第7話 酒場にて
『終わった?』
『もうすぐ上がれる』
『どこか行こうよ』
『これから?』
『これから』
ナージャとガーゴは連れ立ってミルフォード街のアイリッシュパブに入り、ビール片手に卓に向かい合っていた。
2人の入社から1ヶ月が経とうとしている週末の夜。
トークで連絡を取り、互いの職場近隣から離れたサットン・ミルフォード街区で仕事終わりに待ち合わせた。
知人に会うと面倒そうなので。
そのせいで、勝手の知らない区域とあって、店のアテがない。しばらく何軒かの軒先を冷やかし、結局ナージャがここにしよ、と無理やりガーゴの袖を引っ張って入ったのが、この「遥かなるチッペラリー」なるパブだった。
全く知識がなかったのだが、アイリッシュパブには食べ物がほとんどなく、2人はポテトクリスプをつまみながらエールビールを飲む。
ナージャは強かった。
あっという間にエールを2杯空けたというのに、ほとんど顔色も口調も変わらない。
ガーゴも決して下戸ではないが、ろくな食べ物がない状態で飲んでいるので、2杯目の途中からは頭の奥に酔いが回って来たのがわかった。その向こうでケロリとしているナージャを見て、こりゃ先輩たちも大変だぞ、と彼は思うのだった。
パリパリとポテトを噛むガーゴにナージャが問いかける。
「ガーゴはどうして整備士になったの」
「実家が整備工場なんだ」
嘘は言っていない。
普通よりちょっと伝統があるだけだ。
「他になりたいものとか、なかったの?」
ガーゴはちょっと考えた。「……ない」
「親父のこと見て育ったから、あんまり考えなかった」
物心ついたころから機械に囲まれていた。
イストジオ・フェレイラといえば第3アルテラ「カタルーニャ」でも指折りのコーチビルダーで、昔、曽爺さんの頃には競技用リフターで太陽系中のレースを総ナメにした歴史があると聞かされている。
今はレギュレーションが変わり、大手メーカーが自社でコーチビルドまで仕上げる「パッケージ」と呼ばれるリフターを作り始めたので、嘗てのような需要が減り、一昔前と比べると規模が小さくなっていた。現在の工房は30人くらいの人手だが、昔はもっとでかい工場を持っていたらしい。
実家が名門ビルダーだという点は伏せた。彼女に先入観を持たれたくなかったから。
「いずれ、自分もそうなるもんだとしか思えなかったね」
元々ロードリフターがオモチャ代わりのようなもので、幼少時の遊びはいつもジュニア用リフターを使った競争だった。
カタルーニャにはビルダーが多く、子供たちにもその子息が沢山いたので、少年たちは身近に転がるガラクタに近いパーツを使ってリフターを仕上げ、自慢と競争を重ねて大きくなった。
ガーゴの家も不自由はなかったが放任主義だったので、自分で工房の機材を引っ張り出し、改造したりセッティングするのが日常(たまに職人に教えてもらったりしたが)。そのまま工業学校に進むことは自然な流れだった。親の言うことに従ったのは、学校を卒業する直前に、父親にモリナーリに口を利いてやったから行け、と言われたことだけ。
少し酔いが回っているガーゴはいつもより饒舌になっていた。
「ドラ息子と言えるんだろうね、世間的には」
「ケンケンもできないドラ息子?」
「できないのは、スキップだ」
ププっとナージャは吹き出した。「傑作」
「別に困らないだろ?」
「お父さんから何か言われることないの?」
「ないねぇ。放ったらかしだったからね。常識や世間のルールは母親のほうが五月蝿かったし、リフターのことはチーフに聞いてたし」
ガーゴにとっての父親の背中というのは、常に仕事絡みで冷静で……だが、反発を感じたことはない。
「親父は父親以前に、マエストラーレだったから。工場を、ひいては家族を守らないとならなかったんだなぁと、理解はできる」
マエストラーレ。
工房の長。
「名匠」という意味も含むマエストラーレの呼び名を認められるのは限られた者しかいない。それだけでもう、普通の家じゃない。ナージャがそれを知るのは、まだ、もう少し先のことだ。
「お父さんのこと、尊敬できる?」
「……立派なマエストラーレだとは思うよ。俺が、いつか、ああいう風になれるのかどうか……全然わからないな」
グラスが空いたので、ナージャを制して立ち上がり、2人の3杯目のビールをカウンターで買って席に戻った。自分の分はちょっと甘めのスタウトにした。
「ナージャは?」
「うん?」
「なんで警備員になろうと思ったの。キツいし、危険だし、同性もいないし」
ナージャは鮮やかな赤いレッドエールを気持ちよさそうに呷る。口元にちょっと残った泡をペロッと舐めた。
「あたしの故郷は第5アルテラのポルターヴァって所なの。すごい田舎よ」
「そうなんだ」
「今もメディアにタイムラグがあるくらいなんだから」
第5アルテラは地球を挟んで月とはちょうど反対側にあるアルテラで、他のアルテラとは一つだけ隔絶した場所に位置している。交通の便も悪く、辺境扱いされているのは事実だ。
「アルテラ自体も小さいし、裕福じゃない。資源衛星も少ないし持ってくるのにもコストがかかるから、どの産業も大きくならない。昔からずっとそう」
半分飲んだジョッキの泡を眺めるナージャ。上目遣いがちょっと色っぽい。
「うちの田舎で、貧しい家の子が教育を受けたかったら、どうすればいいと思う?」
「……? 奨学金、とか?」
「体育学校に入ることよ」
アルテラ直属の体育学校に入れば、学費はかからない。もちろん、そこで行われているのはあくまでアルテラを代表する一流アスリートの育成だ。だが同時に一般教養も本業の妨げにならない程度には教育される。将来的にアルテラを背負うアスリートになる彼ら彼女らが無教養では威信に係わるから。
ガーゴは内心驚いた。そんなレベルの暮らしが今もあるということに。
「7歳で公立体育学校に入って、今までジュージツをしてきた。アルテラの大会でも勝った。でも、それでも将来が保証されるわけじゃない。結局、誰かがあたしを見つけてくれるのを待ってただけ。それじゃダメってことを、ある先生が教えてくれた」
その先生は教養の先生で、体育学校にそぐわぬリベラルな教えを説いていた。人生は長い、体育だけをして一生を送れるわけではない。自分の考えで人生を切り拓かねばならぬ、と。
きっと上からマークされていたよ、とナージャは笑った。
酒のせいか、彼女も明らかに口数が増えている。
「その先生の言葉が耳に残ってる。それで、この仕事をやろうって決めたんだ」
「どんな言葉? 聞かせてよ」
「聞きたい?」
うおっほんと咳払いしてナージャはかしこまる。
「誇りを持て、そしてーー」
「そして?」
「愛せ」
思わず噴き出しそうになるのをとっさに堪えた。
「……笑った?!」
「わ、笑ってない」
「笑ってるじゃない!」
「違うんだ」
「飲め!!」
気がつくとすっかり朝の光が窓から差している。
ナージャにタクシーに放り込まれたところまでは覚えていたが、その後のことは全く思い出せない。
無意識でもちゃんと自宅のベッドの上で目覚めたことにひとまず安堵し、次にナージャのことを心配した。
彼女は……大丈夫か。
自分よりはるかに強い娘のことを心配するのも滑稽だ。
まだ痛む頭を抱えて起き上がると、端末にトークが届いている。
『無事かね?次はオゴリだからね』
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