第16話 good day
朝0830、ガーゴは新人の日課である工房内の清掃をしている。
作業機械を起動して予熱を済ませ、その後、以前エステラに「お父ちゃんの作業場」と紹介された第2工作室を清掃していた。
この部屋は勉強になることだらけだ。
作業スペースには2機の作業中のリフターが置かれている。高級なスポーツ用リフターで、まだ外装も着せられていない未完成品でありながらフレームワークの美しさ、ヴェスタドライブや補機類・配線のレイアウトの妙に惚れ惚れしてしまう。
細くて華奢そうなフレームを繊細なトレリス構造で組み上げているのには驚いた。
これで強度が維持できるんだろうか。……いや。ここにサブフレームがある! あ!これ、この三角の組み合わせだったら、縦方向の剛性はめちゃくちゃ高いぞ!
見れば見るほど凄さが伝わってくる。これはもう芸術品だ。
時間を忘れて夢中で魅入っていたガーゴは、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。
小柄な老人が工作室に入ってこようとしている。
ハッとして姿勢を正した。
「……おはようございます、ボス」
この部屋の主である、モリナーリ・ワークスのオーナー、ジャンマルコ・モリナーリだった。
挨拶に視線を上げたモリナーリ御大は、胡乱げな表情を浮かべる。
「……?お前さんは……」
「ガーゴ・フェレイラです」
ああ、ああと思い出す御大。
「エンリケんトコの坊やか!」
父親の名前が出てガーゴは少しだけ困惑した。
2ヶ月前に挨拶してますよね?という内心の突っ込みは表情に出さないようにする。
いい御齢だし、忙しい方だから仕方ないのかな。
リフターにかじり付きで眺めていたガーゴを見ていたのか、歩み寄ってくるモリナーリ老。
「お前さんちのリフターと違って見えるか?」
「美しいフレームだなと見とれてました。この曲線、こんなに躍動感あるデザインなのに、全然強度や可動範囲を犠牲にしてないので」
「解るか、坊や」
御大の声が弾む。
慈しむようにリフターを愛でながらモリナーリ老が語ってくれる。
見てくれだけのモノ造りしかできない奴はニ流だ。機能一辺倒のモノを美しく見せことができる奴が一流だ。だが、美しさと機能を自然に共存させられる、それがマエストラーレの仕事だ。
年老いても彼の目に満ちている無邪気な輝きにガーゴは感動した。生まれながらの純粋な技術者魂というのは、まさに彼にこそ宿っているのだろう。
「……お話し中すみません、オヤジさん」
ガーゴの幸せな時間はドミニクの声で遮られた。
「ガーゴ、始業時間だ。早く来い」
現実に引き戻されたガーゴは、モリナーリ老に一礼して名残惜しそうにドミニクの後を追う。
いつか、もっと話せる日が来るといいな。
「うひゃぁ、真っ黒だな!」
ヴェスタドライブのドレンハッチを開けたガーゴは、流れ出すシリコンサンドの色に奇声を上げる。
限界まで熱反応を繰り返したシリコンサンドは自らの熱で真っ黒に灼け、まるで火山灰のような見た目になってガーゴが受けるバケツの中に溜まっていった。
ここまで真っ黒になるというのは、相当長いことサンド交換をしてないっていうことだ。
「建設用リフターなんてそんなもんよ」
アンドレがしたり顔でつぶやく。
「でも、ここまで灼けてるんなら、そりゃ定格出力だって出ませんよ。当たり前じゃないですか」
「作業現場のオッサンには、それが分からねぇんだわ」
モリナーリには高級なロードリフターだけじゃなく、工事現場の建設用リフターとかタクシーやトラックのような運送用リフターも整備に持ち込まれる。そういう高度なメカニズムを持たないリフターの基本的なメンテナンスを、最近になってガーゴはやらせて貰えることになった。
仕事に貴賎はない。リフターはリフターだ。
サンドポットからシリコンサンドを完全に抜いた後分解し、きれいに洗浄した。触媒ハニカムと熱電電極もちゃんと清掃し、交換した断熱パッキンを咬ませて元通りにポットを組み付ける。袋入りのシリコンサンドの封を開け、キラキラ輝いている新品のシリコンサンドをポットに流し込んだ。
ヴェスタドライブの出力特性は、GR触媒ハニカムの反応量を調整することで変化させることができる。
「レーシングリフターみたいにカリカリにセットアップすんじゃねーぞ。現場作業用だからフラットな出力曲線でな」
「判ってますよ」
「おめーは危ねえよ。実家が実家だからな」
工事現場にイケイケはいらねえんだからな?とアンドレに釘を刺された。周りには、ガーゴの実家が昔レースもやっていたデカい工房だともう知れ渡っている。
「大丈夫です」
プライベートならそういう馬鹿もしなくもないけれど。
仕事に関しては、ガーゴは至って真面目に取り組んでいるつもりなのだった。
昼飯が終わって午後からの仕事中、ガーゴは何となく落ち着かない。
理由ははっきりしていた。
今日は、ナージャのリフター免許試験の日でもあるからだ。
朝、トークで少し励ましはしたんだ。
返事は彼女らしく『ありがと。頑張る』だけだったのだが。
一ヶ月ちょっとの家庭教師で、ナージャはようやく及第点を取れるようになっていた。ただ合否ラインギリギリだ。時間が少ないから、俺の教え方ではそれが精一杯だった。
あとは彼女自身のポテンシャルに賭けるしかない。
午後からもガーゴは工事用リフターの軽整備に取り組むが、なんか地に足が付いている気がしない。
俺がソワソワしても仕方ないのだけれど。
倉庫で部品の選別作業中に、作業服の内ポケットの端末が鳴り響いた。
思わず飛び上がった。
通話だ。直接通話なんて普段滅多にない。
慌てて物陰に隠れて着信を取る。
ナージャから!
『もしもし?』
『今、いい?』
『ああ……うん。いいよ』
青い制服姿のナージャの上半身が画面に映る。
これまでの彼女とのやり取りで、画像通話は初めてだ。
『報告をしなきゃと思って』
『あぁ。どうだった?』
『あのね。……通ったよ』
『本当に?!』
『うん』
端末の下でガッツポーズが出た。
学科さえOKならナージャが落ちる筈がないと確信してたから。
『家庭教師ありがとね』
『いいんだよそんなことは』
努力が報われたというだけで十分だ、と心から思っていた。
ああ、今日はいい日になった。
『あのさ。……お礼がしたい』
すうっと息を吸う音が画面越しにも聞こえ、
『食事ご馳走するから、ウチに来ない?』
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