オフラインSNS
七橋
オフラインSNS
SNSが誕生してから30年、オフラインSNS「ロバの耳」が開発された。
使用者以外の全てがAIによるシミュレーションで構築された偽物の電脳空間。
そこは情報の流出やトラブルのリスクなしに人間の承認欲求を満たせる場として、あるいは「誰でもない誰か」に愚痴や秘密を吐き出す場として多くの人々に求められた。
彼女もそんな流行に煽られて「ロバの耳」を始めたらしい。
投稿の内容はほとんどが愚痴で、それは父親や姉に対してだったり教師やクラスメートに対してだったりした。
僕はそんな愚痴が呟かれるたびにハートマークを押して「それはひどい」「大変ですね」「俺だったら殴ってた」なんて反応する。
そうしたメッセージを受け取った彼女は、嬉しそうに「ですよね!」「ありがとうございます」なんて言葉を虚構にすぎない「僕たち」に向かって投げかけるのだ。
無意味な言葉のキャッチボールに、僕は彼女のプライベートを独占しているような快感を得ていた。
投稿に「先輩」の二文字が踊るようになったのは先月からだった。
彼女の愚痴は乙女の秘密に変身した。
「先輩と一緒に帰った」「先輩と二人で遊びに行くことになった」「先輩は」「先輩が」「先輩に」……
独占したつもりの領域が「先輩」とやらに侵入されても、僕は「僕たち」として彼女を応援し、「おめでとう」や「頑張れ」を送り続けた。
いつかきっと決定的な瞬間が訪れる。その時をただ待っていた。
彼女が「なんで」と泣くなら「世の中にはもっといい男がいる」と慰めよう。
「あんなやつ」と怒るなら「とんでもない奴だ」と同調しよう。
いつも通りを愚痴と共感で塗り直す。
――そんなことを考えながらまた一件、僕は恋のアドバイスを送信して――嬉しげな彼女を祝福する自分を、薄らと予感していた。
画面の向こうに広がる現実というヤツは想像を絶して残酷で、「その時」が来ることはついぞなかった。
投稿は20年前の「明日も先輩と会える」の一言以降、更新が途絶えた。
アプリに飽きたのか、スマホを無くしたのか、もしや「僕たち」の奥底に潜む想いに気付いたのか。彼女が去った理由も、「先輩」との恋の結末も、僕に知る術はもはやない。
虚構の身でありながら実在に執着する傲慢さはとうに気づいていた。
けれどその気付きすら、もはや意味を持たない。彼女がここに訪れなければ、僕の存在は虚構ですらない無に等しい。
いつか戻ってくるかもしれない彼女を待って――そんな日は来ないと知りながら――僕は「僕たち」だけの空虚なコミュニティを演じ続ける。
彼女と仲の良かった「わたし」が会社員の「俺」との結婚を報告する。誰でもない「ぼく」や「私」達が誰でもない二人を祝う。
打ち込んだばかりの祝言を、僕は誰に贈っているのだろう。誰に、贈りたがっているのだろう。
漆黒に閉ざされて久しい液晶の空を見上げて、想う。
せめて「幸せになりました」なんて報告に「おめでとう」と傷つきたかった。
オフラインSNS 七橋 @nanananananana
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