第六十七話 彼女へ

「……ッ!?」


 今のは……夢? 

 ぼやける視界の中、ここはどこかと思い周りを眺めるとどうやら編入生寮の前のようだ。


「アキ!」


 誰かが名前を呼んだかと思うと、急に身体に重さが加わる。どうやら誰かが飛びついてきたらしい。この声とこの琥珀色の髪の毛……。


「ティミー?」

「あっ、ご、ごめんアキ……」


 名前を呼んでみると、頬を赤らめたティミーは慌てて俺から離れ、ちょこんと正座する。

 その様子をボーッと眺め、次第に意識がはっきりしてくると、先ほどの出来事が脳の中に映し出される。ああそういえばカイルさんの妙な術で動けなくなって逃げられたんだったか。あともう少し早く動けていれば今頃は……いや、反省は後だな。そんな事よりも確かめないといけない事があった。


「そうだコリン……コリンは無事なんだよな?」

「うん、大丈夫。治療も間に合ったから。今は寝てるけどね」


 ティミーが目線の方向を移すので、それにならうと、そこにはいかにも気持ちよさそうに寝ているコリンの姿があった。よかった、傷跡もなさそうだし、起きればまた元気に過ごしてくれるだろう。


「やれやれ、よくあんな無茶をしてくれたものだ」

「あの中で無茶を実行できるのも驚きですけど」


 声がしたのでそちらに目をやると、アルドとアリシアが俺の傍へとやってくるところだった。


「おう、二人とも。でも悪い、あいつらは逃がしちまった」


 言うと、アリシアが膝をつき視線を合わせてくる。


「敗走させた、と前向きに捉えましょう。騎士団の人によれば花火が見えた途端に黒ローブの人達がいっせいに戦闘をやめて逃げたらしいです。恐らくあの奇妙な術をもろともせず突き進んだアキさんに恐れをなしたと思われます。どんな人も牙城が崩されれば動揺するもの。彼らにとっての牙城はあの奇妙な術だったのでしょう」


 淡々と分析したようなアリシアらしい励まし方に、自然と口が緩む。


「……そっか。そうだな。ありがとうアリシア。おかげで元気が出た」

「い、いえ」


 感謝を伝えると、アリシアは眼鏡をかけ直し頬を紅くする。やはり良いなめがねロリ! 


「やはりアキ、君は僕のライバルのようだ……」


 アルドが何やら訝し気にこちらを見てくるが、確かに先ほどのアルドの働きは目を見張るものがあった。これは本格的にライバルとして本気を出さないと、あっという間に抜かされてしまうかもしれないな。

 なんとなくアルドの将来が楽しみになっていると、そういえばキアラの姿が見えないのに気が付いた。


「そういやキアラは?」

「あれ、さっきまでいたのに……」


 ティミーが周りを見渡すので俺も探してみるがその姿は見当たらない。


「あの、少し気になってたのですが、キアラさんはなんで着替えていたのでしょうか」

「ちょっと汗かいたって言って着替えてたみたいだけど……」


 胸に何か焦燥を感じる。他にも色々と確認したい事はあったが、そんなのは後で幾らでもできる。なんとなく、なんとなくだがこれを逃せば二度とキアラに会えないような気がしたのだ。あるいは会えたとしても、何か大きな障害が立ちはだかる。そんな予感がした。


「ちょっと探す」


 そう告げ、勢いよく身体を持ち上げる。おっと……まだちょっとだるいな。


「ア、アキ大丈夫?」

「そうだ無理するな。何本骨がいってたと思っているんだ」


 え? そんな重傷だったの俺……。道理でティミーがあんな事を。

 思い出したらなんかちょっと恥ずかしくなってきたな。そりゃだってさ、女の子に抱き付かれるとかイベント元の世界では無かったもんね! ロリっ子なら尚更ですブヒブヒ。うん、ちょっといい加減自重すべきだなこういうのは。


「ティミーが治してくれたのか?」

「え、えっと、うん」


 ティミーは少し照れてるのか、身体を心なしかもじもじとさせる。


「ありがとう、なら安心だ。ほんと、ちょっと探すだけだから」


 そう言い残し足早にこの場を去る。

 もたもたしているうちに、キアラがどこかへ行ってしまうかもしれない。



♢ ♢ ♢


 とりあえず学院内のどこかでキアラがほっつき歩いていたとしても、出口は一つしかないので、そこで待てば必ず会えると踏んで学院の校門に向かった。

 しかし待つ必要は無く、校門のところへ着くと、丁度、外へキアラが出ようとしている所だった。その後ろ姿に力強さは無く、どこか落ち込んでいるような、そんな雰囲気がする。


「キアラ!」


 叫ぶと、キアラは歩みを止める。


「あ、アキ!」


 キアラはくるりと身をひるがえし、予想とは反した明るい声で俺の名を呼んだ。

 その表情には一点の陰りも見受けられないように感じる。


「いやぁ、よかったよかった、元気になってくれて!」


 パタパタと駆け寄ってくると、キアラはトントン肩を叩いてくる。


「どこに行くつもりだったんだ?」

「どこって……ちょっとした散歩?」


 キアラはっけらかんと言って見せるが俺には分かる。それが嘘だという事が。


「どうしたんだよキアラ、何かあったのか? コリンも今じゃ普通に寝てるし……そりゃ確かに目の前で命を落とした人は見た。敵の能力だって大変だったけど……」


 何でキアラは人知れず去ろうとしたのか、思いつく限りの可能性を言葉に並べてみる。


「そっか、アキには分かるか」


 そう呟き、キアラはフッと弱々しい笑みを浮かべる。


「当たり前だろ、自分で言うのもなんだけど……お前ならティミーが俺に抱き付いてきた時、真っ先に飛んできておしどり夫婦だとか何とか言って茶化してくるはずだからな」

「また変なところに着眼しましたなぁ……別に間違ってないけど……」


 キアラの呆れたような口調に、少し顔が火照ってくる。何言ってんの俺……。


「私さ」


 一人羞恥の嵐に苛まれ頭を抱えていると、キアラがおもむろに口を開いた。


「全然何もできなかったんだよね。目の前で人が命を落としてもそれにただ目を背ける事しかできなくて。コリンもアキとティミーのおかげで無事だったけど、私は何もできなかった。私は弱い。どうしようもなく弱いんだよ」

「そんなの俺も同じだ。当たり前の事だ」


 俺らは九年でたぶん首席レベルと言ってもいいくらいだ。でもそれは人間という枠の中であり、なおかつ学院の枠の中に過ぎない。世界は広い、俺らは力がどこまで通用するかも分からないただの小童だ。

 似ている、どこか似ている気がする。いやあるいは同じか……。


「そう、当たり前。当たり前だけどその中でもっと頑張らないとダメだって思う。弱いからこそ、強いを目指す、そのためにはもたもたしてられないんだよ。私は世界を周ってもっと強くなって、愛しい人をちゃんと守れるようになりたい」


 いや違う。俺とは対照的だろう。キアラはちゃんと自覚している。俺なんかと違って自分が弱いと素直に受け止めている。下劣な自尊心ではなく高尚な向上心。でもその向いている方向は確かに上だがその先は果たして空なのだろうか? なんとなくだが危うさのようなものを感じる。

  だが、少なくとも俺なんかよりずっと立派だ。果たしてそんな彼女を俺は止めるのか? 止める事のできる立場なのか?


「私ね、昔、ある人を守れなかったんだ」

「ある人……?」

「うん、その人はなんでも少しやれば簡単にこなせちゃう人で、運動神経も良かったし、頭も良かった。私はずっとその後を追いかけてきた。必死でしがみついて……いつか一緒の時間を過ごしたかったから」


 どういう訳かそれは心に重く響く。


「でもね、どんなに強い人も失敗する事はある。初めて失敗を経験したあの人は最初こそなんとかなるって笑ってたけど、また同じ壁にぶつかってね。さすがに参ったみたいですごく落ち込んだ様子だった」


 あの人、それはどこか、いや俺と……。


「そんな彼に私はずっと寄り添おうって決めた。励ましたり、時に"約束"はどうした! って檄を飛ばしてみたりね。また一緒に歩きたい、その一心だった。結局、私の言葉は逆に彼を傷つけちゃっただけみたいだったけどね」


 違う、傷ついてなんかいない。嬉しかった。でも自尊心はそれを伝える事を邪魔して、何故か嘘で塗り固められた言葉ばかり吐き散らしていた。今思えば彼女に甘えていただけだ。

 約束、彼女と俺は約束を交わした。来年は受かるからその時に改めて俺から気持ちを伝えると。待っててほしいと。

 

――絶対、だよ。私、待っとくから。


 いつもとは違う、いつもより愛おしい彼女に俺は言った。


――ああ、絶対に。


 しかし自らの自尊心、すなわち俺自身はそれをいともたやすく踏みにじり、それでもなお俺を見捨てずにいてくれた彼女の気持ちに嬉しさを感じながらも自分の不甲斐の無さやら醜さに嫌気がさして、ついには何もかも捨てたくなりこう伝えたのだ。


:お前の事なんてどうも思ってないからwwwwwwwwwwwwwwwwww


「ねぇアキ、私の事覚えてる?」


 柔らかな微笑をたたえ、小さく首をかしげて問い掛ける彼女は、かつての幼馴染で親友の姿を想起させる。姿は違えど紛う事なき彼女自身。

 合点がいった、俺が今までキアラに感じていた妙な感覚。それはその姿を心のどこかで映し出していたから。


「あかり……」


 その名を口にする。唯一あの世界にあった未練。


「やっぱり、そうだったんだ。まさか異世界に転生するなんて思っても無かったよ。しかもアキがいるなんてほんとびっくり」


 あかりは転生したのか。この異世界に。そんな事があり得るのか……いやでも現に俺は世界を移動してるわけだからあり得ないなんて事は無いだろう。今思えば出会った時のキアラの反応はどこか変だった。それはたぶん、子供の身体とは言え俺が見知った人間だったから。


「そろそろ行くね。皆にごめんって言っといて。コリンにも勝手でごめんって。いつかまた一緒に家でご飯でも食べようって」


 キアラが唐突に背を向ける。その声は少しだけ震えていたように感じた。


「待ってくれ……!」


 まだ聞きたいことがある。いやそんな事はどうでもいい。何よりまだ謝っていない。俺はきちんと謝罪をしなければならない。俺がした事はそんなもので許されるものではないだろう。でも伝えない事には始まらない。自尊心に塗り固められた言葉じゃない真実を。


「またどこかで会えたらいいね」


 それだけ言い残すと、あかりは門の向こう側へと走っていく。その後ろ姿はどんどん遠ざかっていく。


 一体俺は何をしているんだ? ここで俺は何もしないでいるのか? ただ現状から目を逸らして全て見ないふりをするというのだろうか。


 いや、そうじゃないはずだ。俺はここに来て何を誓った? 二度と後悔しないように、前を向いて歩くと、人生をやり直すと誓ったはずだろう。


 だからこそ、俺は伝えないといけない。まずは謝罪だ。悪い事をしたら謝る。当然の事だ。そしてもう一つ、今のあかりに伝えたい言葉があった。


軽量リヘラ


 幸い魔力はまだまだ残っていそうだ。自らの身体を軽くし、思い切り地面を蹴る。外へ走っていく、その後ろ姿を追いかける。

 さっき、あいつは俺の後を追いかけていたと言っていた。だがそれは俺も同じだ。その姿をずっと追いかけてきた。それはここへ来る前もだし、ここに来た後だってそうだ。何せ俺はまだ、あいつに一度だって勝てた事が無い。

 でもそれも今日で終わりにする。今こそが、追いつく時――

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