第五十二話 感覚

 敗者が運ばれる救護室までノンストップで走ると、思わずそのまま寝転がりたい気分にはなったものの、息をつく時間も惜しいのですぐに扉の取っ手に手をかける。


「ミア! 大丈夫か!?」


 救護室の扉を開けるやいなや、何も考えずに叫ぶと、室内にいた看護係の先生にクスクス笑われてしまった。


「グレンジャーさんはあのベッドで寝てますけど、まだ起きないと思いますよ?」

「え、それじゃあ生きてるんですか?」


 訊くとさもおかしそうにその先生は笑いだす。


「何かの冗談ですか? 加護があるんですからもちろんですよ?」

「そ、そうですよね……すみません」


 良かった、とりあえずは生きているらしい。


「また後で来てあげてください? きっと友達が来てくれれば喜ぶと思いますよ」

「そうします、ありがとうございました」


 救護室を出て、生きている事が分かったのでホッとすると同時に、さっきの光景が頭の中で映し出される。苦しむミアの声、そして笑みを浮かべながら剣を突き刺すカルロスの姿。白い布に墨汁を数滴垂らしたようなどうにも言えない妙な感覚にさいなまれる。


 あの苦しみ方、どう考えてもおかしい。カルロスが何かしたのはもはや明白だ。考えるだけでも頭が熱くなる。でも奴は一体何をしたんだ? あの場で一体何が……。


 しばらく考えながら歩いていたが、結局これと断定できる答えは見つからず、気づけば会場に戻っていた。



♢ ♢ ♢



『一回戦第四ブロック! またしても七年生の登場でーっす! 果たしてどんな試合を見せてくれるのでしょうか!』


 ティミーたちの元へ戻ると、今まさにキアラの試合が始まろうとしているところのようだった。アリシアとアルドも帰ってきたらしく、皆そろってフィールドの方へと目を向けている。


「キアラの試合か」

「あ、アキさんおかえりなさい。先ほどはお疲れ様です」


 俺も一緒に観戦しようと、フィールドの方をのぞきに行くとアリシアの顔がこちらへ向いた。


「ああ、呆気なかったけどな」

「いえ、相手の技に対応したのは事実なのですから、十分すごいです」

「ありがとう」


 お世辞のように聞こえるのは被害妄想か、とにかくお礼は言っておく。


「アキじゃないか。流石は僕のライバル、余裕の勝利だったな」


 アルドがフィールドと観客席を隔てる壁にもたれながら腕を組むと、こちらをチラと窺いながら言った。


「アルドさん、そんな事まだ言ってるんですか? いい加減身の程をわきまえたらどうです?」

「そ、そうは言うがアリシア、僕だって……」

「分かりましたから、とりあえず席の場所をちゃんと把握する事から始めてください」


 アリシアにそう言われると、アルドは先ほどの余裕さとは裏腹に急にあたふたとしだす。


「あ、あれはちょっとしたミスでだな……決して把握してなかったわけじゃないぞ!?」

「男が言い訳だなんて情けない。ですよねアキさん」

「あぁ……そうだな」


 答えると何故か数秒の沈黙が訪れる。何かあったのかと思いアリシアの方へ顔を向けると、アリシアは怪訝な表情で俺の事を見ていた。


「何かあったんですか?」


 何かあった……まぁあったにはあったがどうしてそんな事を聞くんだろう。


「どういう事だよ?」

「え、えっと……元気が、無いといいますか……」


 聞き返すとどこか恐縮したような様子を見せ、尻すぼみに言う。


「おいどうしたアキ? 腹でも痛めたのか? トイレの場所なら……」

「そんなわけないだろ?」

「……す、すまない」


 どうしてそんな申し訳なさそうに謝るんだ? まったく理解できない。

 微妙な空気の中、やり取りを聞いていたらしいティミーがこちらの様子を上目遣いで窺うと、少し遠慮がちに言う。


「ねぇアキ、ちょっと怖いよ……?」


 怖い……そういえば語尾がちょっとばかりか強くなってた気もする。


「え、そうだった? 悪い、昨日食べすぎたのかちょっと胃もたれがな……ハハ」


 指摘され、確かにそうだったかもしれないと思い至ったので慌てて取り繕おうと乾いた笑みがこぼれる。

 しかし誰一人笑う者はおらず、辺りには重い空気が流れる。胃もたれは流石に無かったか……。


「胃もたれっすか!? いやぁ、流石のアキ先輩も露店にはかないませんでしたか! なんか親近感湧くっす!」


 微妙な空気の中、あっけらかんとコリンはそう言い放つと、ティミーがクスリとする。


「そういえばアキ、昨日揚げ物ばっかり食べてたもんね」

「そういえばそうでしたね……だからあれほど言ったというのに」

「フッ、アキもまだまだだな」

「元いた席に戻る事のできない人が何を言ってるんですか?」


 コリンの一声のおかげでようやく楽しげな雰囲気になる。とりあえず助かった。

 俺もいい歳して感情に左右されるべきではないな、これからは気をつけないと。あるいはそろそろ身体的に思春期というやつでも来ているのだろうか。


『それでは、はっじめ~!』


「始まるっすよ!」


 始まるや早々、キアラは果敢に相手に向かっていくと、得意の槍裁きに並外れた身体能力、時々見せる氷魔術で敵を圧倒する。だが流石九年生、少し粘られはするも最後にはキアラが勝利という結果に収まった。



♢ ♢ ♢



 キアラの最終ブロックが終わり、一回戦が全て終了した。

 三十分の休憩時間があった後、二回戦第一ブロックの試合が始まる。セミファイナルだ。

 この試合でカルロスと当たる。


『それでは、両選手入場でーっす!』


 あの司会の声が聞こえる。一歩また一歩と階段の先を行くと、一回戦とは景色の違う外へと出た。違う、と言っても対戦相手が変わっているだけのはずだが、それは確かに先ほどとは違うモノだったのだ。視覚的なものではなくもっと違う感覚的なモノだ。


 たぎる歓声は一回戦の時よりも増している。試合を重ねるごとに観客のテンションも上がってきているのだろう。しかも今回はカルロスまでいる。盛り上がらない方がおかしいのかもしれない。


「あの時のガキじゃねぇか、もう七年生になってるとは意外だな?」


 大ぶりの剣を肩にかつぐカルロスは、若干口の端を吊り上げながら話しかけてくる。


「あの時はどうもお世話になりました」

「まぁせいぜい楽しませてくれよ?」

「善処しますよ。ところで、花壇の件なんですけど、心当たりありますよね?」

「花壇? 何言ってやがる?」


 なるほどしらを切るつもりらしい。でも今となってはその事を追求よりも他に聞くべきことがある。


「そうですか……じゃあ話を変えます、さっきの一回戦のあんたの試合、何かやったんだろ?」


 するとカルロスの顔からは笑みが消えた。その表情の変化が何を意味するのかは分からない。


「グレンジャーとの試合か……」

「ああそうだ。それともしらを切るかカルロス?」


『さぁ、早速始めましょう。果たしてこのセミファイナル第一ブロック、一体どちらが勝つのでしょうか!』


 ここで、司会者の横やりが飛んでくる。正直鬱陶しかったがまぁ仕事上仕方が無い事だよな。


『それではセミファイナル、はっじめ~!』


 司会が試合開始の合図をすると、カルロスはニッと笑う。


「しらを切るだと? 安心しろ、聞かれなくても教えてやるからよッ!」


 カルロスが声を張ったかと思うと、不意に頭上でバチバチと音が鳴る。咄嗟に上を見上げるが、大して何かがあった様子も無い。

 再度カルロスに目を向ける。目の前まで雷の球が飛来。なんとか身をそらしてそれを避けようと試みるが避けきれなかった。左肩に電気玉が直撃する。


「――ッ!」


 突如襲い掛かるのは痛み。声にならない声がのどから引きずり出される。とれたかとまで思った腕だが、そんな事はなくしっかりと胴体につながっていた。


 加護下では誰も死ぬことは無い。そして傷つくことも無ければ痛さもほとんど感じなくさせる。そのはずなのに今回の痛みは常軌を逸したものになっている。

 とは言えこの通り腕が吹き飛ぶことも無ければ傷一つも付いていない。

 呆気にとられていると、カルロスが口を開きだす。

 

「長く学院にいると加護の原理もちょっとは理解できるようになってよ? こうして痛覚くらいの感覚なら呼び覚ますことができるようになったんだ」


痛覚を呼び覚ますだと?

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