第三話 居候

 鍋から立ち昇る湯気はとても豊かな良い匂いでこの家を満たす。見たことのない野菜のようなものばかりだがどれも美味しそうに煮詰まっていて、うまみがその中に凝縮されているのだと思うとついよだれがたれそうになる。とりあえず人生再出発の件はこれを食べてから考えても遅くはないだろう。


「とても栄養があるものばかりで作ったから、じゃんじゃん食べてね」


 ティミーのお母さんは微笑みながら器とお箸を渡してくれた。そういやお箸はうちの世界と一緒なのか、などと素朴な考えを抱きながら目の前の鍋にひしと向かい合う。


「いただきます!」


 想像絶するおいしさな上に空腹でもあったことから、箸はとどまることを知らずにどんどん進む。

 ほんと、なんという美味さなんだろうか! 一口噛むため度にじわじわとあふれ出てくる汁は野菜とだし汁の風味とが重なり合って絶妙なハーモニーを奏で俺の舌、もとい心を優しく包み込んでくれる!


「ふふっ、お口にあったようでよかった」


 ティミーのお母さんは満足げに微笑む。


「はい! すごく美味しいです!」

「遠慮は無用よ?」

「ありがとうございます!」


 どんどんと食べ続け順調に減っていた野菜の中から、俺が元の世界でも大嫌いだったヤングコーンにそっくりなものが入っていた。なんというかどうにも好きになれないんだよなヤングコーン……。トウモロコシが小さいだけなんだけどまったくもってまずいんだよ。


「ツブノコ……美味しいよ? なんで食べないの?」

「え? そ、そんなことない。ちゃんと食べてるよ。はは……」


 ティミーがそのヤングコーンっぽいやつを箸で示して言うので、純粋なまなざしに思わずでまかせを口走る。この子、案外観察力あるんだな……十歳にして恐るべし。


「嘘、絶対食べてない。口開けて」


 ちょっと怒ってらっしゃるのかな。ほんとごめんって……。謎の恐怖を感じつつ、思わずでまかせを言った事に少し罪悪感を感じていたのもあって、ティミーの言うとおりにした。すると、彼女はヤングコーンもといツブノコを自らの箸でつかんで俺の口へと運んだ。そうされたら食べざるを得ない。


「どう?」


 どう? って言われましてもそんな事されたら気恥ずかしくて味わかんないですよお嬢さん……。いや相手は実際何個も年下なんだけどね? ほら、でも同い年でしょ? 同年代にそんな事されたら、ねぇ?


「え、まぁ、うん。美味しい、たぶん……」


 どことなく生暖かい視線を感じたのでそちらへ向いてみると、ティミーのお母さんがさも面白そうにニコニコと俺達を見ていた。

 やめてもっと恥ずかしくなるでしょ!


「あっ……」


 ティミーもその目線の意味を理解したのか顔を真っ赤に染める。


「ほんと美味しい! よし、もっとツブノコ食べるぞー!」


 意識を紛らわすために次々とツブノコを口に運ぶ。もはやこれは強迫観念に近いものだった。まぁツブノコは普通に美味しかったです。

 


 鍋の中がはけると、うつらうつらとし始めたティミーは、やがて静かに寝息を立て始める。

 どうやら相当疲れていたらしい。背中を丸くしてむしろに横たわる姿は実に、実に愛らしいッ!


「ごちそうさまでした」


 色々な意味で。


「お粗末様。そういえば私の名前いってなかったよね、ヘレナ・テンデルよ」

「ヘレナさん……この度はありがとうございます」

「いえいえ。そういえばアキ君はどこに住んでるの? 見慣れない服装だし、ご両親にお礼もしたいし」


 服装……そういえば気づかなかったがどうやら親切にもサイズ調整がなされていたようだ。

 恥ずかしい恰好で外出てなくてよかった。それはさておき、異世界の国、日本の東京に住んでます! とか言えないしどうしよう。


「実は僕、記憶喪失なんです」


 とりあえず何か言わないとと思い、自然と口からこぼれた言葉はそれだった。


「記憶喪失?」

「はい、ティミーに会った時には既に何もわからず森の中に……」


 苦し紛れに聞こえるがそう言うのが一番最善なはず。我ながら胡散臭いとは思うが、たぶん今は少年だから信じてもらえるに違いない。


「あらそう……だとしたらお家は分からないのね。どうにかしないと……」

「まぁ、なんとかしますよ」


 とは言うもののこの先の事を考えてなかったな。とりあえず村があるなら街もあるはずだよな。


「あ、そうだ。ここから街まで行くとしたらどれくらいかかりますか?」


 とりあえず働き口を探す必要がある。たぶんこの世界でもどうせ金がない事には始まらないし……。まぁ十歳を雇ってくれるところなんているのか甚だ疑問符ではあるけどなんとかなるだろう。ガラス磨きでも靴磨きでも歯磨きでもなんでもしてやるさ! え、最後のは違う?


「街なら……馬車を使っても二週間程はかかるかしら……」

「二週間ですか!?」


 思わず叫んでしまった。だって二週間だよ?


「乗り継ぎもあるし……ちょっと田舎なのよねここ」


 奥さん、ちょっとどころじゃないと思いますけど? しかし二週間か……流石に長いな。いや、この世界は常識だったりするのかな。


 どうしたものかと思案していると、突然ヘレナさんは音を出して手を合わせた。


「そうだ、しばらくうちで預かろう」

「はい?」

「記憶が戻るまで、とかでどうかな? なんなら五年でも十年でもうちに居ればいいわ。ご両親の方も迎えに来てくれるかもしれないし」


 この人すごくいい人なんだろうなぁ。どこの馬の骨とも知れぬ輩をうちで預かろうだなんて。しかも五年や十年でも居たらいいって我が国日本ではありえない事だ。


「嫌だったかな?」

「いやまぁ、お心は嬉しいのですがなんといいますか、ねぇ。流石にそこまでご迷惑はかけられないといいますか……」


 思わずしどろもどろな口調になる。だって十歳とはいえ同じ屋根の下とかなんかあれだろ!? こんな美人なヘレナさんもいるのに。


「アキヒサ君はこの子の命の恩人なんだから、遠慮する事はないのよ?」


 それに、とヘレナさんは付け足し寝ているティミーを優しく撫ながら続ける。


「この村にはこの子しか子供はいないからずっと一人だったの、村の人達はとても良くしていただいてたけど、この子は時折寂しげな顔見せるの。たぶん、同年代の友達がほしかったのもあると思う。だからもし、あなたが良ければ、ティミーと友達になってくれないかしら?」


 その目はとても暖かく優しい親の目。自然とその言葉に頷くしかなかった。


♢ ♢ ♢


 居候させてもらうことになった翌日、俺とティミーは表へ出て村を散歩しようとしていた。ティミーといえば鼻歌を歌っておりなかなか上機嫌そうだ。


「まぁまぁ、あなたがティミーちゃんを助けてくれた子ね?」


 声がかかったのでそちらを向くと、腰を曲げた年寄りの女の人がいた。


「一応そうなりますかね」

「ほんとうにありがとうね。はい、アメどうぞ。ティミーも」

「ありがとう、リュネットおばあちゃん」

「ありがとう……ございます」


 アメはこの世界でもあるんだな。どうやらこの世界とあちらの世界で一致する点もあるようだ。まぁ当然と言えば当然か。一応皆人間なわけだし、元いた世界の技術がなくとも、こっちの世界特有の技術もあるだろうからな。文明の重複くらいあってもおかしくないだろう。


「それじゃあまたね」

「ばいばいおばあちゃん。あの人はね、リュネットおばあちゃんって言ってよくアメをくれるの。あそこに住んでる人だよ」


 ティミーが昨晩俺が確認した明りのついた家と思われる家を指さしてくれる。


「ほうほう、なるほ……」

「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお」


 ティミーの言葉に頷いていたところ、低くて普通に話せばいい感じだろうと思わせる声質な雄叫び声が耳に届く。

 反射的にそちらを見ると、すごい剣幕でこちらへ突っ込んでくるおっさんがいた。


「あんたにはお礼をしなきゃならねえ。ティミーを助けてくれて本当にありがとよ」


 目の前まで来たダンディーなおっさんは傷跡だらけのごつい手で俺の手をとるとぶんぶんと上下に振り回す。

 だ、大丈夫なんだよねこの人?


「ベルナルドさん」


 ティミーがどこか諭すような口調で言うと、そのベルナルドと呼ばれる男性はポリポリと頭を掻く。


「わりぃなぁ……つい嬉しくなっちまったもんでよ。俺はベルナルド・フェリス、畜産とか鍛冶屋をやってるもんだ。よろしく」


 なるほど、それなら手の傷も納得がいく。ティミーも呆れた様子ながらも心なしか顔が晴れやかだし、悪い人ではなさそうだ。


「よろしくお願いします」

「あ、あとアキをここまで運んでくれたのもこの人だよ。アキが寝ちゃった後、魔物の声を聞いててすぐに駆けつけてきてくれたの」

「そうでしたか、その節はありがとうございました」

「かてぇな! もっと楽にいこうぜ!」


 丁寧にお辞儀すると背中をバシバシと叩かれた。ほんと、気の良い人なんだな……ハハ。


「あら、ベルナルドさんじゃない」

「お、ヘレナさん。これはこれは……今日もお美しいですなぁ」

「あらやだ、暇なら少しお茶でもしていきます?」

「是非とも!」


 そう言いベルナルドさんはデレデレと顔を赤くしながらヘレナさんと共に家の中に入っていった。そういえばティミーのお父さんはどこにいるんだろう? こんな状況を知ったらけっこうキレられそうだが……。


「ベルナルドさんは私のお父さんみたいな人なの。本当のお父さんは物心つくころにはいなくなってたから……。ちょっとおかしなところもあるけどとってもいい人だよ」


 ティミーは少しだけ悲しそうな表情になるが、すぐに笑顔に戻った。


「でも、今はアキもいるし、とっても楽しいよ!」


 その笑顔は純粋で、見るものすべてを暖かくするに違いない。


「お、おう」


 少年になったせいか、変態的興奮よりももっと綺麗なモノが生まれそうだった今日この頃です……。


 その後、何人かの村人に声をかけられつつ、村の中を散策してまわった。誰もかれもが良い人たちで、とても朗らかな気分にさせてもらった。

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