第4話 使い走り
アルテラシティ「トリノ」市内、アントネルリ地区2番街に位置する、ヴェヌス・セキュリティ。
自社の社長室でグレン・リーブスは顧問弁護士のルーベンと向かい合っていた。
警備法に基づく新入社員教育に関する教育実施簿の提出に関する打ち合わせだ。
法令で警備会社の新人教育はカリキュラムの内容に至るまで厳しく管理される。
権力装置の一部になるのだから、仕方がない。
「昨年度、警備法が改正されましたので、それに伴い行政処分が下される事例が増加しております。くれぐれもお見落としのないよう」
「はいはい」
グレンは薄くなる一方の前頭部をつるりと撫でた。
面倒臭くなるものだ。自分たちが卒配されたときは、研修にこんな煩わしい手続きがあっただろうか?
若かりし頃の警察軍時代の記憶を思い出そうとするが、もう20数年も昔になる。
ヴェヌスを設立してはや7年。
人を集め、行政に掛け合い、自分たちなりの正義心を以て警備業に努めてきた年月の流れは想像以上に早い。
警察軍ではそれなりのポジションにいたグレンだったが、ヴェヌスを創業した時のメンバーはわずか3人だったことを思い出す。訓練以前の問題で、グレン本人をも含む全員で業務にあたった。世間的に見ても小男の部類の四十路を過ぎたグレンがリフター警備に従事するのはキツかった。
そんな昔話をつい、顧問弁護士には愚痴ってしまう。思えばこの人もよくこんな零細企業に付いてきてくれたものだ。
「そんな御社が学卒新人、しかも女性社員というこの現状は隔世の感がありますな」
「そうだねぇ」
噂の新人は窓の下の駐車スペースで、ケイリー・マツダ行動班長とマンツーマンで訓練をしていた。
緊急時の火災消火訓練で、炭酸ガス消火器の取扱いを学習し、実際に消火を行う。
火災が起こるのは当然大気がある場所、多くはアルテラシティ内だが、もし星間航行船内など閉鎖環境で起こった場合被害は甚大なものになる。だから防火訓練は重要だ。
「失礼しますよ」
慇懃無礼なノックの声と共に、返事も聞かずに入ってきた男。
「昨日の報告書です……ああ、ルーベン先生、どうも」
「相変わらずだね、ウォーレン君」
どうも礼儀作法は身に付かなくって、育ち悪りぃんでとウォーレン。
これでもこの男、ウォーレン・バンクスはケイリー班長に次ぐ副長格なのだ。上役に対する態度はてんでなっていないのだが、彼の天性の洞察力と判断は誰しもが認めるところで、班長からは厚く信頼されている。グレン社長からもだ。
「お前さんをこの教育プログラムに沿って再訓練してやろうって先生と話してたところだ」
「そいつぁ間違いねぇ」
辛辣なジョークを他人事のように笑うウォーレン。
「君の目から見て、例の彼女はどうだね?」
「座学さえ終わりゃいつでも戦力になりますね」
ウォーレンはすぐに現場のプロの眼になる。
「どだい、腕っ節じゃあ俺なんか敵わねぇ」
端麗な容姿とは裏腹、第5アルテラ・ジュージツチャンピオンという実力は本物で、格闘術ではもはやナージャの右に出る者はいない。
「この先は現場で、自分の肌身で覚えることが大事ッスね。人間のエゴ、人の生き死に、そういう生の部分を頭に叩き込む」
あとはウチの若いのが手ぇ付けて傷モノにしちまわないことを祈るばかりですな、とウォーレン。
それを聞いてグレンは頭を抱える。先日もモリナーリの工房長からメカニックが仕事にならないとクレームを受けたところだ。
一体どうせよと言うのだ。
「君はまさか手を出しとらんだろうね」
「まさか。チョッカイ程度ですよ」
「……やれやれ」
その頃ガーゴはヴェヌスセキュリティ目指して社用車を走らせていた。
使いを命ぜられたのだ。
両手で抱えられるくらいの小包を渡され、大事なものだから気を付けて持っていくようにと言い付かる。
「中身は何ですか」
「知らなくていいそんなこと」
何だよ。徹底的にパシリ扱いかよ。
「くれぐれも道草食わずに、早く帰って来るんだぞ」
ドミニクからやけに真剣な目で念を押された。
あのことで何だか目をつけられるようになった気がする。
部品を磨きながらナージャと話していたあの件で。
彼女とは別に何にもないのにな。残念なくらいに。
でも、正直なところ、あの時は嬉しかった。
皆が嫉妬するっていうことは、彼女と話せた人自体がほとんどいないということだ。
抜け駆けと言われたが、確かに自分は先輩たちより機会に恵まれているのかもしれない。
でも、今度も逢えたらいいな、と期待するぐらいでは、バチは当たらないだろう。
暫しの自由時間に鼻歌を漏らしながらガーゴはワゴンを走らせる。
「こんちわー、モリナーリワークスですが」
玄関を入り、中のオフィスルームでガーゴは声を上げた。
「荷物のお届けですがー」
その声に、カウンターの中の黒人女性が顔を上げる。
「ああ!」
ド派手な花柄のワンピースを着て、アフロの髪をヘッドバンドでまとめている。わかりやすい元気な黒人のオバちゃんだ。
満面の笑みをたたえて歩み寄ってくる。
「あんた、噂の新人くんねぇ!」
普通の三倍くらいありそうな大きな両手でしっかり握手された。まるでグローブのようだ。
ここまでは良かったのだが、、、
いきなり、ギューーっと抱きしめられた。体臭と厚化粧の混じった濃厚な香りが脳天を突き、気絶しそうだ。
「止しなさいルーシー、お客様ですよ」
冷静な声が聞こえ、ようやく解放されるガーゴ。
窒息するかと思った。
クルト・マイヌンガーだと男性は名乗り、ルーシーが悪かったねとガーゴに声をかけた。怜悧でザ・事務屋といった雰囲気の彼はさっさと彼らの背後を通り、デスクについて書類をめくり始める。
「と、とりあえず、お荷物届けに上がったんですが」
「あぁ、ごめんねぇ」
悪びれる様子もなく豪快に笑う彼女。
「ルツ・ニャンガウよ。
荷物です、と何度目かの訴えにようやくルーシーは反応してくれ、ああ、これねとサインタッチを取り出した。荷物のホロシールにチェックサインを記録し、悪いけどこっちの部屋に置いてくれる?と指示を出す。
いいですよとガーゴが歩き出した時、廊下の向こうに人影が見えた。
教官らしき男性の後ろに従う人影。
ナージャだった。
思わぬ再会にガーゴの胸は高鳴った。
だが、仕事中だ。手も塞がっている。
ヴェヌスの廊下で対向して接近する2組。
「班長!コロンボからメッセージが届いてたよ!」
「ありがとうルーシー、あとで見る」
先導するルーシーたちが仕事の会話を交わす。背後のガーゴは何とか目配せを送り、彼女に気づいてもらおうとする。
何度目かに彼女と視線が合った。
表情は何も変わらない。
すれ違う瞬間、彼女はわずかに左手を動かした。
手を振ってくれたように見えた。
それだけで十分だ。
一気に心が温かくなった。
鼻の下、伸びてないだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます