ダリア、こっちを向いて

西丘サキ

ダリア、こっちを向いて

 もう大分前のことだった。数を数え上げるのも億劫なくらいに。それに、最初の頃は距離が遠くて覚えていない。ただ、それでもどうしたって目立つものはある。


 すっくと背を伸ばした大輪のダリア。濃い色の葉と茎を身に纏い、白い花弁のひとつひとつがかわいげのある丸みを帯びながら広がり、ひとつの花へとまとまっている。誰の目にも留まり、何がしかの思いを抱き、関わりを持とうと思わせる佇まい。人目を引くことはこういうことなのか、と内心で合点がいく。その背と大輪のせいで、何か異質なものに支えられていないと咲き続けていられないような雰囲気も、人を呼び寄せる要因だっただろう。


 実際、ダリアは人気だった。わかりやすく綺麗で、わかりやすく人好きのする様子。みんなが群がって、ダリアの気を惹こうとする。ダリアも満更でもなく、求められるがまま、そして求められるがゆえの選り好みを見せつけるでもなく、その美しく鮮やかなきらめきを振りまいていた。


 そんなダリアの向こうで、小さな花が咲いていた。エキザカム。薄紫の小さな花。ダリアよりは背が低く、様々な顔を、語るべき言葉を持つようにたくさんの花をつけている。綺麗な花であることは疑いようもなく、その綺麗さだけに魅かれて近づく者もいた。逃がさないように、取り囲むように近づいていく。奥底に交換条件を用意した、からめとるような甘い言葉に、表立っては手触りのいい気配り。それでもエキザカムは摘み取られてしまうことなく、そこにいた。強かと言おうか、気高いと言おうか。繊細そうな見た目とは裏腹な、華奢ではない芯が見え隠れしていた。


 花を見るだけなら、それこそ私も何千何万と見ているだろうと思う。しかし、私の目にはっきりと留まったのは、その2つだけだった。花は平等ではない。花を見る視線は平等ではないというべきか。どのように咲くかは花々に委ねられていても、どのように花々に与するかは花々の手になかった。花々が私を見ることによって、私を統制することはあるだろうとしても。


 ダリアが笑いかけていた。ただ、私は笑い返せなかった。確かに私へ蕩けた声をかけ、笑いかけている。しかしそれでも、ダリアは私を見ていなかった。いや、『だからこそ』私を見ていなかった、というべきか。私に対して、しかし私にではない何かにその呼び声は向けられている。そのことに気づいた私は、それでも私は微笑み返そうとし、言葉をかけようとした。わかっていて手のひらで踊るさもしい裏側の快楽か、それでも日陰でしめやかに保護された本当の好意を信じきった愚かしさか。今となってはどうでもよく、私はダリアに魅了されていった。


 その時、エキザカムはどうだったのだろう。私を見ることはあったのだろうか。ダリアがいた場所に、まさしくエキザカムもそこにいた。時おり聞こえるささやきの小さな声が、ひとたび耳にすれば忘れられないほど軽やかで心地良く、聞こえるたびにもっと聴いていたいと思ったことを覚えている。それぞれ私を、私でなくとも誰かを、見るということはあったのだろうか。そもそも、私は花々を見る側だったのだろうか。花によって見る側に配置されていたのではないだろうか。魅了されるという統制の下に置かれて。


 ……いや、魅了されるということは、既にそこに欲望したい、美しいと思いたいものを初めから見出していたのではないだろうか。とすれば、そもそも私はダリアやエキザカムを美しいと思い、それらを欲望する方へ没入していこうとしていたのだ。自己否定するように、過度にダリアを持ち上げ、夢を見て、その落差を裏切りや恐怖と結びつけやすくするように。そうであるならば、ダリアが私を見ていないように、私もダリアそのものを見ていなかったし、今も見ていないのかもしれない。ダリアのことは、知るほどに伝聞に埋め尽くされていったからだ。


 だから私は思う。「ダリア、こっちを向いて」と。ダリアの本当の花の姿を知ることができるように。


 自然とダリアのことばかりになった。いつもダリアを見ている。ダリアは時たま、私の場所にいる私ではない誰かを見返してくれた。良くない噂は絶えないし、内々で話は広がっていく。大ぶりの豪奢な美貌の、爛れた芯。ありふれた火遊びの話が近寄った各々の口から流れ出し、初心な寂しい独り者たちは次々とダリアに魅了されては思い上がり、そしてダリア自身の振る舞いにより口を閉ざしていく。


 醜いと思った。近づいてはうそぶき離れていく者たちも、ひとりとひとりの関係ならば何も存在しないようにできると、傲岸な思い込みの大胆さを隠しもしないダリア自身も。支柱は折れろと、鉢植えなど割れてしまえと思った。しかし、そんな感情はダリアの前では出ることがなく、知らず知らずに私は笑っていた。来る日も来る日も、ダリアに向けて、ダリアではない何かに。ダリアがふと、私を嘲りながら笑う時も、私は愛情に満ちた類の笑顔を選ぶ。ダリアと、いや、他の誰とであっても、愚鈍で察しの悪い与太者でいる方がうまくいく。しかし私は、ダリアを信じていたのかもしれない。私自身の魅了されていることをもって。何を聞いても結局私は、ダリアから距離を取ることはなかった。


 そんなある日、ダリアは忽然と消えた。何もかもなくなる。悲しくはなかった。だが、忘れてはいかない。その他のどうでもいいこと、例えばあのダリアに群がっていた面々はとうに忘れてしまっても、その中心にいたものは忘れなかった。


 それなのに、いやだからこそ、私は遠くに、新しい支柱と鉢植えを得た、あの日々と同じように振る舞うダリアを見つけてしまう。探さなくてもわかる、あの人目を惹きつけ魅了してしまう姿。声をかけるべきか迷った。私には声をかける理由が見当たらなかった。逡巡しながら、それでも離れられずにただ見つめてしまうだけの時間が過ぎる。そのうちに視線に気づき、ダリアがこちらを向く。


 ダリアは私を見ていなかった。私の場所にいる私ではない誰かでもない。今や誰をも見ていない。私はダリアの愛情が自尊へと向かっていることを知る。何も言うべきことはなかった。私は最後に見送るように、その小さな花弁のより集まった白い大輪へまっすぐ視線を当てた後、ダリアから離れていく。ダリアは決してこっちを向かない。それは流されて消えていく言葉ではうっすらとわかっていたとしても、私からの視角では私とダリアの間に形をとっていなかった。そのことがはっきりと明確に立ち現れ、認識していながら気づかなかった事実に私はようやく気圧される。諦めた、というよりは、諦める前に望みも感情も事実もすべて立ち消えになった。開くことのなかった蕾は萎れていた。




 そういえばエキザカムはどうしたのだろう。エキザカムもいつしか消えていた。あの花の姿に今、無性に会いたい。あの声を今、聴いていたい。身勝手な感情だ。わかっていながら私は探す。どこにでもいるようで、どこにいるわけでもないあの花を。私はエキザカムの特徴を思い出す。小さな薄紫の花弁。鮮やかな黄色の花芯。ぴっと伸ばしたスペードの形をした、張りのある艶やかな葉。……特徴は思い出せる。しかし、私は思い出せない。あのエキザカムのことを。自分自身、明らかに好ましく思っていたはずだと認められる、あの花のことを。


 見過ぎて印象がぼやけてしまったのだろうか。私はそれほどまでにあの花を見つめていただろうか。ふと思い出す。私は確かにあの花を見ていた。ダリアの向こうに、あるいはダリアのいない時に。あのエキザカムの正面ではなく、花を支える茎やがくの部分を、いわば花の背中を。


 私はありありと思い出せる。自らの正面に伸ばした花弁の後ろ、少し毛羽だったような固く力強いがくの容貌。表からは見えないようにしている、葉の葉脈ひとつひとつの生き様を通した姿。見せないようにして見えてしまっているものに、そしてそれを窃視するように気づき、深く深く印づけるように像が彫琢されていく。私はあの慎ましやかなエキザカムの差し控えたものと、その差し控えていることそのものに、清冽に魅せられていた。


 あの後ろ姿を探せば、あのエキザカムを見つけられるかもしれない。私は真正面からの美しさではなく、いわば裏側の、私しか見たことのない、いや私しか見た覚えのない美しさを探した。ひとつひとつが描き出せる、言葉では雲散霧消しても像として私の中に鮮烈なまでに保たれているあの美しさを。


 いつから探し、いつ見つけ出したのかはわからない。時を数えられなくなっていた。感覚をひとつ失っても、それでも求めていたものを判別する感性は残っている。エキザカム、あのエキザカム。少しかすれてしまっていたが、あの時の美しい後ろ姿のまま、都会の陰に咲いていた。疲労困憊と勇んだ喜びの中ゆっくりと、しかし堂々と私はエキザカムへ近づく。話しかける。


 何も聞こえてこなかった。

 何度も呼び掛けた。

 何も語らない。語ることを、ささやくことを忘れてしまったようだ。いや、私が、私こそが声と聴覚を失ったのだろうか。自らの見ていた美しさを、ただそれだけを追い求めていた私こそが。


 私は豊かであったはずの愛情が自尊へと向かっていたことを知る。


 華やかなものを見ているのは楽しいし、生き生きとしているものは高揚感を与えてくれる。たとえそれが及びもつかない何かの支えがあり、こちらを一顧だにしないような、嫉妬に駆られて裏切りと呼びつけてしまいたくなることがあるものだとしても。高揚感に包まれ没頭しているままでいれたのなら、笑いかけてくれるダリアを見ることがあったのかもしれないし、言葉をささやき紡いでくれるエキザカムを聞くことがあったのかもしれない。しかし、我に返ってしまった私には高揚感はもうない。ダリアは私を見ることもここにいることもなく、エキザカムは私にささやくことも私のささやきを聞くこともない。


 エキザカムを見る。愛を語るというその声は聞こえてこない。私はその思いを聞くことができない。私はずっと、エキザカムを裏切っていたのだろうか。今自分に投げかけた問いさえも、あのエキザカムが答えてくれることはもうない。


 ごめんなさい、本当に。


 せめて今一度、少しだけでも、あなたのおもいを聞かせてください。

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