about me

坂木啞ルカ

本文

題:私についての記述。誕生から死まで


 私は何者だったのだろうか。そして今ここはどこなのだろうか。生涯を賭して探してきた私の存在する理由をついに見つけることができなかった。

私は、まだ死にたくはなかった。しかしその寿命は無残にも尽きてしまった。

永遠にも思えたその時間たちは瞬く間に過ぎ去っていき、そして浪費した覚えのない時間たちまでもが遠く彼方へと消え去っていった。ついさっきまで私はベッドの上に魂の容器を置いていた。今もその状態でいるだろう。

しかし、「理由探し」に長年付き合ってくれた私の最愛なる細胞たちは先ほどから静かに腐り始めた。

激しい交代を繰り返し私を支えてくれたものたち。

今までありがとう。そしてこれからは安らかに休息をとるのだ。

現実の物質として存在しない方の私は、いまだにこうして探し損ねたその理由を求めてさまよっているが。


 どうして生まれてきたのだろう。

その質問に「性行為のメタファー」と言うのが答えなのだろうか。はたまた、コウノトリが運んできたからか?それともキスを下から?

そんな野暮なことを質問した覚えはない。

どのような経路を経て現世に誕生してきたか、を問うている訳ではない。

どのような理由をもってして、私はこの世界に生を受けたのか。それを知りたかったのだ。

そんなものに理由はない、ただ子作りが成功した結果だ。

と言われれば確かにそれが正論ですね、と認めることしかできない。しかし、どのような事象にも必ず発生するための理由が必要なのだ、と幼い私にやたら難しい言葉で説明しようとした人物がいた。

どのような現象だとしても、その現象が発生するにはいくつかの理由が必要ではないか。それならば、私が生まれてきたのも性行為のメタファーとしてだけでなく、何か他の深くても浅くても良いのだが理由が存在するのではないか。

これを主張してきた。

この意見を説明するたびに、聞いている人は「そんなのどうだっていいけど」とやたらめったら腰を折りたがる。

私はその解の見つからない問題に対して真摯に向き合っていると言うのに。

そのようにほとんどの人が私のしていることを理解してくれないように、私もほとんどの人のことを理解できないようになってしまった。

最愛の人が、私に愛想を尽かし手紙だけを残して消えてしまったことはとても悲しいことであり、私に深い傷跡を残した。

だが、私はそのようなことで探究心をなくすような人類にならないように、と自分自身を戒めた。


孤独に自ら突き進んだ私は半ば何かに取り憑かれたかのように思考を途切らせることがなかった。

どうしていきているのか、生を授かったのかそれを知るために。


 それらもはるか昔のことである。私の人生の中で最も輝いていた瞬間たちだ。

文字通り体を失ってしまい、このように思念することしかできなくなった今からは想像もつかない程度には昔のことなのだ。


それほどの時間をかけても、私の理由は見つからない。


 人は行動するときに必ず理由をつけて行動すると思う。

たとえ適当に、本人がその行動に意思はなんらないと発言したとしよう。しかしその行動を起こしたからにはなにかしらの判断が頭で下されたということと等しいと言えないか。


それならば、私がこのようにして生きていた理由を探しているのもそのような訳があったのではないか。


そうして私は再び思考の海へと漕ぎ出した。


どうして生きるのか。

人生の中で最も数多くの答えが出ているようで、しかしそれらは他人の発言に過ぎず、自分に適用できる訳ではない。

昔の偉人が発言したことを自分に適用してみることで行動は確かに変化するかもしれない。

だが、その思考の回路を変更するのには生きてから死ぬまでかかるのではないか。

だからこそ、その一度きりの人生を楽しみたいと考える。

稀に私のような「楽しみたいという衝動にすら理由を見出そう」とする変な人類が発言する可能性もあるが、しかしそれを考えさせることで誰かが得をしているのではないか。


 たとえそれがどんなに善とされていることであったとしても、ほんの多少の多少の多少くらいは「将来自分にいいリターンとして帰ってくることを期待する」という思考のフィルターを経て行動に反映されると思う。

このフィルターが正常すぎると、そこでその人間はどうして行動しているのか自分自身で判断することが難しくなり行き詰まってしまう。

「これくらいいいか」と思える思考の穴が空いていないと人間として成立しないような気がするのである。


 ならば私は得をするために生まれて、そして死んでいったのか。それは違うだろう。

得をしたいなら、自分が自分にもたらす得よりも、他人からもたらされる得の方がランクを高くつけるだろう。

そしてそのランクの高い得を得るために自分の粗悪な得を他人の監視下に提出することで、純度を増していくのである。


では、その純度の高い得を取得したいが故に自分自身を存在させていたのか。それは違うのではないか。

得を得るのは大変気持ちのいい行為である。しかし、気持ちが良いのもそれほどで、わざわざ無として存在しているところにいきなり寿命というハンデを背負ってまでするものではないのではないか。


私についての記述はいったんのところ、ここまでとしておく。

追加で調査そして記述できる場合のみ更新。

FIN

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