わたしのマエストラーレ ~警備女子と新人メカニックの他愛ない日常~

heavens door

第一章 キボウノワダチ

第1話 モリナーリ工房

  人工の環境だとはわかっているけれども、何となく故郷と似ているとガーゴはタクシーの車窓から流れる街並みを眺めて感じた。


「トリノ」市街に並ぶ建物の石積みは旧時代の地球とは違い、せいぜい100年程の歴史しか刻まれてはいないが、市中の落ち着いた雰囲気は確かに第1人工大地アルテラ有数の古都を名乗るだけの説得力に満ちている。


 子供たちは街路を走り回っている。店の軒先で世間話をしている老人。乗合バスから降りて、高らかに喋りながら登校する学生。汗を拭きながら街を行く会社員も見られる。

 街並みには活気があった。人々の暮らしがあった。


 これから新生活を送ることになる街だから、目に入る光景すべてを印象に残しておこうと、ガーゴは目を凝らした。そうやって眺めていると、いくら見ても見飽きない。



 街外れに差し掛かる辺りで車が静かに減速し、ささやかな楽しみの終わりを告げた。

「お客さん、着いたよ」

 タクシーの運転手の声に我に返る。


「いくら?」

「37アトルだよ」

「どうも」


 携帯端末で支払いを終え、ガーゴはタクシーの後席から石畳の歩道に降り立った。



 人工の空は明るかった。

 午前に設定された日差しが照らす中、ガーゴは目の前の古めかしい工場を振り仰ぐ。

 灰色の壁の年季の入った建物が、来訪者を厳かに見下ろす。

 ガレージ扉の上に「モリナーリ・ワークス」とでっかく描かれた看板が掛かる建物に彼は足を踏み入れた。




 大きなガレージの扉脇で一人のスタッフらしき男が休憩中らしく、シガレットをふかしている。

 初めて見るガーゴを見咎め、


「兄ちゃん、何だね?」

「ガーゴ・フェレイラと言います。今日からここで働かせてもらうことになってます」

「ん?ちょいと待ちな」


 男は奥へと駆け込んだ。

 その間にガーゴは大扉から工場奥をのぞき込む。

 建物内は結構奥行きがあり、リフター用のトレーラーが一台(もう一台は表にあった)、整備中らしきロードリフターが3台ほど鎮座している。見える範囲はそのくらいだが、間仕切りの奥にさらなる設備があるのかも知れない。


 実家の工場よりもやや大きいかな。


 2、3分の後、工場の2階にある事務室らしき部屋の扉が開き、階段にパタパタと足音が響いた。

 階段を降りて来たのは30代半ば位の女性だった。


「ああ、新人さんね?お父ちゃんから聞いてます」

 こっち付いて来て、と彼女は先導に立ち、工場の奥へと進み出す。

 金髪を無造作に束ね、古ぼけた前掛けをしている。化粧っ気のない装いだが、溌剌とした女性だ。


 フレームや配線をむき出しにしたリフターの傍らを通り、片隅でデスクを囲んだ一団のメカニックたちに女性は声をかけた。


「アーベル! 新人さん来たよッ」



 短髪で四角い顔の男性が一団からこちらに歩み寄り、工房長のアーベル・ユルゲンスだと名乗った。握手の手はごつく、節くれ立っていて、これまでたくさん見てきた熟練のメカニックの手と、やはり同じだった。


「今日一日は、社内の見学でいい。エステラに色々教えてもらうといい」


 頼む、と後を託して、彼は打ち合わせに戻って行った。

 一団のデスクの横でベンチに載ったヴェスタドライブがカバーを外され、吸収ユニットが鈍い輝きを放っている。

 懐かしい光景だった。かつて、毎日見慣れた光景。



 エステラは工房の庶務で、彼女が社内を全て案内してくれた。所々で従業員と交わす会話から、彼女がさっきのユルゲンス工房長の奥さんであることが分かった。

「遠いところからよく来たねえ。お父さんは元気?」

「ええ、まあまあです」

「あんたのお父さん、子供の頃よく遊んでもらったわぁ。イケメンだったのよぉ」


 さっきの「お父ちゃん」の発言といい、うちの親父を知っている言動といい、どうやら彼女は娘さんらしい。この工房のマエストラーレ、ジャンマルコ・モリナーリの。


 ウチとおんなじだ。家族経営だ。



 世話焼きらしいエステラに案内されて、あらゆる所を見学した。


 工場内は4区画に分かれていて、ロードリフターが3台整備されている。全てのリフターの外装は青、黒、白に塗り分けられ、「Venus Security」とロゴが入っていた(整備請負先の会社だろうか。警備会社?)。


 実家にあった工作機械もあれば、見たことがないものもあった。さすがにエステラもそこまでは説明してくれない。

「機械のことは明日からちゃんと説明あるから、しっかり覚えるのよ」

「はい、頑張ります」

 専門でない設備の話はさらっと流し、次、次とガーゴを引っ張って行く。


 モリナーリでは、というより殆どのコーチビルダーでは、オリジナルのメインフレームを製作していて、別棟にあった倉庫には幾種類かのフレームが在庫されていた。

 ロードリフターの操縦性はフレームの良し悪しに左右されるので、ビルダーはオーダーに合わせてメインフレームを選び分ける。その為の各種フレームが倉庫にずらりと並ぶ姿は圧巻だった。

 ガーゴはその光景にワクワクする。

「リフターが好きなのね」

「ええ、すごく」

「流石ね」


 じゃあここは天国ね、とエステラに連れて行かれた工場奥の仕切りの向こう、そこにはやはり作業区画があり、2台のロードリフターが製作中だった。

 工場の表にあったリフターがかなり武骨なタイプだったのに対し、ここの機体はフレームワークがそれと判るほどに繊細で優美だ。補器類のレイアウトも美しい。


「ここは、お父ちゃんの仕事場」

 つまり、モリナーリ御大自ら手掛ける作品群ということだ。これは貴重品だ。

 しかもこんな貴重なものを今日来たガーゴに見せてくれるエステラの屈託のなさ。

「ごめんね、お父ちゃん、今日留守。また居る時に挨拶してね」




 時刻は昼になり、休憩の為に仕事を止めたスタッフたちがぞろぞろと昼食に出かけ始めた。

「あんた、お昼は?」

「何も準備はないですが……どこに行けばいいんでしょう?」

「あんた一人じゃ分かんないわね。いいわ、店案内してあげる、……あ!ちょっと!」


 テオ!こっち来なさいよとエステラが声を上げる。メカニックの一団から青年が1人こちらに近づいて来て、エステラに頭を下げた。

「この子はテオ。こちら、今日から入るガーゴ。あんた、初めての後輩なんだから、仲良くするのよ」

「初めまして、ガーゴ・フェレイラです」

「ども」


 テオと紹介された青年と握手する。ガーゴより少し背が低いくらい、童顔で自分より若く見える。丸顔でそばかすが目立つ表情は硬く、握手を交わしながら目は全然友好的じゃない。エステラさん、すぐには仲良くなってくれそうもないよと内心思う。



 エステラの強引な取りまとめで、テオを含む若手メカニック4人、事務の女の子1人、エステラとガーゴで昼食に行くことになってしまった。自己紹介の場を作ってくれたのだとガーゴは感謝したが、何か一物ありそうなテオの視線は気になった。


 工房から徒歩5分ほどのところにタヴェルナ(大衆食堂)があり、ガーゴを含む一団以外のモリナーリ社員たちも詰め掛けているようだった。

 エステラが仕切る一団はアラカルテでパスタや野菜、肉料理を数皿オーダーし、取り分けて頂く。


 先輩メカニックたちはそれぞれアンドレ、マティアス、ヘンリーと名乗った。

「この子はポーラ。事務のNO.2であたしの弟子だから、この子泣かしたら給料はゼロだからね。ガーゴも覚えときなさい」「やめてもう、何言ってるのエステラさん」

 まだ昼なのにワインが入っているエステラを赤面して諌めるポーラ。小柄で目がパッチリしていて、ちょっと可愛い。


「工業学校出だって?リフターのことは分かるのか?」

 アンドレたちから質問される。

「学校の研究室で高効率熱電効果の勉強をしてました。ロードリフターエコマラソンにもチームで参加しました」

「おおー、すげぇ」

「有能君じゃねぇか!」

「……部活と現場は違う」ボソリと呟いたテオの言葉が耳に入った。教授と共同論文まで出した研究成果を部活呼ばわりされて内心カチンと来たが、

「もちろん、学校と職場では全然違うでしょうから、早く仕事を覚えられるよう努力します」

 それにしてもなぜ、こんなに刺々しいのだろう?



 食事が終わった午後からは再びエステラの元でひたすら書類の説明を受けた。賃金形態のこと、福利厚生のこと、書かねばならない書類は沢山あった。

 それらの記入と、社内規則の説明を受けていたら、一日があっという間に過ぎてしまった。


 終業時間が近づき、エステラは最後に社用車の説明にガーゴを表に連れ出した。

 工房にはリフター2機を運搬できる大型のトレーラーが2台、それ以外に資材納品用の小型貨物車が1台ある。

「リフター免許はあるの?」

「持ってますよ」

「車両免許も?」「ええ」

「じゃ、運転手もお願いするかもね」

 ロードリフターを操縦するには特殊免許にあたるリフター免許が必要だ。もちろん装輪車両を運転するのには車両運転免許も要る。



 ちょっとした買い物ならそれで、と指さす方向には自転車があった。人力で動くプリミティブな移動手段は、現在でもなお使われている。

「ああ、自転車は……」

「どうしたの?」

「乗れないんです」

「本当に?!」


 ガーゴは頭を掻いた。

ジャイロがあるやつモペットしか乗れなくて」

「困った子ね。……まあ、いいか」

「すみません、運動音痴で」

 幻滅されたかな。



 定時になり、ガーゴは改めてユルゲンスの下に挨拶に行った。

「明日からよろしくお願いします」

「期待してるぞ」

 その場で整備班長を紹介される。ドミニク・リーだと自己紹介され、明日からは彼の下について見習いをすることを告げられた。

「最初は下準備とか掃除だな。それをしながら作業の流れを覚えるんだ」

「頑張ります」

「聞いたぜ、工業学校卒なんだって。頭はお利口なんだろうが、仕事は学校みたいにはいかねえから、悪いが一から下積みしてもらうぜ」

「はい」


 大丈夫、そのくらいの覚悟はしてきたつもりだ。




 まだ整理されていない荷物が積み上がるアパルトマンにガーゴは帰宅した。

 帰りに買ってきたパニーノで適当に夕食を済ませた後、明日からの出勤の為の乗合バスの時刻、路線をチェックする。まだ勝手がわからないから、早起きして行動しようと思う。

 情報端末の脇に置かれたフォトフレーム。夕べ荷物から引っ張り出したものだ。2枚の画像が表示されていて、一枚は実家の工場前で写した家族写真、もう一枚は工業学校の仲間と撮った集合写真だ。


 ……共に社会に出た仲間たちも、こんな胸中で夜を過ごしているのだろうか。希望と不安と、少々の寂しさが混じった気持ちで。


 コントロールされたアルテラの夜は、若者の想いを包み込んで更けゆく。

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