短編

RAG

末路

 俺の名前はA。しがない会社員だ。

 入社して一年。周りの奴らは上司にお客様にペコペコしてるだけの卑しい存在だ。

 俺に与えられた仕事も、先輩どもが作った資料という名の落書きをホッチキスで止めるだけの簡単なものだった。

 こんなもの、日がな一日ぼけっとしている窓際族のおっさん連中に任せればいいのだ。

 なぜ俺がこんな雑用のような真似をしなくてはならないのか、理解が出来なかった。

 一度だけ営業の仕事を任されたが、奴らは俺を評価するどころか上から目線で注意してきた。

 お客様が怒っていたとか、上司に取る態度じゃないとか。

 俺はこの会社の為に働いているんだぞ?それを分かった上で怒っているのか、奴らは。

 社長が出てきてその場は収まったが、次の日から俺の仕事は雑用以下の事を押し付けられるようになった。

 鬱憤が溜まってた俺は乱暴にホッチキスで適当に資料を止める。その事で注意されたが、以前よりは厳しくなくなった。

 暇なので事務員の女の子とお喋りしに行ったが、向こうのお局がしきりに俺を睨みつけてきて不快だった。

 女の子も何故か俺を軽蔑した目で見てくる。俺が何をしたというのだ。

 気分が悪い。むかむかする。親にその事を愚痴っても、「お前が悪い」の一言で片づけやがる。

 SNSでも愚痴ったが、皆が『イイネ』を押すだけでコメントすらしてくれない。

 耐えに耐えかねて、普段から仲良くしているフォロワーにDMを送って愚痴ってみた。

 しかし、いくら待っても返事が来ない。一時間経った辺りでSNSを覗いてみたら、俺をブロックしていた。

 酷すぎる。スクリーンショットを取ってその惨状を載せてみたが、今度は次々とフォロワーが離れていく。

 「ふざけるな!」

 パソコンの画面に向かって怒鳴り散らす。怒声を聞いた両親が上がってきたが、「部屋に入るな!」と一喝して追い出した。

 何故俺がこんな目に合わなければいけないのだ。

 都内でも偏差値の高い中学、高校に入学し、大学も首席で卒業。大手企業から引く手あまたと言われた俺が、なぜこんな目に。

 それもこれも周りのせいだ。俺は悪くない。俺に合わせない奴らが悪いのだ。

 周りの奴らは馬鹿でしかない。馬鹿は大人しく天才である俺の言う事を聞けばいい。何故それが出来ないんだ。

 イライラしながらタバコの箱から一本取り出し、火を点けて吹かす。部屋中にタバコの煙が充満していく。

 落ち着いた。それと同時に眠気も来た。

 タバコの火が付いたまま灰皿に入れ、俺はベッドに潜り込んだ。

 意識が落ちる直前まで、「俺も異世界転生して、最強の存在になりてぇなぁ」と思っていた。

 そんな都合のいい話がある訳ないが、もし出来たのなら、俺だけの国を作りたい。

 邪魔者は排除し、俺に従うだけのイエスマンを揃え、頭のいい部下たちに仕事を振って、俺は美女たちと豪華絢爛な生活を送る。

 そんな国を妄想しながら、今度こそ俺の意識は暗闇に落ちていった。

 ――やけに煙臭かったが、タバコの臭いだろう・・・・・・。



 「A様。私たちの偉大なA様」

 柔らかい声が聞こえる。あの母親のババァのようなしわがれた声じゃなく、若い女の声だ。

 のそりとベッドから起き上がる。肌に当たる掛け布団の感触がいつもと違う。

 天井にはキラキラと光る黄金の燭台。ステンドグラスから差し込む眩い光に目を背けると、再び声が聞こえた。

 「A様。おはようございます。今日も素晴らしい一日を、私がサポートいたします」

 意識がはっきりしてきた。声の主の方を見やると、そこには自分の想像したスタイル通りの女が立っていた。

 「え、お前・・・・・・もしかして、〇〇なのか?」

 「ええ。そうですよ。あなた様の妻であり、母であり、妹でもあります。今日も貴方のお世話を喜んで担当致します」

 性格も声の波長もそっくりだ。という事は、これは夢ではない。

 試しに顔をつねってみたが、痛覚はあった。夢じゃない。本当に異世界転生出来たのだ!

 それも原っぱから投げ出されるような物じゃなく、豪邸で目覚められた。

 しかも自分に寄り添う性処理兼お世話係の女もいる!

 あとは、ハーレムがあれば最高だが――それは後で作ればいい。

 「よし。確認だが、俺は今、王族だよな?〇〇」

 「そうで御座います。偉大なる〇〇〇〇帝国の皇帝であられます」

 「今日の仕事は?」

 「本日は占領した他国から多数の貢ぎ物が届く予定で御座います。そして、貴方の命を奪おうとした反逆者たちへの処刑も」

 「よーしよし。それじゃあ着替えるか。王様らしくしないとな。おい、着替えさせろ」

 「畏まりました」

 〇〇が俺の来ていた薄汚いシャツを丁寧に脱がせる。

 小便が染みついた下着にも嫌な顔一つせず、丁寧に脱がせてくれた。

 「さぁ。偉大なる王には素晴らしいお召し物を」

 彼女の準備していた服を着させられる。赤と黄金で彩られ、絹のような肌触りのそれは、まさしく自分に相応しい物だ。

 最後に、彼女は背伸びをして王冠を俺の頭に乗せる。この瞬間はお辞儀をしているようで癪だが、仕方がない。

 彼女の身長を俺より低くしたせいだ。長身の女は嫌いなんだ。

 自分より背が低く、しかし出る所は出ている。顔つきも可愛らしい妹系。性格は甘やかし、母のように世話をしてくれる。

 そんな理想の嫁がいる世界に転生出来るなんて、やはり俺は選ばれし者だ。俺は間違っていなかったんだ。

 「さぁ参りましょう。臣下も民も、貴方様が来るのを心待ちにしています」

 「うむ」

 わざとらしく低い声を出して、玉座へと向かう。

 部屋を出てすぐに王の間へと着くと、自分の身長以上の背もたれがある玉座に腰かける。

 右膝をついて拳を右頬に当てる。足を放り出して足先を交差させた。

 「王の目覚めである!」

 いつの間にか横にいた太った男が甲高い声を発する。すぐ目の前の広間に数人の騎士が並び立ち、その下の広間には

鎧を着ていない一般兵が立ち並ぶ。更に下の広間には、ズタ袋を被せられた貧相な人間が座らされていた。

 「これより!偉大なる我らが王を罵り、虐げてきた者たちに!王自らが処分を言い渡す!」

 派手な鎧を着た、身の丈を超える大剣を背負った騎士が叫ぶ。恐らくは騎士団長だろう。

 彼の号令を受けた兵士たちは真ん中に敷かれた赤い絨毯を踏まない様に隊列を組みなおしていく。

 ズタ袋を被らされた人間たちを強引に立たせ、ズタ袋が階段を上がっていく。

 一歩一歩。まるでナメクジのように歩く彼らを、両隣の兵士たちが睨みつける。

 畏れ多くも王族にしか踏ませない絨毯の上を、大罪人である奴らが踏みつけているのだ。

 騎士たちが集う広間まで来た彼らに、大剣を引き抜き、怒りを露わにした騎士団長が問いかける。

 「貴様は何をした!」

 ズタ袋が怯えながら問いに応えた。

 「私は・・・・・・偉大なる王にご食事を用意しませんでした・・・・・・」

 「貴様は!」

 「お・・・・・・私は、彼を叱りつけました・・・・・・」

 「貴様はぁ!」

 「私が一体何をした!?おいA!これはどういう事だ!」

 一人だけ反抗してきた者がいた。騎士団長が持っていた大剣を振りかざし、縦に一閃する。

 「ひ」と声を出した男の袋だけが切り取られる。その顔を俺は良く知っていた。

 「これはこれは。パワハラ課長じゃないですか?どうです、今の気持ちは?」

 怯えた表情から一転。課長は顔を真っ赤にさせて怒鳴りつけてきた。

 「ふざけるな!俺をこんな目に合わせて、お前は王様気取か!誰がお前の仕事のミスを被ったと思ってる!?」

 「貴様ぁ!偉大なる王に向かって何たる口の利き方だぁ!」

 騎士団長の怒りの拳が、課長の顔にめり込む。潰れたカエルのような声を出して、彼は地面に倒れた。

 「騎士団長!言わせておけばよい。して、あと二人の顔も見てみたい。袋を外せ」

 「王よ、何と慈悲深いお言葉。承知致しました」

 一礼して、団長は二人の袋を取るように部下に命じる。部下たちは袋を鷲掴みすると、勢いよく袋を取った。

 この二人も、俺がよく知っている顔だった。何故なら、俺の両親だからだ。

 「父上、母上。ご機嫌麗しゅう。あなた達の教育のお陰で、私は王になれました」

 「あ・・・・・・あぁ。許してください、A様。仕方なかったんです・・・・・・躾だと勘違いして、私は・・・・・・」

 「A様、お許しください。全てはこの女が仕組んだ事なのです。私は乗せられていただけなのです。あぁだから、お許しを・・・・・・」

 俺は、今更だが両親のしてきた事を思い出した。

 毎日毎日勉強させられ、友達さえも作れず、娯楽もない家の中でずっと机に向かわせていた。

 テストで百点は当たり前。一問でも間違えれば往復ビンタされ、食事も抜かされていた。

 疲れ切った体に鞭を打たれ、意識が朦朧とすれば水風呂に投げ込まれた。

 将来の夢は政治家と書かれ、三者面談では「上位の学校に入らせたい」と夢と希望を語っていた。

 逃げる事も許されない。常にアイツラは喧嘩して、最終的には母親が勝つ。父親は小さくなってご飯を食べるだけだった。

 誰も助けてくれない。両親すら助けてくれなかった。

 その時の怒りが段々とこみ上げてきた。俺はあくまでも冷静を装いながら、彼らの処刑方法を考えていた。

 「ご安心ください。私は貴方たちに感謝をしているのです。あなた達のお陰で王になれ、妻を娶る事が出来た。ああ、しかし――」

 「私の心は酷く荒んでしまいました。妻が、臣下がいなければ、私は遠い昔に死んでいたでしょう。貴方達は助けてくれなかった」

 「ですが赦す事も大切だと、妻が仰っていました。ですので、私は貴方達を許したいとも思っています」

 こめかみに青筋が出ているだろうなと思いながらも、何故かスラスラと言葉が出てくる。

 俺の言葉に、横にいた妻、大臣、臣下たちは涙を流しながら聞いていた。騎士団長に至っては嗚咽を漏らしながら号泣している。

 「で、では!?」

 母親の顔が明るくなった。助かると思っているようだ。その顔を見ていると、殺意が湧いてくる。

 「ですので、今までの償いをして貰おうかなと考えています。大臣、耳を貸してくれ」

 「ははぁ!」

 大臣が俺の前に跪き、頭を下げる。俺は大臣の耳に処刑方法を小さい声で伝えた。

 「この者たちの処分が決まった!」

 立ち上がり、甲高い声が王の間に響き渡った。

 「両名をコロシアム内にて戦わせ、勝利した者には王からの恩赦を授けよとの事!課長と呼ばれる者は処刑場にて火炙りに処す!」

 この決定に全兵士が喜びの声を上げる。隣で笑みを浮かべた妻に微笑み、俺は立ち上がった。

 「両名をコロシアムに輸送しろ!騎士団長!運んでやれ!」

 「ははぁっ!承知いたしましたぁ!」

 嬉々とした顔で二人に再びズタ袋を被せ、課長を叩き起こすと怒声を浴びせる。

 団長の怒声で飛び上がった課長がこちらに振り向いて暴言を吐く。それを聞いた周りの兵士たちが一斉に課長の顔を殴り始めた。

 黙らされた課長と両親が連れていかれる中、玉座に座った俺は妻と深い口づけを交わす。

 「あなたは素晴らしい王です。一生ついて行きます」

 「そうだろうそうだろう。ではコロシアムに行こうか。そこでたっぷりと可愛がってやるぞ」

 頬を赤く染めた彼女に、既に股間の一物が我慢できなくなってきていた。

 「はぁ。最高だよ!これだよこれ!俺こそ選ばれし者なんだよ!異世界転生さいこーーー!」

 一しきり叫んだ後、ふと天井を見上げる。

 黄金色に輝く自分だけの城。まるで自分のようだ。一点の曇りがない、輝きを放っていた。

 その黄金の中に、こちらを覗く二つの目がある事に気づいた。

 最初は反射した自分の目だと思っていた。だが、その目はしきりに周りを見ていた。

 「おい、何だあれは?」

 訝しむ俺は二人に問いかける。しかし、何故か妻も大臣も答えない。二人を見ると、まるで時が止まったかのように立ち尽くしていた。

 「おい、どうした。何で動かない?ギャグか?ギャグのつもりなのか?」

 大臣の肩を押す。するとどうした事か。まるで岩のように固くなっていた。

 「え!?何で!?」

 今度は妻の方に向かい、柔らかい頬を触る。指に吸い付かない。先ほどまで口づけを交わした唇も、彫刻のように固くなっていた。

 「え!ええ!?何で、どうして!」

 慌てふためく俺は天井の目玉を見た。

 しかしそこに目玉はない。代わりに、ヤギの頭をした人間が黒い穴から這いずり蠢いていた。

 黒い穴が次第に開いていく。ヤギ頭は入口を見つけると、そこに頭を突っ込んで出てこようとしていた。

 逃げなくては。そう思った時、体が思うように動かなくなっていた。

 頭が動かない。だが意識だけははっきりとしていた。

 黒い穴の中からヤギ頭が生み出される。ヤギ頭はすっと立ち上がり、両手に燭台を持って俺に近づいてきた。

 『最高の一時だったろう?』

 ヤギ頭が笑いながら問いかけてきた。

 『身の程知らずで礼儀知らず。それでいて自分は選ばれた人間だと喚きたてていたお前は最高の玩具だったよ』

 『会社でお前を庇った課長、何十億の借金を負った会社。なのにお前は責任を感じず只ひたすらに我儘放題』

 『ただ人よりほんのちょっぴり頭がよかっただけで調子に乗って、いい大学に入っただけで他人を見下す』

 『選ばれた?優れている?両親からの厳しい躾を受けた?』

 『だからどうした。自惚れるな。お前は周りに甘え続けているだけのクソみたいな人間なんだよ』

 『お陰で、俺も腹が膨れた。その点だけは感謝してやる。最後の仕上げだ』

 ヤギ頭が指を鳴らす。その瞬間に世界が動き始めた気がした。

 何故か俺が吊るし上げられ、その真下には騎士団長が、妻が、大臣が縛られていた。

 周りにいた人間たちは自分がよく知っている者達ばかりだ。全員が怒りで顔を真っ赤にし、手には松明が握られていた。

 俺は声を出そうとする。だが、声だけが出ない。口は動いているのに、声だけが出てこなかった。

 「悔い改めろ!この親不孝者が!」

 聴衆の一人が松明を投げ入れた。すると、松明の火に引火した枝たちが一斉に燃え始めた。

 「お前のせいで私は会社に居られなくなった!お前さえ雇わなければよかった!お前の両親の頼みを聞かなきゃよかった!」

 課長によく似た男が松明を投げる。さらに日は強大になり、妻たちは炎に包まれていく。

 「何がブロックされましただ!お前のせいだろうが!」

 「あんたのせいでパパの会社が潰れたのよ!」

 「お前がお客にあんな態度取ったせいで、どこからも契約拒否されたんだ!」

 「悔い改めろ!」

 「悔い改めろ!」

 「悔い改めろ!」

 次々と松明が投げられる。炎が完全に妻たちを飲み込んでいく。

 下から妻たちの泣き叫ぶ声が聞こえる。助けて助けてと繰り返し聞こえる。

 俺はただ涙を流しながら叫ぶしか出来ない。声が出ない。声が出せないのに。やめろって言ってるのに。

 やがて下から声が聞こえなくなった。炎は勢いを増し、遂に自分の足元にまで迫ってきていた。

 (熱い!焼ける!死んじゃう!誰か助けて!誰か!俺を助けないと世界の損失だぞ!?何で声が出ないんだよ!!)

 足首からふくらはぎが炎に飲み込まれた。焼け爛れた皮膚から汁が飛び出し、それすらも蒸発して消えていく。

 額から流れる汗が目の中に入った。痛い。

 炎は太ももを飲み込んでいく。熱い、痛い。

 腰の辺りまで来た炎。飲み込まれた体が痛い。燃え尽きるまで炙られる体の痛み。

 (いやだ!死にたくない!ごめんなさいごめんなさい!もう二度としない!許して!)

 腹が焼かれる。爛れた皮膚から水分が蒸発していく。肉の臭いを嗅ぎながら焼かれていく。

 胸の辺りまで来た炎の色がはっきりと分かる。下半身の感覚は既にない。

 じゅーじゅーと音がする。肌の水分が抜けていく。体の内側が熱い。

 遂に炎が顔を包み込む。流れた涙が渇き、目の中が沸騰する。頭の中が痛い。灼ける。苦しい。

 「あ、あーーーーーー!!!」

 最後の最後で声が出た。だが瞬時に喉が焼かれていく。体の感覚が無くなっていく。

 狂う事も許されず、ただただ、焼かれる痛みだけが自分を支配していった。

 『ご馳走様』

 ヤギ頭の声が聞こえた時には、テレビの電源を切った時と同じ音が聞こえ、俺の意識も遠のいていった――



 狭い街中を救急車と消防車が走り抜ける。サイレンに叩き起こされた人たちは一斉に指さして何かがあった方へと見学しに行く。

 その光景を、この街で一番高いビルから眺める少女がいた。

 艶やかで、腰まで伸ばした黒髪が風に乗りふわりと舞い上がる。

 火事を見つめるその目は鋭い。まるで嘘を見抜けると言わんばかりの眼差しだ。

 左手には日本刀のような物を持ち、いつでも抜けるように鍔に指を擦り付けていた。

 『おやおやおや。こんな所でお暇ですか、お嬢さん』

 彼女の後ろで、あのヤギ頭が親し気に話しかける。

 「――あの火事、あなたが引き起こしたの?」

 『いえいえいえ。あの火事は、あの家の主の息子が起こした『タバコの火による火事』ですよ』

 「あ、そう。発言には気を付けなさい。もうすぐで斬ろうとした所よ」

 彼女は振り返る事なく、続けた。

 「妖魔による事件かと慌ててきたけど、どうでもいい事だったようね」

 彼女は安堵しつつも呆れたような顔をした。

 「で、アンタは何でここにいるのよ?」

 『いやなに。悔い改めないバカな人間から少しだけ、ほんのすこーしだけ、生気を頂いたんですよ。どうせ死ぬ命。願いもかなえてあげましたしねぇ』

 「あ、そう」

 彼女は振り向き様に、目に見えない速さで刀を鞘から抜き取る。

 黒く染まった刀身が月に照らされると、彼女の両目が真っ赤に染まっていた。

 ヤギ頭は茶化すように笑いながら彼女の斬撃を避け、消えるように空中へと飛んでいく。

 姿の見えなくなったヤギ頭に向かって舌打ちし、彼女は刀を鞘に戻す。いつの間にか目の色が元に戻っていた。

 火事のあった家に目線を戻すと、未だに消火活動は継続している。

 毛布に包まれた二人の男女が見える。肩を寄せ合い、震えていた。

 すると、二階の窓のガラスが割れ、全身を火だるまの状態になった男が何かを叫びながら二階から墜落した。

 緊急隊員たちが急いで男に駆け寄る。そして毛布で容態が分からないようにしてから担架に乗せ、救急車で運ばれていった。

 その様子を見届けると、少女はビルの屋上から姿を消す。

 未だ燃え続ける家を眺める野次馬の騒ぎと消防隊員たちの怒声だけが飛び交う街を、月だけが眺めていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編 RAG @Muramasa923

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る