奇妙短編集

マイタケ

黒い男

 謎の黒い男に僕の家が支配されている。ある日、近所の猫が植物の種を拾ってきて、家の前に置いたのが始まりだった。それはテニスボールくらいある種で、黒光りして重かった。気味悪く思った妹が家の脇にある側溝に投げ込んでおいた。それから三日くらいは何事もなかったのだが、だんだん家の床が撓み始め、六日目にはどす黒い植物のつるがフローリングを突き破って出てきた。業者に頼んで処理しても良かったのだが、こういう場合何の業者に頼めばいいのか分からず、結局家族のみんながそのつるを放置しておいた。


 そうこうしているうちにつるはどんどん育って、しまいには複数のつるがより合わさって木のようになり、天井に到達して、そこに蜘蛛の巣のようにつるを張り巡らせた。みんな恐ろしくなって、鋸で切ろうとしたりいろいろしたが、つるは強くてびくともしない。そのうちこんな事態がご近所にバレるのが恐ろしくなり、ますます父と母はこの植物のことを隠し通そうとすることばかりに気を回し始めた。


 父は黒いカーテンを買ってきて家中の窓を外から見えないようにした。植物についての会話が聞こえないように、家の窓は全部締め切ることになった。もうその頃には植物は一階の天井を突き破り二階に到達していたのだ。外出する時はドアから中が見えないように極力ドアを小さく開けるルールもできた。もうそのころには、植物は玄関まで侵食していた。


 秋になると、植物は天井から黒い実をたくさん垂らし始めた。その黒い実は、よくみると表面に細かい粉を纏っていて、それが何かの拍子でよく空気中に拡散した。僕や妹は、嫌な気持ちがするぐらいだったが、この粉はむしろ大人に影響があるらしい。父や母は、多分この粉のせいだと思うのだが、ますます疑り深くなって、カーテンを窓にガムテープで隙間なく張り付けたり、一か月分の食料をまとめ買いして家に籠ったり、外で誰かの足音がすると異常に怯えて息を潜めたりするようになった。一方の妹はそんな両親を馬鹿にして、ことさら大声で友達と電話をしたり、頻繁に夜遊びに出かけ、その際ドアを過剰なまでに大袈裟に開けたり閉めたりするようになった。母が金切り声で注意しても鼻で笑って無視するのだ。


 僕はというと、長男なのでしっかりしなければならなかった。怯えている父や母をなだめ、反抗的な妹に注意をし、どうにか家がうまく回るように気を揉んでいた。でも年明けには大学受験があるので、状況に構ってばかりもいられなくなった。両親のためにも、絶対大学には合格しなければいけない。僕は自分の部屋に籠って受験勉強に励んだ。


 ある時そうして三日くらい自分の部屋に籠りっきりで受験勉強をしていたが、さすがに風呂に入りたく思って三日ぶりに一階のリビングに下りた。するとリビングの真ん中に、天井から大きな黒い実が一つ垂れさがっていた。それは他の実とは明らかに違っていて、フローリングに届きそうなほど垂れ下がり、パンパンに膨れて、巨大バルーンのようになっているのだった。僕は見慣れない光景を不安に思って両親の方に目をやった。すると二人は夫婦そろって、床に青いポリエチレン製の容器を並べている最中だった。容器は巨大な長方形で、いくつもいくつもリビングの床に並べられていた。端っこの容器を見ると、中には腐葉土が敷き詰められていて、そこから畑の匂いがした。


「何をしてるの?」


 僕は怖くなって父に聞いた。すると父は、


「決まってるだろ。これを育てないと」


 と言って、その巨大な実を指さした。僕が戸惑っていると父と母は何事もないように作業を再開した。完全に目が据わっている。僕は悲しくなったが、受験がもう数か月後に迫っているのだ。こんなことにかかずらっていたら、きっと勉強の時間が足りなくなるに違いない。今僕のやるべきことはまず大学に合格することで、この植物のことはそれから考えるしかないのだと思って泣く泣く放っておいた。


 それからまた数日して自分の部屋からリビングに降りてくると、あの巨大な実はもうなくなっていて、代わりに黒い男がそこにいた。男は身長も高く筋骨隆々で、全身紫がかった黒色をしていた。全裸だが股の間には性器がなくつるつるで、頭もスキンヘッドだが、顔は西洋人のように鼻が高く整っていた。もっとも目は全部が黒目だった。


「ほら、もっと深く埋めなくてはだめだろう」


 男は腐葉土の入った容器の傍にうずくまっている父に語りかけていた。父は「はい」と返事をして、一度土に埋めたものを取り出し、もう一度深く埋め直していた。それを見ると、妹がかつて側溝に捨てた、あの黒光りする種だった。同じく土をいじっていた母が立ち上がって、ピアノの傍に置かれたバケツのところへ行った。そのバケツを見ると、さっきの黒い種がいくつも入って満タンになっている。


「君は良平君だね。冷蔵庫にケーキが入っているから食べなさい。おい、祥子」


 黒い男は僕に話しかけると、振り返って母の名前を呼び捨てにした。


「はい」


「作業は中断だ。良平君にケーキを出してあげなさい」


「わかりました」


「よし、いい子だ」


 男はそう言うと、台所に向かう母の腰のあたりを大きな手で撫で回した。僕はケーキを食べたあと、上の階に戻って受験勉強を再開した。確かにこれは異常事態だと思ったが、父や母が嫌がっていないなら、どうして僕にこの事態を何とかする権利があるだろう。


 また数日してリビングに下りると、すごいことになっていた。男が六人に増えていたのだ。一人はピアノの練習をしている。一人は父と母に種を植える指示を出している。一人はだらしなく椅子に座ってそれをつまらなそうに見ている。一人は冷蔵庫を物色している。あとの二人は食卓に向かい合って座り、チェスを打っている。そのうち一人の傍らには、なんと妹が座っていて、あろうことか男の肩に自分の首をもたせかけ恍惚の表情を浮かべている。ついに妹まで男に篭絡されてしまったのか。妹はチェス盤なんて気にもせず、男の腕の血管を人差し指で熱心に上下になぞって遊んでいた。


「良平君。君もあとでどうだい」


 妹に寄りかかられている男がチェス盤を指して僕に聞いた。僕はチェスには自信があったが、もしかしたら負けるかもしれない。「結構です」と断って、狭いリビングを抜け、キッチンで水道水をコップに入れてゴクゴク飲んだ。


 もう駄目だ。また久しぶりにリビングに下りてくると、父が腐葉土に植えられていた。ポリエチレンの容器からは、種が成長したのか、薄い膜につつまれた男のクローンが直立し、腕をクロスした状態でたくさん生えてきているけども、父もその列に並んで、土に直立状態で植えられていたのだ。男のクローンが筋骨隆々に育っていくのに対して、父は逆に土に栄養を吸われているようで、めっきり痩せてしまっていた。もしかしたら父は男たちの栄養分にされているのかもしれない。リビングにはもう男が十二人くらいいて、各々テレビを見たり、歩き回ったり、好き放題やっている。相変わらず妹は、ソファで寝そべっている黒い男とイチャイチャ小声で話している。妹と寝ているその男は、男の中でも、頭が金箔でもまぶしたみたいに若干テカっているという特徴があった。そんなテカりで男を選んだのだろうかと思うと妹の軽薄さに呆れる気がしてくる。「おい、そんなことばかりしてないで、ちゃんと勉強もしろよ」僕は妹に言ってやったが、全く耳に入っていないらしい。


 受験シーズンがやってきて、僕はセンター試験で大コケし、結局志望の国立大に落ちてしまった。そればかりか滑り止めの私立も全部だめだった。僕は自分がこんなに駄目なやつとは思わなかった。落胆して家に帰ると、リビングでは食卓に黒い男たちが十五人ほど並んで着席し、母が作るシチューが配膳されるのを待っていた。あったかいシチューが次々皿に注がれていき、男たちの前に並べられた。妹は相変わらず男の一人にべったり寄りかかって、人差し指で男の胸筋を突っついている。その妹にもシチューの皿が配膳されたが、男に夢中で気づいていないらしい。


「母さん、受験全部落ちたよ」


「あらそう。それは残念ね」


 母は虚ろな顔でそう言った。父は数か月前から腐葉土に刺さっていたので、もうミイラになってしまっていた。僕はもう数日前からお腹が減っていたので、黙って台所に行き、棚から皿を出して、僕の分のシチューをよそおうとした。


「悪いけどもうなくなっちゃったわ。孝平はそれでなんか買って食べておいて」


 食卓で男たちのコップに水を注いでいた母が、僕に言った。空の鍋の傍を見ると、そこには二つ折りの千円札が置かれていた。


「母さん。僕の名前は良平だよ」


「あらそう」


 僕は千円札を握りしめて、駅前のスーパーへカップ麺を買いに行った。街の明かりを見ていると、きっと僕は砂漠にいるより孤独なのだという気がした。

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