうとか言ってたけど。

なのでとりあえず誠意の眼差しのままじっと見つめていよう。

そんな俺の様子に、先輩は困惑した様子で、


「……ひいた……?」

「見くびらないでください」


 ほとんど脊髄せきずい反射だった。


「先輩を想う俺の想いに、NGの二文字はありえません。おおいに結構、ぜんぜんイヤじゃないです、それくらい俺は先輩のこと、本気なんで」


「……」


 先輩は、ぽりぽりと頭を小さく掻いてから、


「……ほんき…ね」


 その後しばらく沈黙した後、


「……少し、……考えさせて」


「え、まじ、やったあっ」

「お、オーケーとは言ってない。それに考えるのにも条件がある。それでもいいなら」


 先輩は「とりあえず……」と、ごそごそ鞄から紙袋を取り出し、


「これ、DVD。明日の放課後までに全部見て来て。それが、一つ目の条件」




 高揚感が全身を満たし、小気味のいいステップを踏みながら自宅のドアを豪快に開け放つ。先輩の言葉を回想してにやけが止まらない。リビングでアニメをみていた妹(小六)からテレビ前を奪い取り、プレーヤーへディスクを入れる。特大ブーイングが間近で奏でられるが、気にしない。


『私は、ネクロフィリアなんだ』


 ……そういえば、あれ、どういう性癖だったんだろう。


 ディスクが高速回転をはじめる音が聞こえ、俺はなんとなしにスマホを取り出し、


『ネクロフィリア 意味』


 検索。






『 死体性愛 』






「    」


 ゴトッ。

 スマホが滑り落ちた。

 え?  


 その瞬間、リビングの大きなテレビ画面には、肉が崩れ、目玉の飛び出した人間が大きく映し出される。ドロドロに腐食した目も当てられないような死体を目の前に、貧相なヨーロッパ系の男が裸になり。


「ええええええあああああああああ!?」


 画面上で繰り広げられる光景に、思わず悲鳴をあげる。

 あっという間に、リビングが惨状と化した。




「それで、……感想は?」


 翌日。

 放課後の図書室で、先輩がいぶかし気に尋ねてくる。


「……全部見れた、よね。昨日キミが言ったことが本当なら」

「……見ました、一応、全部」


 正直、地獄絵図だった。あの後、妹は口をきいてくれなくなった。エログロ映画を一晩に4本も見たせいで、とにかく体力と気力が振り切れている。……でも。


 俺は親指を立てて見せる。


「めちゃくちゃ面白かった、です」

「……なっ」


 先輩が綺麗な眉根を寄せ、驚いたような困ったような複雑な表情をする。

 甘いですね、先輩。

 エログロ程度で俺が引き下がると思ったら、大間違いですよ。


「……そう」

「ええ。……ただ、流石に眠気はMAXです……」

「そ、それは、……全部見てくれるとは、思わなかったから……」


 最後の方は、小声で良く聞こえないが、細かいことは気にしない。

とにかく。


「どうですか、先輩。これで俺の告白、考えてくれる気になりました?」


 先輩は一度視線を逸らし、少し考えた後で。


「2つ目の条件」

「えっ」

「明日の土曜日、行きたいところがある。……少し付き合ってほしい」

「え!」




「……え?」


 そびえ立つ大きな建築物に、俺は困惑の声を漏らした。

 場所は、私立病院。

 なんでも、先輩の親が理事長を務めているらしい。

 浮ついた期待に心躍らせていた俺は、落胆する。しかし、先輩は、


「大丈夫。これからキミも一緒に、いいところに連れて行ってあげるから」


 そう言ってたどり着いた先は、霊安室れいあんしつだった。

 霊安室?


 脳の回転がついていかない。


「ほら、これ。何だと思う?」


 彼女が指さす先には、病床があって、その内のいくつかには白い布が被さって盛り上がっている。

 いやいや。

 ひりひりと本能が危険を感じる。


「……、死体、ですか?」


 恐る恐る聞くと、先輩は、


「そう。本物の死体。……触れてみる?」


 先輩が俺の手を取り、そっと白い布の下に手を差し入れる。

瞬間、指先にドキッとするほど冷たさが感じられ、


「ヒッ!」


 思わず手を引いた。

 ヤバいヤバい。さすがにこれはヤバい。

 心臓が脈打ち、寒くないのに息が震える。

 そんな俺の様子は見ないまま、先輩は遠くを見るようにして、


「想像できる?」

「ネクロフィリアってさ、これと、するんだよ」


 ドクン、と身体のどこかが鳴った。


「できる?」


「二つ目の本当の条件は、この質問に答えること」

「……もう一度聞こう。……キミは、できる?」


 先輩が俺の顔を覗き込むようにして尋ねる。

 透き通った瞳が、鈍い輝きを放って俺を見つめている。

 少しだけ深呼吸をして、改めて自分の気持ちを考えてから、口を開いた。


「……できる、わけないです」

「……やっと聞けた」


 その瞬間、先輩が安堵したような傷ついたようなよくわからない顔をして、


「それがキミの本音だ。キミは、ネクロフィリアにはなれない。性的嗜好しこうの異なるものが無理して付き合っても、結局互いのためにならない。 だから……」


「ちょっと待ってください、違います」


「え?」

「確かに俺はその死体とそういうこと、できないって言いましたけど、だから先輩と付き合えないってのはおかしいです」

「言ってることがわからないな。キミでは、ネクロフィリアの私を理解できないといっているんだ」

「……いやそういう問題じゃなくて」

「じゃあ、どういう……」


「だって俺、別にこの人のこと、好きじゃないので」



「……えっ」


 俺の発言に、先輩はあっけにとられた顔をする。


「生きてようが死んでようが、好きじゃない人とはしたくないんですが……」

「じゃあ、この人がもし、私だったら?」

「……」

「……できる、かもです」

「ええっ!?」

「だって俺、」俺は触れるほどに顔を近づけ、


「先輩とだけしたいんでっ」


 みるみるうちに赤面する先輩。


「……なに、いってるのよ……」ついにはその場にしゃがみ込んでしまう。


「何言ってるんでしょうね、本当。俺も自分がわかりません。それくらい、先輩に……」


 睨まれる。


「それ以上言ったら、昨日の倍ネクロってるDVD見せるから」

「……」

「……キミは、本当に、どうかしてる」

「どうかくらいしますよ、先輩とどうにかなるためだったら」

「そうやって言えば何とかなると思ったら、大間違いだから」


「まさか、ただ俺は…」たたみかけようとして、止める。

 先輩の目じりには涙が浮かんでいた。


「……え、……先輩?」


「……想いだけでなんとかなるなら、私だってとっくにそうしてる」


「……どういう意味、ですか?」


 先輩が、静かに微笑む。

 急に嫌な予感がした。浮ついた空気が瞬時に冷める。

『なんとかできない何か』とは一体何なのか。その正体が、先輩のただならぬ様子からとてつもなく不吉なものに思えて、質問したことを後悔する。

 しかし、時はもうすでに遅かった。全てが遅かった。先輩が口を開く。


「私、もうすぐ死体になるの」


 霊安室の扉が開き、白衣をまとった中年男性が俺達に駆け寄る。


「この子の父です。その先は、私から説明します」




 突拍子とっぴょうしもない話だ、と思った。

 先輩本人を残して別室に案内され、先輩の父親から話を聞く。

 

 先輩は、余命いくばくもない命なのだと。

 半年前、海外の発展途上国で事故に遭って。そこで、不運にも傷口に現地の感染者の血液を浴びてしまい、新型ウイルスの保菌者となったと。

 何でもその新型ウイルスは潜伏期間がとても長く、粘膜、血液接触で感染する。先輩はもともと先天性の心疾患しんしっかん呼吸器疾患こきゅうきしっかんを持っていて、新型ウイルスが本格的に発症したら、身体が耐えられず、ワクチンも薬も、データも不足していて、詳しいことはまだ分かっていなくて。


「ただ、わかっているのはそのウイルスは、死後三十分で死滅すること」


 そこで、先輩の父親は主人公に向き直る。「君は、娘のことが好きか?」


 肯定すると「なら……」言いよどんだ先輩の父親は声を震わせて言う。


「娘が死んだ後、抱いてあげてほしい」


「え」


 本当に、吐き気がするくらい突拍子もない話だ。


「頼む。娘は思春期を迎えてから、いつか自分の想い人と関係を持つことを夢見ていた。……しかし」


 抑えきれない何かを必死に押さえつけるようにして、先輩の父親が黙り込む。しばしの沈黙の後、


「しかしそれも、諦めざるを得なくなった。そのことを告げた時、娘は取りつくろった笑みで、こう言っていた。『 じゃあ、残された手段は死姦しかんくらいだね 』」


 そこで先輩の父親は、俺に向き直り、床に手をついた。


「お願いします。娘の夢を叶えてやってください。ウイルスは死後三十分で死滅するが、人間は死後一時間で死後硬直しごこうちょくが始まる。その三十分の間に、お願いします」


「なっ」


 怒りが込み上げてきた。自分の想い人と死後交わることを、さも簡単な用事かのように言われたことに、強く憤りを覚えた。一方で、その憤りをぶつける相手は少なくとも、何かを必死に堪え続けている目の前の男ではないこともわかっていた。

 胸の奥が、ずしりと重たくなる。


「……私は職業柄、多くの患者を看取ってきた。主観でしかないが、死後硬直の前までは、まだ魂は身体に宿っていると思っている。……だから、あの子がこの世界から完全にいなくなる前に、娘を……、お願いです、あの子に代わって、お願い、します」


 再び頭を下げる彼の姿に、俺は自分が言った言葉を思い出す。


『どうかくらいしますよ、先輩とどうにかなるためだったら』


 どれほどの覚悟を持てば、そんな言葉を言う資格があるのか、わかってなかった。……でも、


「俺は、先輩のことが好きです。初めての相手は、……先輩がいい」






 その時は、思ったよりも早くやってきた。


 先輩の父と約束した日から二週間。

 俺はあの日から先輩に付きまとい、共に時間を過ごしてきた。色々なことを知った。先輩の癖、苦手なもの、お気に入りの景色、全てが新鮮で、その度に見える彼女の新しい表情にドキドキした。

 先輩は相変わらず押しに弱くて、俺の直球アピールに赤面してからの「き、キミは、どうかしている」が定番になった頃だった。


 知らせを受けた時は、本当に冗談かと思った。

 心が、理解を拒否したのかもしれない。


 先輩の最後は、とても静かとは言えなかった。

 扉の外からでも漏れ聞こえる、荒れ狂う救命機器きゅうめいききの電子音。

 絶え間ない看護師の声と、先輩の父の悲痛な声が最後の最後まで、耳に焼き付いて離れない。

 全てが、全てが静かになって、呆然とただ座っていた俺の腕を、先輩の父が無言で、荒々しく引っ張り上げる。

 戦場を戦い終えた直後の傭兵ようへいのように殺気立っているのに、その目はただ絶望と深い悲しみに染まっていた。


「後は、頼みます」

 


 

 霊安室れいあんしつの扉は、二週間前と同じ無機質さだった。思っていたよりも扉は重くなく、俺は部屋に足を踏み入れる。


「あ」


 病床は、一つを除き全て撤去されていた。

 ただ一つ、中央に薄暗いスポットライトに照らされた一床を除いて。


 立ち尽くす。

 先輩は綺麗だった。

 端正なラインを描く白い頬に、長いまつ毛の影が重なる。

 茶に透けた綺麗な瞳を隠したまま、先輩はただひたすらに上を向き続ける。


「せん、ぱい」


 思わず声が漏れて、その呟きが何にも反発せずに消えたことに、尋常じゃないほど違和感を覚える。その違和感を必死に無視して視線を下に映すと、白い清潔そうなシーツがかかった先輩の肢体したいが目に入る。

 ところどころなだらかに盛り上がった白い布に、ドキリとして思わず目を逸らした。

 その先で目に入った先輩の細い指先に何気なく触れた時だった。


「……あ」


 ただ、冷たかった。肌は柔らかいとか、そんなことはどうでもよかった。かつてあやまって触れたときみたいな温かさは、どこにもない。

 二週間前、霊安室でみた誰かの死体。それと、同じだった。同じ冷たさだった。同じくらい無機質で無遠慮なソレは、もう先輩ではないただの、モノだった。


「ああっ……」


 その時、俺は確信する。

 死後も魂があるなんて嘘だ。自分が触れているのはただの冷たい塊で、俺の好きな女の子は永遠にいなくなってしまった。


「せ、ん、ううううっ」


 声を抑えきれず、むせび泣く。血色のなくなった彼女の透き通る肌に、涙がとめどなく流れ落ち、それをぬぐう者はどこにもいない。


「あ、あああああああっ」


 身体を制御することすらできない。俺は彼女の胸にもたれて、せり上がる涙も鼻水もひたすら垂れ流して泣く。

 約束したのに。

 この二週間、どんなに苦しくても暇さえあればスプラッターやポルノを見て、万全の準備をしてきたつもりだった。どんな悲しみや苦しみも噛み潰して、心をひたすら麻痺まひさせて、絶対に彼女の願いを叶えるつもりだった。

 なのに、この様だ。先輩に指一本触れただけで、一歩も動けない。

 異常者になろうと決めたはずの心に、彼女の息遣いや、出会った頃の横顔が思い出させられて、俺の覚悟なんてちっぽけなものは瞬時に消し飛んでしまう。そこには、死姦しかんなんかより凶悪でエログロで、抗えないほど暴力的な、死の現実があった。


 俺の、大切な人が死んだ。

 たった一人の、恋する少女が失われた。

 なのに、俺は生きている。

 こんな苦しみに、どうして一瞬でも耐えられるなんて思ったんだろう。

 どんな言葉を口にしてもどれだけ泣いても、彼女はもう何も答えない。


 先輩は、死体だった。

 何をしても何に抗っても、ずっと美しい、冷たい死体のままだった。



 もう、無理だ。戻って、彼女の父親に殴られてこよう。そう思った時。


「?」


 シーツがずれた彼女の胸に、何かが乗っているのに気が付く。薄い和紙でできた、小綺麗な一通の便せんだった。


「て、がみ?」俺は驚き、涙を乱暴に頬へ擦って手を伸ばす。


 書き出しは『拝啓はいけい ○○様』


 その後は、たったの一行だけだった。




『  キミのことが、好きだ。  』




 胸の中が急に熱を取り戻す。灰色だった世界が色を取り戻すように、彼女の笑顔を思い出す。彼女が残したたった一言で、眼前にある物体が、たまらなく愛おしくなる。ソレが、先輩になる。目を閉じて横たわっているけど、俺の前には確かに、先輩がいる。


 ふいに、アラームが鳴る。時計を見ると、この部屋に入ってから二十分弱が過ぎていた。死後硬直しごこうちょくが始まるまで、もう五分しかない。先輩がいなくなるまで、あと五分しかない。


「先輩……俺、」

 

 震える声でそう切り出す。

 いつかの先輩みたいに涙の溜まった両目で、微笑みを作って言う。


「どうかしても、いいですか?」


 覗き込むと、先ほどと寸分たがわぬ表情の美少女の顔がそこにあった。俺はそっと彼女の唇にくちづけてから、静かにズボンのチャックをおろす。


 先輩が慌てて『それで何とかなると思ったら、大間違いだから』と、答えたような気がした。

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