第43話.お喋り


 私が黒猫という名を知ったのはつい最近の事だ。

 帝国学院を卒業して補佐官に就任してから暫くして、貴族社会の間でまことしやかに囁かれる様になったその名前。

 また何か不正の兆候か、禁制の希少動物の密輸に関する符号か何かか……もしかすれば自分に取り締まりの仕事が回ってくるかもしれないと注視する様になった。


 しかし聞こえて来るのは腐敗貴族の欲に塗れた談合ではなく、彼らの恐怖や畏れといった感情だった。

 そうだ、彼らは怯えていた。いつ自分たちの不正が暴かれるのかと、そして陛下に断罪されるのかと震えていたのだ。


 特にそれは他国に通じていた者ほど顕著であり、なんと黒猫という存在は僅かな日数で城に潜んでいた間者を粗方一掃したらしい。

 黒猫殿が噂され始めた頃より陛下に見初められたあの妃と比べて、その働きぶりは尊敬に値する。

 むしろ黒猫殿が凄まじい熱量で仕事している横で、あの妃は陛下の仕事の邪魔をしているのかと思うとムカムカして堪らない。

 黒猫殿と違って貴族達の暗闘に不慣れだろうに、あそこまで出しゃばって自分の身が可愛くないのか。

 未だ幼い妃が不慮の事故で亡くなる事も、それによって陛下が傷心する事も私は望んでいない。

 願わくば、黒猫殿があの妃を諌めてくれないものかと考えている。


 そんな、日々陛下のお役に立とうと奮闘している私が尊敬してやまない黒猫殿と私は同じ現場で仕事していた。


「はぁ、はァ……!」


「……大丈夫?」


「お気遣い……! なく……!」


「お、おう……」


 何とも情けない事に私は黒猫殿の足を引っ張っていた。

 私を気遣うように黒猫殿が振り向いてくれる度に、顔から火が出そうなほどの羞恥に悶える。

 しかしながら足を引っ張らないと宣言したのは私自身である。泣き言など口には出せない。


「そろそろ休憩――」


「お気遣い……! なく……!」


「お、おう……」


 頭から水を被ったように汗を流し、整える事すら出来ないほど荒れに荒れた呼吸。

 それも全て黒猫殿の異常な速度に追い付く為だ。


 これまでも何度も陛下とスヴァローグ将軍の間を行ったり来たりしており、その往復の速さに舌を巻いていた。

 黒猫殿はとても足が速いのだなと漠然と思っていた。

 そんな私の考えが甘すぎたのだ。


「ふぐ、おぉ……!!」


「……」


「ぜぇ、ぜェ……!!」


 黒猫殿は道無き道を往く。草原を突っ切り、森を河を、そして山を越え、直線距離で帝都を目指している。

 たとえ平坦な道であろうと厳しいペースで身軽に駆け抜けるのだ。

 今も峻険な岩山を登っているところだ。ここを抜ければ迂回するよりも早く帝都に辿り着けるのだという。

 既に足腰が細かく震え、胃がせり上がってくる感覚がするが堪える。お陰で一日に数十キロというペースで進めているのだから。


「登りっ、切った……!!」


「お疲れ様」


「ありがとうございます……!!」


 手渡された水筒から勢いよく水を喉に流し込む。

 水とはこんなにも美味しかったのか……生き返る心地がする。


「今日はここで野営にしよう。明日の昼には帝都に着く」


「承知しました」


 そう言って黒猫殿は近場の木に登り、太い枝の上でじっと動かなくなってしまった。

 そこに居ると分かっているのに、ふと目を逸らしたら再度見つけ出すのは困難なほど気配が希薄で、周囲の景色に溶け込んでしまう。

 その境地に至るまでに、いったいどれ程の厳しい訓練を積んで来たのか……私には想像する事も出来ない。


「ふぅ……」


 これまでの道中で黒猫殿は火を用意しなかった。

 私には『あってもなくてもどちらでも構わない』と言っていたが、普段は全く焚き火を用意しないのだという。


『気配を消せば獣や虫は対処できるし、寒さは鍛えているので耐えられる。人に見付からない事を重視している』


 そんな事を言われては私も黒猫殿に倣いたいとは思うのだが、未熟者であるため獣にも悟られぬほど気配を消す事ができない。鍛錬も足りず、夜の寒さにも耐えきれない。

 見栄を張り、痩せ我慢をして翌日の活動に支障をきたしては本末転倒で……私は恥を偲んで黒猫殿のすぐ下で焚き火を作る。


「黒猫殿は……」


「ん?」


 不意に口から言葉が漏れる……慌てたように口を噤むも既に遅く、頭上で黒猫殿が首を傾げる気配がする。

 今さら誤魔化しても変な感じに気まずくなるだけだろうと、私は観念して正直に疑問に思った事を聞いてみた。


「黒猫殿はどうしてそこまで優秀なのですか?」


「……え?」


 口に出して、そしてその漠然として相手を困らせる問いに、問いを発した自分自身が困惑する。


「あ、いや……そのですね、どうしてそこまで優秀になるほど努力をされたのかと……」


「あ〜、うん、なるほどね?」


 黒猫殿がここまで己を鍛えあげた理由を知りたいと思ったのだ。

 自分とて陛下や国への忠誠心は高い方だと自負している。それを火種にここまで研鑽を重ねて来た。

 けれど黒猫殿の優秀さは異常だと思うのだ。これまでの道中で実際に見聞きした身体能力や、獣道すら存在しない場所の地理まで把握している知識量に加えて、実際に表立って敵軍を翻弄して見せた手腕。

 これらを手に入れる為に並々ならぬ努力をして来たのは分かるが、どうしてそれほどの努力を重ねられたのか、途中で挫けなかったのかを知りたいと思ってしまった。


「……まぁ、ぶっちゃけそれしか選択肢が無かったからかな?」


「選択肢が無い?」


「そっ、たとえば……アレンさ、殿は補佐官に成れなかったとしたら、どんな自分に成ってたと思う?」


「……補佐官に成れなかったとしたら、自分は志願兵として国軍に入隊するか、実家で兄の補佐として実務の勉強をしていたと思います」


 補佐官に成れずとも、どうにかして国の為に働くべく動いていたとは思う。

 絶対とは言い切れないが、概ねそのような感じだろう。

 だがしかし、それがどうしたの言うのか?


「私はね、もしも暗部に拾われなかったらそのまま餓死していたと思う」


「……」


「まだ言葉も上手く話せない小さな弟分を胸に抱いて、路地裏からぶくぶくと太った貴族共に恨みの籠った目を向けながら、そのまま野垂れ死に……だから生きる為に、弟分たちにお腹いっぱいご飯を食べさせるために、夢のマイホームの為に必死に頑張った」


 私は、何を……なんて事を尋ねてしまったのだと、後悔の念が湧き上がるがもう遅い。


「だからアレン殿のように国や陛下への忠誠心とか、自らの成長の為なんていう高尚な理由は何一つとしてないんだよ」


「それは……」


「ただお腹いっぱいご飯を食べたい、怖い上司に逆らえない、もっと良い暮らしがしたい……そんなしょうもない理由で頑張った! 私は偉い! それだけ」


 図らずとも黒猫殿の暗い過去の一端を知ってしまった……私が両親に愛情を注がれ、恵まれた環境でぬくぬくと自己研鑽を積んでいた横で、私たち貴族の腐敗のせいで一人の子どもが追い詰められていた。追い詰めてしまっていた。

 私と黒猫殿では一つ一つの努力に対する必死さが違ったのだろう。もちろん私とて手を抜いたつもり無ければ、常に全力でことに望んでいたという自信はある。

 けれど、どうしても熱量に差が生まれてしまうのだろう……生きるのは当然だった私と、死が身近にあった黒猫殿では努力の密度が違う。


「な〜んて、暗部がお喋りし過ぎたね!」


「そんな事は……」


「ベルナール様に叱られちゃうから、この話はナイショね!」


「それは……はい、必ず秘密にするとお約束致します」


「ははは、じゃあおやすみ」


「はい、ごゆっくりお休みください」


 黒猫殿はなぜ私にこんな話をしてくれたのだろうか……もしかして、黒猫殿の足を引っ張っている事に悩んでいたと見抜かれて? それで気にしなくて良いと伝えるために、そして重くなり過ぎないように最後は冗談のように締めた。


「……」


 私はただ黙って、黒猫殿に向かって頭を下げた。






(あっぶね〜!? なんか弱々しいアレン様が気持ち悪いからっていらん事を喋り過ぎた! これバレたら絶対にベルナール様に叱られるやつだ!)


 アレン様に背を向けながら、私は冷や汗をダラダラと流していた。

 どうにかしてアレン様の口を塞がなければならない。

 その為なら一旦凍結にしていた『枕元にお前の性癖を積み上げてやる作戦』を決行する事も厭わない。

 レイシーちゃんは本気である。少しでも秘密を漏らす素振りを見せたら、即座にアレン様のベッドの下や箪笥の二重底の中、ありとあらゆる場所に隠されているであろう春画を暴く所存。


(私なら出来るはず、完全犯罪――)


 眠りに就くまでの身近時間、私は綿密な作戦を脳内で立て始めた。


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オーバーラップ様で書籍化が決まりました!

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