ロゼッタ・ルルの歌

円窓般若桜

ロゼッタ・ルルの歌

「ロゼッタ・ルルの歌」



「ああ、なんでだ!畜生!」

ロゼッタ・ルルは大きく憤った。

「この指だ!この指がなぜこの拍でここに動かない!いや動く!けれど駄目だ!スムージーじゃない!ええい!いっそ切り落としてくれようか!」

独りで勝手に憤りながら、ロゼッタ・ルルはグリーンフィズをがぶっと飲み込む。

薔薇柄のぬめし馬革を張った450背のけやき椅子が、がたんと揺れる。

「おう!畜生まただ!まだスムージーじゃないぜ。こうだ!そう!」

352長のヴァイオリンのD線ガット弦に、弓を中指薬指で挟みながら、左手の中指を右手の人差指で押しつける。指板はスタンダードに黒檀(こくたん)でできていた。

「もう一度だ!ここさえ上手く良きゃ完成するのさ。いいか俺の中指よ、いいや、俺の左手の中指よ、てめえ次第だぞ。責任は重大だ!」

表板はスプルースを用いているが、その他の板には遠く東の材料を使っているそのヴァイオリンは、魂柱(こんちゅう)をヒノキに任せている。

「ブラボー!畜生!よくやった!完成だ!」

ロゼッタ・ルルはグリーンフィズをかぷっと飲み込み歓喜した。


裏通りサンロッタゴリアンテの路地方に構える「ミルキーウェイ」は雑多な店さ。

行くものは多く滞り、去りゆく調べはステップすら踏むんだ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルは押し戸を押すよ。

「やあ、ロゼッタ。待ってはいなかったさ」

髭むくじゃらの店主は決まってこう言うし、ロゼッタ・ルルも気にも留めない。

「天の川の砂でできた、おお!この音楽を」

ロゼッタ・ルルはヴァイオリンを鳴らすよ。先端には渦巻のライオン。ブラジルボクの魂さ。

「どうだい!ハレルヤかい!」

喝采がない。

「ブラボーだ、ハレルヤ。でも金はやれねえな」

「おっとっと。金がもらえないんじゃ埒があかねえ!」

ロゼッタ・ルルはひゅうと引き戸を引くよ。

冷たい夜風が頬を撫でたけど、ロゼッタ・ルルの心にはなにも響かなかったよ。


三叉路の真ん中をちょっと行くとトルキクシャナのメインストリートさ。「ヘロンホテル」がでんと構えてら。

「やあ」

ロゼッタ・ルルは飛ぶように店の中に入るよ。でもほんとは飛んでなんかいないのさ。

「やあロゼッタ。今日は早いな。まあ待ってなどはいなかったが」

つるっぱげの店主が言うよ。でもロゼッタ・ルルはどこ吹く空っ風さ。

「皆の衆!真っ白なのに金色に輝く音楽だ!」

さあ、ロゼッタ・ルルがヴァイオリンを鳴らすよ。膠(にかわ)がぐねぐね損失さえも音響に変えちゃうのさ。こいつはオーロラなんて愛称で呼ばれるけど、ロゼッタ・ルルは一度もそう呼んだことはないのさ。

「どうだい!どうだい!ブラーボだろう!」

小さな拍手が起こるけど、つるっぱげがこう言うよ。

「最高さ。だけど金はやれねえな」

「そうかい。じゃあ用はねえ!」

ぴょいっとロゼッタ・ルルは飛ぶように店を出たけど、ほんとうには飛んでなんかいないのさ。

ステンドグラスの電灯の下にはライラックが咲いていたけど、ロゼッタ・ルルのハートには届きそうもなかったな。


突き当たりを右に折れるとブリックメルヴェの涙通り。「チェルシーパレス」がひっそりとしているよ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルは落ち着いた素振りさ。ほんとうは激しかったんだけどね。

「いらっしゃいロゼッタ。待ってたよ」

パイプをくわえたじいさまが嘘をついて言うのに対して、ロゼッタ・ルルはお辞儀をするよ。

「さあじいさま!ひこうき雲の火のような音楽さ!」

ロゼッタ・ルルがヴァイオリンを弾き鳴らすぞ。415の完全五度だよ。ひこうきがはじめて飛んだ時、だれが雲を尾っぽにするなんて考えただろうね。

「どうだい!じいさま!」

じいさまはパイプぷかぷか。

「ブラボーでハレルヤさ。悪いけど金はやれそうにないがね。代わりにほら、これをやるよ」

「イエローフィズか。サンキューじいさま!また来るよ」

ついっとロゼッタ・ルルは穏やかに店を後にするよ。ほんとうは激しかったのだけど、言葉やフィズに喜んでちゃいけないのは知っていたのさ。

月明かりが美しく街道を照らすけど、あれは反射光さってロゼッタ・ルルは吐いて捨てちまうのさ。


「畜生!完成したと思ったが!」

ロゼッタ・ルルは大きな声で呟く。

「憎きヴァイオリン!」

ロゼッタ・ルルはイエローフィズをこくっと飲み込む。

面相度6・5Zの900背丈のマーブルテーブルがぐらっと揺れる。

「弦を増やすか!そうだ!ギターさ!」

ロゼッタ・ルルはクラシックギターを取り出す。指板は紫檀(したん)でボディにはレッドシダ―のオーソドックスな型。スロテッドのヘッドストックには完璧に調律されたブロンズ弦が糸巻いていた。

「足りないのはここの和音だ。ここさえ、ここさえ、ブラーボ!完璧じゃないか!なんだよ畜生!俺の指はこいつにこそぴったりだったんだ!」

ロゼッタ・ルルはイエローフィズをこくりと飲み込み眠った。


さあさあ、グリーンウッドの通りには、「エメラルダ」が厳かにあるよ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルは今日も今日とて勇み足で店に入るのさ。勇ましいのは良い事だと、どこかの本がそう云ってたな。

「あらロゼッタ。また来たの」

店主にしては年若な、ぷるっとした紅いルージュ女がそう言うけれど、殺してやりたいほど美しいとロゼッタ・ルルは思っていたし、吐かれた言葉なんてどうでもいいのさ。

「来たさ!俺が来なくちゃどうなる!よし!畜光発射のごときこの音楽を!」

ロゼッタ・ルルがクラシックギターをぽるんと鳴らすと、ハカランダがきらりと光るよ。

店主目当ての汚い浮浪者どもが、にやにやにやにやこっちを見てるよ。

「どうだい!ハレルヤ!」

「あらいいわね。お金をあげるわ。こっちへいらっしゃい」

「ほんとうかい!ほんとうかい!ああ、いま行くよ!」

ロゼッタ・ルルは初めて演奏賃を受け取ります。

「でもチャージ代は払ってね」

受け取った同じ額面をロゼッタ・ルルは払います。

「ちっ!魔女め!でもありがとよ!金をもらうのはやっぱり嬉しいぜ」

そう言ってロゼッタ・ルルは鼻息荒く勇ましく店を後にします。ありがたいことには素直にありがとうと言うのが大切だろうが。

しなびたらんぷ草に野良犬がションベンをひっかけていたけど、ロゼッタ・ルルは気にせずスキップをするのさ。


 ほれ見たことか。十字路の正面にはベントスイーグル通りがあってさ、「ナイトイーグル」が小洒落てあるよ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはドアの上に付けられた鈴を鳴らさないよう鳴らさないよう入り口を開けるよ。でもカチリリンって鈴は鳴るんだ。

「やあロゼッタ。景気はどうだ?」

総髪をすべて後ろに流した、ポマード店主がそう言うと、

「おかげさまさ!感謝するよ!ほおれ!よだかのごとき音楽さ!」

と言ってロゼッタ・ルルはフラメンコギターをじゃかじゃん鳴らすよ。制限のないカッタウェイさ。

「どうだよどうだよ!ブラーボかい!」

「相変わらずだよ。でも金はやれねえ。そうだ、人気のないこいつをやろう。お前さんにはぴったりだ」

ポマード店主はそう言って、ブルーフィズを瓶口を掴んで差しだしたさ。ブルー色が飲む気がしないんだって。

「やあ!これはありがとう!」

受け取ると、ロゼッタ・ルルは鈴を鳴らさないように慎重にドアを開けるけど、やっぱりどうしても鈴は鳴ってしまうんだ。

ステンドグラスの街燈がマーブル模様を映すけど、映し世になんて意味ねえやと、ロゼッタ・ルルは次を目指すよ。


ご覧よ。水(みず)甕(がめ)座の真下にはトリーヒョウカゲの通りがあってさ、「胡蝶館」が色立って構えているさ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはあちこちに散らばったホステス達には目もくれず、意気揚々と扉を開けるんだ。でも充満しちゃってる女の匂いに少しはくらくらしてるんだぜ。

「おや、また来たのかい。バカなロゼッタ坊や」

店主のおばばはそう言うけれど、坊やなんていう年齢ではないのさロゼッタ・ルルは、ぽろぽろんとギターソロを鳴らすのさ。ゴルぺ板のおかげだね、痛烈なタッピングにもなんのその。

「どうだよおばば!幾百の蝶が舞う音楽さ!ブラボーじゃないか!ハレルーヤだろう!」

女達の視線に、常よりオーバーにロゼッタ・ルルは強めに言うよ。強い男に女は惚れるのさ。

「大したことないじゃあないか。金はやれないねえ」

「ちっ!そうかい!じゃあ用はねえ!じゃあな!」

女達は興味なしで手を振るよ。しっしっ早く帰れってね。

ロゼッタ・ルルはすこおし悲しそうだよ。女に嫌われるのは嫌なんだ。

扉を開けるとちょうどの温度風がにごりを洗い流すように駆けていったけど、にごりも併せ飲むのが男だよって、ロゼッタ・ルルはもう悲しくないぜ。


「畜生!なんだってんだ!なにが足りないんだ!」

ロゼッタ・ルルは両の手で頭を抱え込んで、それからブルーフィズをごくりと飲み込む。

極細なカラフルストーンを散りばめセラミックウレタンでコーティングした純黒677のラビットテーブルがくらっと揺れる。その脚柱には浸炭(しんたん)焼き入れが施され、生地が青くむら焼けている。

「おおそうか!伴奏さ!リズム隊が足りないのだ!でもどうしよう?俺は独りだぜ。そうだ!ピアノだ!でもどうしよう?ピアノは持ち歩けないぜ。そうだ!これがあるじゃねえか!」

ロゼッタ・ルルはがさごそアコーディオンを取り出す。ボディは黒雲立ち込めたかのような黄色。アワビ貝の綺羅殻が散りばめられている。がさごそ取り出した割には清潔に調度され音色もばっちりだ。

「足りないのは伴律だ。ここの裏拍は伴奏さ!同時に、そう!なんだよ畜生!俺は天才か!ブラーボだよ!怖いもんなしだぜ!」

ロゼッタ・ルルはブルーフィズをごっくりと飲み込み、二口目はそれでうがいをした。


逆十字の星が見下ろす南にはブリュワーカーッペットの通りがあって、「金色の野原」は爽やかにあるよね。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはなんでもないよと入っていくけど、ほんとはわくわくわくわくしてたんだ。

「あらまロゼッタ。今日は早いじゃない」

男なのに女言葉を使う店主が大仰に言うよ。こいつはいつもそうなのさ。

「盲しいた者よ!金色の大地に立つがごとくこの音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはアコーディオンを鳴らすよ。蛇腹(じゃばら)は南海の大波のようさ。アールデコのヴィンテージなんだぜ。

「どうだい!盲いた者たちよ!ブラボーだろ!」

「賑やかでいいわねえ。でもお金はあげない」

「なんてケチだよ!ふところまで盲(めし)いたか!ちぇ!じゃあもう行くぜ!」

ロゼッタ・ルルはなんでもないよと出て行くけど、盲いたなんて言って悪かったかなってちょっと思ったんだ。

のけぞって見上げた逆十字は、正十字に見えたけど正しいものなんて見方ひとつだなって、ロゼッタ・ルルは目を閉じるのさ。


猫の額ほどなんて言うけどさ、キャットストリートに「キャットブルース」がこじんまりとあるよ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルは猫は嫌いだったけど、そんな素振りを見せないで入り口開けて入っていくよ。なぜ嫌いかって?だってあいつら求めても逃げるばっかりなんだぜ。

「ロゼッタか。まあゆっくりしていきな」

白髪の店主はニット帽子にせまいツバのついた、変な帽子を被っているよ。

「あんまり時間はないのさ!さあくそ猫どもよ!またたびのような音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはアコーディオンをプワっと鳴らすよ。行きと帰りで変音するダイアトニックさ。

「どうだよ!にゃんこ共!とろけちまったか!」

にゃーごの返事はいっさいないよ。まったくこれだから猫なんてのは。

「悪かねえけど金はやれないよな。猫の餌だって高いのさ」

「猫になにがわかるってんだ!ちっ!猫バカめ!もういいさ!」

ロゼッタ・ルルは口ではそう言うけれど、猫を踏まないようにそろりと店を出て行くよ。ほんとは猫が好きなんだね。

店前に置かれた猫男爵の置きものと眼が合ったけど、向こうはエメラルドの瞳だし、気にも留めずにさあ次を目指すよ。


エーゲ海に捧ぐなんて、そんな文句がどこにあるんだい。ハートの通りには「デディエーゲ」が風と花とともにあるよ。

「やあ」

白壁に青い扉をぐいっと開けて、ロゼッタ・ルルは中に入るよ。白壁には青い植物が垂れさがっているけど、この植物は海草なんだって。

「あらいらっしゃいロゼッタ。久しぶりだわ」

象牙のようなつるんとした白肌の女店主はそう言うけれど、それほど久しぶりではなかったけどな。

「母なるエーゲよ!この歌を!」

ロゼッタ・ルルはアコーディオンを弾き鳴らすよ。シャフトがバルブをこじ開けて、リードをエーゲ海の空気が滑っていくのさ。

「どうかね!どうかね!感じただろうさ!」

「素敵な歌ね。はい、これをあげるわ」

つるんとした女店主はシルバーフィズをくれたんだ。でもお金はくれなかったよ。

「ややこれは!しょうがねえ!もらっておくさ!」

シルバーフィズは珍しいんだけど、味のほうがいまいちだから、ちっとも人気はでやしねえのさ。

内装も白壁だったし、内扉もやっぱり青かったんだけど、青い植物が海草だなんてうそおっしゃいなとロゼッタ・ルルは、象牙の肌にも目もくれず、ぷいっと店を出ていくよ。

夜風が一輪吹いてきて、エーゲの風を思わせたけど、カスピのそれだって言われたら、ロゼッタ・ルルにはそうなんだろうな。


「くそくらえ!なぜだ!」

ロゼッタ・ルルはシルバーフィズの栓をぽきゅんと開けてグラスに注ぎ、ぐびぐびっと飲み干す。シルバーフィズは変わっていて、ワインみたいに栓がコルクで封されており、開ける時コルクに押し潰されてきた空気達が解放に嬉しくて、ぽきゅんと高い音を鳴らす。

床水平に、380背のプロキシ樹脂で黒塗りされた本棚がみっちりと中身を揃え一面を囲う。

「ああそうか!空気が放つ高音さ!これだ!」

ロゼッタ・ルルは黄金に光り輝くトランペットを吹き鳴らす。ピストンがしゅこしゅこ運動し、アッシリアの時代から親しまれた音調がこだまする。

「オーケー!これだ!歌が歌えねえのが厄介だが、まあ伝わるさ!」

ロゼッタ・ルルはシルバーフィズを瓶のままぐびっと飲む。瓶口を口から離すとき、きゅぽんと空気が嬉しがった。


いつからどこでヒトは生まれて、いつになったらどこへ行くんだろうな。夜と名付けられた街道には「カフェテラス」が灯々とあるよ。よく間違えられるけど、普通じゃなくて固有名詞なんだよね。

「やあ」

テラス席をすいっと抜けて、ロゼッタ・ルルは黄色がかった店内に入るよ。

「やあやあロゼッタ。よく来たよく来た」

チョッキを着たじいさま店主が、口髭立派にそう言うよ。

「やあじいさま!見な!ひまわりのごとく音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはトランペットを吹き鳴らすよ。同じ名前の人工衛星まで届くんじゃねえかな。

「どうだい!歌はねえがブラボーだろう!」

「ほっほ。良い音楽だねえ。しかし金はやれないんだ」

じいさまチョッキがよく似合ってる。こんな大人になりてえな。

「オーケー。いいさ。へっ!またな!」

ロゼッタ・ルルはテラスを抜けて、夜街道に出て行くよ。言い忘れてたけどドアは無くて、おっきな屋根がそいつの代わりさ。雪の重みじゃ潰れちまうけど、木々の死葉はここを目指すぜ。

星がきらきら輝いて、輪郭ぼやけて埃みたいさ。でも言っとくけど、そいつはとてもさ、結晶みたいに綺麗な埃だったぜ。


人間でいえば60歳なんていう通り、動物はそいつそいつで時間の流れが違うのさ。もちろん人間もそうなんだろ。チビタ通りには「モスキート・ラブ・ジュース」が時間がとまっちまったみたいにあるぜ。

「やあ」

古びた木製のテキサス扉をきいっと開けて、ロゼッタ・ルルは中に入るよ。

「おう、ロゼッタじゃねえか。まあよろしくやってくれ」

店主だというのに酔っぱらった灰色熊みたいなマスターのことなんかお構いなしさ。

「ご覧さ!酔っ払い共!この音楽さ!どんな海戦にさえ勝利する!この音楽だよ!」

ロゼッタ・ルルはトランペットを吹く。ヘラルト・ドウのトランペット吹きみたいな豪奢(ごうしゃ)なそれじゃないけれど、お洒落なロゼッタ・ルルは、なにがあんな変な恰好!くらいに思ってるぜ。

「どうだい!鳩さえ集まって来そうにグッドだろう!」

「いいじゃあねえかロゼッタ。でも金はやれねえ」

酔っ払いのくせに金勘定はしっかりしてやがる。こういう人間は大きな成功もしないかわりに、そこそこ立派に生活するんだろうね。

「アルコールが邪魔しやがって!また来るぜ!」

インディアン扉をきいっと押して、ロゼッタ・ルルは店を後にするよ。

月明りに照らされたトランペットの金色が、なんだか嘆いているみたいに見えたけど、演奏中は歌えなかった歌をハミングしながらロゼッタ・ルルは、自分だけの時の波動上を、とぼとぼとぼと歩くのさ。


黄金(おうごん)髑髏(どくろ)を見たことあるかい?なにか世界に大きな成果を実らせたモノの髑髏は、きらっきら眩いほどの黄金でできているんだって。まあそいつ自身は、死ななきゃそれは見えないんだけど。ゴールデンベッドの通りには、「ライオンヘッド」が煌びやかにあるぜ。入り口にはライオンの付いた噴水があって、金色の天蓋が広がる様に迎え入れるのさ。

「やあ」

ドレスコードが必要らしいけど、音楽家のロゼッタ・ルルは、いつもきちんとした服を着ているからへっちゃらさ。でもくたびれてきた布地がちょっと気にはかかったけどね。

「やあやあロゼッタ。毎度毎度迷惑なんだがな」

スリーピースでビチッときめた、胡散臭い小太りがそう言うけど、ロゼッタ・ルルは金で買えないものが欲しかったから、気にもしなかったよ。

「さあ!栄華を謳う紳士よ!胸丸出しの女共よ!この音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはトランペットを鳴らすよ。酒池肉林の店内に、ピッコロの音が鳴り響く。紳士共は丸出しの胸に夢中だし、女共も金の匂いにあてられてやがるさ。

「どうだいいいだろう!肉の感触なんて吹き飛ぶはずさ!」

「ブラボーだロゼッタ。さあもう帰ってくれ。金はやれないけど俺はケチじゃないからこれをやるよ。ケチはいけねえ」

胡散臭い小太りはそう言って、レッドフィズをくれたよ。

「やあ!ありがとう!見かけによらず良い店じゃないか!じゃあな!」

ロゼッタ・ルルはすたこら店を出て行くよ。チロルドレスの金髪女が微笑みながら拍手をしてくれていたけど、ロゼッタ・ルルの桃源郷は、音のどっかにあるはずだから、見向きもしないですたこらさ。でもチロルドレスは可愛かったな。

薄暗い夜道のずっと先には地平線があって、太陽はいまあの下にいるのかなって、そこまで行きたい気分になって、ロゼッタ・ルルは早足するよ。


「畜生!畜生だ!」

ロゼッタ・ルルはさっき貰ったレッドフィズをごぶりと飲み込む。開け放しの窓から外気が優しく、ティーカップローズの紋様を施したレースカーテンをふわりと触る。触られたレースカーテンは音楽もないのに舞い踊る。

「優しくないぜ!この世界がさ!そうか!優しさか!これだ!足りないのは!」

ロゼッタ・ルルはハープをぽろぽろんと鳴らす。扱いやすいケルティック。

「でもちょっと女々しいかな。まあいいさ!優しささ!歌も歌えるしな!」

ロゼッタ・ルルはハープを鳴らす。ぽろぽろん、ぽろぽろん。レースカーテンは舞いをやめる。

「オーケー!今度こそ金をいただくぜ!」

ロゼッタ・ルルはレッドフィズをごぶりんと飲み込む。もう一くち口に含んで、がらがらっとうがいをしながら、その音調にメロディーをつけた。


崩れたような悲しみは、もうそれはそうではないのさって、風呂あがりかなんかに風がそう教えてくれるもんだから、また明日が楽しみになるのさ。ポーキーポーキー通りには、「ハーメルン」が4ツ角の一角に構えてて、その名の通り店主は音楽好きなのさ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはひらりと抜けるよ。

「やあロゼッタ。待っていたよ」

小さいレンズの丸眼鏡の店主がそういうけど、その小さいレンズでちゃんと世界が見えてんのかな。

「音楽愛好家諸君!君たちは素晴らしい!そしてこの素晴らしい音楽を!」

ロゼッタ・ルルはハープを鳴らすよ。ダビデ王よりきっと上手さ。

「どうだい!ブラボーな諸君同様、ブラボーだろう!」

「らしくないけど良い音楽さ。らしくないから金はやれないがね」

丸眼鏡はレンズを通さずこちらを見つめるから、じゃあレンズなんて要らねえじゃねえかって、ロゼッタ・ルルはそうは思わなかったよ。要らないものなんて、この世界にはちっともないのさ。

「ちっ!眼鏡を新調するんだな!曇ってやがるぜ!」

ロゼッタ・ルルはひらりと抜けるよ。風が吹き撫で良い気分さ。

街燈の先が少し右カーブになっていて、突然お化けが現れたらびっくりするだろうけど、そいつにも音楽を聴かせてやるのさって、ロゼッタ・ルルは強い男さ。


「雨降り大臣お空ではじけ」。昔はよく歌ったもんだよね。ピエレッタ通りには、「レインレイン」が果物屋の隣にあるよ。果物屋は夜だから閉まっちゃってるけどね。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはカツカツ靴音鳴らして、ずかずか明るい店内に入るよ。

「あらロゼッタ。いらっしゃい」

頑固者の恋愛小説家でも惚れてしまいそうな、綺麗な女店主が迎えてくれたよ。綺麗だけど、結構年はいっちゃってるのさ。

「店主目当ての助平共!この音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはハープを鳴らすよ。音色は優しく、けどメロディーは狩人の弓さ。

「どうだよ!最高じゃないか!」

「いいじゃない。でもお金はあげないわ」

顔に似合わずたわわな胸を揺らしながら、女店主はカウンターに戻っていくよ。助平共は見惚れちゃっていたけど、ロゼッタ・ルルは強気に睨むのさ。

「ちっ!売女め!しょうがねえ!じゃあな!」

「あっ待って頂戴ロゼッタ。これをあげるわ」

そう言って顔に似合わないたわわな胸を揺らしながら、女店主がこれをくれたよ、パープルフィズさ。売女なんて言ったのに。

「やあこれはありがとう!さっきの言葉は訂正するよ!」

じゃあなと言ったのに、初めて呼びとめられたロゼッタ・ルルは、ちょっとどきどきしながら受け取るよ。魔女の手口って簡単だね。

「今度こそだ!じゃあな!」

ロゼッタ・ルルは、カツカツ出るよ。入る時より靴音がちょっと踊っているね。

雨が降ってきていたけれど、雨降りにこそ音楽さって、ロゼッタ・ルルは傘もささずに、雨に向かって唄うのさ。


帆船は帆を張って、風を受けて進むのさ。風とともにね。風に任せたその生き方は、とってもカッコいいじゃんか。違わないかな。ロンギング・カレドニア通りには「ヘルヘブン」がファイヤーショーもようにあるよ。

「やあ」

ロゼッタ・ルルはドカドカ入り、水槽の前に座るのさ。水槽にはね、花が一輪水中に咲いていたんだ。

「おいおいロゼッタ。早速かい」

筆みたいな口髭生やした、太った店主がそう言うよ。一丁前に、蝶ネクタイなんか着けていら。

「早速さ!どうだ!天上ビーチのごとくこの音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはハープを鳴らすよ。どっかの女神の奏でるそれより、ロゼッタ・ルルの竪琴は、綺麗な音色を弾いていると思うんだけどな。

「どうかね!どうかね!」

「いやあ良い音色だね。でも残念だ。金はやれないよ」

筆髭ネクタイそう言うけれど、水中にも花は咲くし、それでいいかってロゼッタ・ルルはほんのちょっと諦めたんだ。

「そうかい!じゃあ用はねえや!じゃあ!」

ロゼッタ・ルルはとぼとぼ出るよ。水中に咲いていた花が、実は造花だってことはさ、それは内緒だぜ。

風に惹かれて辿り着いた島はね、きっと天国に一番近い島でさ、そこはきっと、地獄なんかにも一番近いんだろうな。


「ちきしょう!くそくらえ!なんでなんだ!なんでなのだ!」

ロゼッタ・ルルはパープルフィズの栓を急いで開ける。急いで開けたせいで切り口で指の皮を切って、血がたらりと流れたけど、赤くてよかったなと思っただけで、痛いとは少しも思わなかったから、パープルフィズをこっくんと飲み込んだ。

緑の葉っぱをぐるりと巻いたペンダントランプがぐらりと揺れて、葉っぱの隙間から零れる電光達がゆらりゆらりと行き場を失う。

「ああ、そうか。わかったぞ。足りないものがわかったのだ。俺にちっとも足りないものさ。愛だ。愛が足りないのだ。これだ」

ロゼッタ・ルルはインディアンフルートをひゅるりと鳴らす。音楽ばかりを愛してきて、人を愛した事のないロゼッタ・ルルが、ラブフルートなんて吹けるのかって、音楽は鳴るのだけど、やっぱりそれはどこか足りなくて、ベーム式のそれに持ち替える。

「フルートはフルートさ!愛の音色を鳴らすのだ!よし行こう!これでいけるさ!」

ロゼッタ・ルルはパープルフィズをごっくんと飲み込んで、そのまま黒一色のベッドに沈みこむ。


三日月の下に金星がって、見上げて吸い込む空気には、温度低下の匂いに混じって、焼畑なんかの匂いもするし、どこまでもって思うけど、息は続かないんだでも、独りきりなのに笑みがこぼれて、もう一息って吸い込むけれど、感動が少し慣性をもって、ちぇっなんて思うのさ。だから明日を望むのさ。サル・ミカヅキの通りには、「エクソダスドラド」が野木の下にあるよ。

「やあ」

野木は背が高くて、ロゼッタ・ルルは膝を伸ばして入るのさ。

「やあロゼッタ。いらっしゃい」

眼鏡を金のチェーンでぶら下げて、白髪リーゼントの爺さまがそう言うのさ。

「爺さん、今日もイカした髪型だ!さあ!この音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはフルート鳴らすよ。トゥルトゥトゥトゥルルトゥルルットトゥルルってまるで結婚式みたいさ。

「どうだい爺さま!ブラボーだろう!」

イカした髪型のくせに穏やかに、眼鏡ぶら下げ爺さま言うよ。客は一人もいないのさ。

「素敵だったよ。これをあげよう。もう店を閉めるからね」

貴重な貴重なゴールドフィズさ。でも金はくれなかったけど。

「やや!これはどうもありがとう!」

ロゼッタ・ルルは嬉しくて、瞳の奥の爺さまの、少しの寂しさには気付かなかったんだ。

「じゃあな爺さま!また来るよ!」

爺さま倒れて死んだのは、この後すぐの、ことだったらしいよ。

ロゼッタ・ルルは振り向かず、膝を伸ばして店を出たのさ。

CO2か何かの気泡が、金の箔粒子にコーティングされて、その重みでそこから動けず、小さな姿を、よーく見てみると、輝いていたんだってさ。


髪の毛と、爪の燃える匂いはおんなじなんだ。キプリスモルファの青光沢は、きっとどれかの滲んだ色と、その成分は同じだろうね。

ユーリッヒ渦の通りには、「ブルーグラス・カイマン」が大きな一枚ガラスを青透明に仕上げてあるよ。

「やあ」

中から見ても青透明。ロゼッタ・ルルはとりゃと入るよ。

「いやあロゼッタ。これはこれは」

くるり髭生やしたぎょろ眼の店主がそう言うけれど、ぎょろ眼は嫌いだからさって、ロゼッタ・ルルは早速言うよ。

「いざ!青ガラスが靡く、この音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはフルート鳴らすよ。カルマン渦が渦巻いて、ビームになって飛び散らすんだ。

「どうだ!どうだ!ブラボーだろ!」

「素晴らしいよロゼッタ。でもんー残念だな、金はやれないぜ」

「ああそうかい!邪魔したな!」

ぎょろ眼がくるり髭を触りながらそう言うけれどね、ぎょろ眼は嫌いだからさってロゼッタ・ルルは、青透明にさよなら告げて、とうりゃと店を出て行くよ。なんでも魚に見られているみたいでさ、渦に呑まれた先の海中なんじゃないかって、怖いんだってよ。

見上げた満月に薄雲がかかって、近い辺りをマーブル色に染めているけど、もっと遠くの雲達もさ、染めてあげればもっと綺麗なのにな。なあ満月さんよ、それがお前の限界かい。ロゼッタ・ルルなんかはさ、この楽器すら、染められないんだよ。


終幕に近付くよ。終幕が訪れるのさ。気をつけろよ。きちんと知っておきなよ。そいつはいつだって突然だぜ。準備を怠るな。痕跡を残せ。今からでも遅くはないさ。そいつと一緒以外には、何も連れてはいけないからさ。澄みやんだ鳥って意味の通りには、「クラブワーグナー」がローエングリンの青銅像に守られてるよ。

「やあ」

青銅像にも一声かけて、ロゼッタ・ルルはツカツカ入るよ。

「おおロゼッタか。いらはいいらはい」

厳かな店内とは調和しない、よぼよぼ爺ちゃん迎えてくれるよ。

「さあ壮麗に!この音楽さ!」

ロゼッタ・ルルはフルート鳴らすよ。あの大砲を止めろって、そう言われてもやめないぜ。

「どうかな!どうかな!最高だろう!」

「ああロゼッタ。最高だったよ」

爺ちゃんよぼよぼそう言うけれど、金はくれなかったんだ。

「そうかい!お爺、長生きしなよ!」

ロゼッタ・ルルはそう言って、つかつか店を出て行くけれど、青銅像に見られないように、うつむき少し駆けるのさ。

どっかでベルが鳴ったよ。この夜のどっかで、この世のどっかに終幕が来たのかな。何かを失う時は、何かを得る時だって、それは始まりのベルだったかも知れないぜ。


ロゼッタ・ルルはゴールドフィズを飲み込む。

「ああ、もうだめだ!俺なんてもう駄目なんだ!」

その時ロゼッタ・ルルは奇妙な音を聴いた。どこからか、いや自分の中から?音はリズムをもって、メロディーを奏で、歌を詠う。心臓だった。ロゼッタ・ルルの心臓は遂に楽器となって彼に音色を届け始める。伴奏はやまないし、メロディーはどこまでも展開する。歌声のオクターブは天地の存在しないかのよう。

「おいおい?いったいこりゃあなんだ!?」

ロゼッタ・ルルは耳をすます。いつまでも聴こえる。はっきりと聴こえる。ロゼッタ・ルルはグランドピアノの前に座る。ほとんど黒い赤ワイン色のビロードを張った550背の猫脚椅子。

聴こえる通りにピアノを鳴らす。どこまでもどこまでもいく。

猫脚椅子は揺るがない。

「ははは!見つけたぞ!何を!これだったんだ!見つけたぞ!何を!」

永遠だった。馬鹿みたいに思うだろ?でも、それはたしかに永遠だったんだ。


ロゼッタ・ルルはピアノを鳴らすよ。ロゼッタ・ルルのピアノが聴きたくて「ヘロンホテル」も「ナイトイーグル」も、「胡蝶館」も「エメラルダ」も、言い尽くすのがうっとおしいね、どこの店にもピアノがあるよ。ちょっと前まではなかったのにね。

「ありがとう」

演奏を終えるとロゼッタ・ルルはこう言うようになったんだ。もうわかっているからね。

「最高だ!」

「アンコール!」

「ブラボー!」

時には観衆の涙なんかでうす暗い客席がキラッキラ綺麗だったよ。ロゼッタ・ルルは嬉しかったのさ。

心臓は鳴りやまないし、音楽は展開を続けたよ。だから観客はいつも新しい素晴らしい音楽に出逢えたし、一夜に一度のその一曲を、みなが亡者みたいに求めたよ。ロゼッタ・ルルは不遇のヤツさ。求められない悲しさを知っていたから、求められる喜びを大切に大切にしたんだ。

「ロゼッタ坊や、ちゃんと眠れているかい?」

おばばが心配してくれたけど、ロゼッタ・ルルは大丈夫さって答えたよ。

「ロゼッタ。最近痩せたんじゃねえか?」

つるっぱげがそう言うけれど、大丈夫だってロゼッタ・ルルは答えるんだ。

「ロゼッタ、大丈夫?クマがひどいわ」

殺したいほど魅力的。ルージュ女が心配してくれたから、ロゼッタ・ルルの気力はそれはもう激しいものさ。でもさ。


そうこうそうこうしていると、心臓がだんだんと小さくなったよ。だんだんだんだんと小さくなって、そしてついには急に、なにも聴こえなくなったんだ。

なんにもさ。

永遠さ。

聴こえてこなくなったんだ。聴こえてこなくなったのさ。

これがさあ、言っちゃわるいけど、永遠ってやつなんだ。

ロゼッタ・ルルは歌唄い。

永遠なんてなもんに道連れされた、ただひとつの歌唄い。

それは正しいだろうかね。間違ってはいないと思うんだけれどさ。

さあいいかい。ネズミがゴミで長らえるんだ。

夜風はひとつ、吹き抜けるのさ。



                 ロゼッタ・ルルの歌

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ロゼッタ・ルルの歌 円窓般若桜 @ensouhannya

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