笑顔青年
江戸文 灰斗
ルイス・ターナー
彼、ルイス・ターナーは優しいそう。おそらく出会った人のほとんどがそういう印象を受けるだろう。
実際彼はとても優しくて誠実なやつだ。彼が怒っているところを見た事のある人なんてイギリス中を探したっていないだろう。もし居たらそいつは嘘つきだと思った方がいい。彼はいつも笑みを絶やさずただ静かに周りを眺めているようなやつだ。これはそんな彼のお話。
「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
彼、ルイス・ターナーはある日突然やってきた。
新たな社員がやってくるのはいつも突然だがルイスが入社してくると聞いたのは二週間前で急いで迎え入れる準備をしなくてはならなくなった。
そしてやってきたのはこの感情の読めない男だ。感情が読めないというか表情が無さすぎて感情がないのかと錯覚するほどだ。
新聞社だからこれから記者になって貰うのに、インタビュアーがこんな無表情だと相手に悪い印象を与えてしまう。
私は少しガッカリしてしまった。もう少しましなやつが来ると思ってたのに。
「えーとターナー君だね。私は君の直属の上司のブルーノ・スペンサーだ。よろしく」
「ルイスでいいですよ。その代わりに僕もブルーノ先輩って呼んでもいいですか」
一応笑顔で手を差し出すとルイスは無表情のままだが私の握手に応えた。どうやら周りとの協調性がない訳では無さそうだ。
特にトラブルもなく過ごしていたがやはり馴染めているかといえば無表情で怖く見えるせいかオフィス内でも少し浮いてしまっている。
上司兼教育係として一ヶ月付きっきりで教えていたが一度も笑顔というかあの日本のノウメン?のような顔が張り付いていて唯一表情が動いたといえばランチに行った時にスープが熱くて少しだけ舌を出した、それだけ。しかし吸収力が高く、1週間で基本をマスターしてしまった。
「ルイスは仕事を覚えるのが早いな」
「いえいえそんなことないです。先輩が教えるのが上手いからですよ」
「そう言ってくれるとうれしいな。でも実際ルイスは覚えるのも早いししっかりこなしてくれるし助かってるよ」
そんなこと言うならもう少しくらい柔らかい表情でいえばいいのにな。
「先輩、今なにか言いましたか?」
「いや、なんでもない」
思わず口に出してしまっていたようだ。やはりこれからは取材の仕事もしてもらわないといけない。そのためにはあいつから笑顔だけでもひっぱり出さなければ。そう思案してコーヒーを1口すすった。コーヒーを飲むと頭が冴えてくる。
「そうだ、ルイス今夜空いてるか?」
ルイスは手帳を素早く確認して言った。
「はい空いてます」
「それじゃあパブに行かないか?私の行きつけなんだが」
ルイスは少し考えてから了承した。
今日はサッカーの試合がないせいかパブはいつもよりかは人が少なかった。
「ルイスは何か飲むか?」
「誘われてついてきたのになんですけど僕お酒飲めないんですよね」
それじゃ本音で話しずらいか。なら今日はお互い素面でいくしかないな。
「そうか。なら私もノンアルのものをなにか」
私は2人分のドリンクとつまみを頼んだ。
「ところでブルーノ先輩、急に誘ってきましたけどなにか今日僕に言いたいことがあったんじゃないんですか?」
ルイスは運ばれてきたフィッシュ・アンド・チップスをつまみながら聞いてきた。彼は最初に「おいしい」と一言呟いてからずっと真顔で口に運んでは噛むを繰り返してる。
「もうすぐお前に取材の仕事を頼みたいんだけどな。ルイス、率直に言うがお前のその無表情だとインタビューされる側としては不安感を抱いてしまうと思う。初対面で真顔で問い詰められたら怖いだろ?」
ルイスのように身長の高い男性が無表情で迫ってきたら子供だったら泣くと思う。
「まあ確かにこの人怖いなとか大丈夫かなってなると思います」
「だよな。だからルイスには笑顔ってのを覚えてもらいたいんだ」
ルイスは腕を組んだ。
「笑顔、ですか」
ルイスは笑顔というものを知らないのかもしれないと思うくらいルイスの顔には笑顔が乗らない。
「例えばこういうことだ」
見せたのは我が子の写真。二人の息子が満面の笑みを浮かべてこちらに手を振っている。見ているだけで笑顔になれるくらい幸せそうな写真だ。
「いきなりこのレベルの笑顔を出すのはお前だと多分無理だ。だからこの半分くらいでいいからい笑ってみろ。ほら口の端っこを指とかで吊り上げて」
俺は自分の口角に人差し指をつけてニーっと笑ってみせた。それを見てルイスは真似して人差し指で口角を押さえてあげた。
しかしその顔は酷く不格好で可笑しくてつい笑いが込み上げてきた。
「ぶあっはっはっはっ。なんだその顔。不自然ランキングがあったらトップ10いや、トップ3入りは確実だな」
「そんなに笑うほどですか。僕だって頑張ってるんですよ。これからインプットするんですから」
インプットは別にビジネス用語じゃないのに無理して使っている感が余計笑えてくる。私の笑いのツボを押さえたのかずっと笑いは止まらず、ドリンクを飲むのもままならなかった。
「ははは、まあ1日目にしては上出来なんじゃないか?くっそ今カメラ持ってたらなー。明日までには現像してみんなに見せびらかしてやれたのに」
私がわざとらしく残念がるとルイスは困惑したような表情(と言っても無表情なのだが)をしてそして微笑んだ。元々完璧と呼べるほどの端整な顔立ちをしているルイスだが、微笑むと冷たい雰囲気が取れて優しそうになった。
「お、ちゃんと笑えるようになってきたんじゃないか」
「こんな感じですか。頑張ります」
ルイスはさっきと同じように微笑んだ。
「よし今夜は飲み明かすぞ!」
「二人ともアルコール入ってませんけどね」
次の日。出勤してきたルイスを見て社員全員が目をまん丸にして驚いた。全員が顔を凝視して。
「やあ、おはようルイス・・・何かあったのか?」
「おはようございますジェイクさんいつも通りですけど、顔に何か変なものでも付いてますか?」
「いや、なんでもない・・・・・・」
今までのルイスを見ていて今朝のをいきなり見せられたら驚かないわけがない。ジェイクのようになってしまうのはいたって当たり前だ。
「おはようルイス。もうほぼ完全にできるようになったんじゃないか?笑顔」
そう、ルイスは無表情の仮面を脱ぎ捨ててニコニコとした柔和な笑顔を顔に浮かべるようになったのだ。
「おはようございますブルーノ先輩。昨日帰ってからちゃんとラーニングしてできるようにしたんですよ」
「ラーニングって別にビジネス用語じゃないからな。それにしても一夜でこのレベルのができるのか。やっぱりルイスは覚えるのが早いな」
褒めるとルイスは嬉しそうに笑った。
今まであの顔のせいか壁のようなものを感じていた社員は少なくなく、それが無くなったせいかルイスの周りには人が増えた。
元々優しい性格だったので中身を誤解をする人が減り、しかも(私より少しだけ)顔が整っていてまさに完璧と言える彼の交友関係は一気に広がった。
それでも私をずっと頼ってくれるのは良い後輩を持ったなと同僚によく言われるし自分でもひしひしと感じている。
そしてルイスが来てから半年、ついに初めてインタビュアーになる日がきた。
私がヘルプに入るので余程のミスをおかさない限り大丈夫にはなってるが私は緊張が収まらずあまり寝れなかった。
「おはようルイス」
「おはようございますブルーノ先輩。ちょっと疲れてます?」
「い、いや?いつも通り余裕だが」
ルイスの前では何とか余裕の表情を保っていたが内心、心臓はバクバク言ってるし落ち着かなかった。
「どうだったルイス、初めての仕事は」
「緊張しましたね。心臓が破裂するかと思いましたよ」
ルイスは胸に手を当ててまるでさっきまでガチガチだったみたいに言った。
「フッ、嘘つけ」
ルイスは緊張した様子も見せず、笑顔で相手の懐に入り込み質問をどんどんぶつけていき、今日のインタビューは大成功に終わった。
「じゃああのパブでも行くか」
「いいですね。あそこのフィッシュ・アンド・チップスおいしかったのでまた食べたいです。前は先輩が払ってくれたので次は僕が払いますね」
「前は美味しそうに食べてなかったけどな。今日はお前がMVPなんだから私に奢らせてくれ」
私は元々酒に強い人間ではなかったが、気分がよく前回飲めなかった分を取り返すようにがぶがぶ酒を飲んだ。
そしてルイスにねちっこく絡んで、褒めて、褒めて、絡んで────そこから記憶がない。
ルイスはいつも通りの時間に出勤してきた。
「おはようございます」
「あ、ルイス・・・・・・あの」
ルイスが出勤してくるとオフィスにはどんよりとした空気が流れていることに気がついた。
「おはようございます。何かありましたか?」
みんな黙っていたが意を決して男性社員が答えた。
「悪い知らせだ。お前の上司のブルーノが、ブルーノが・・・・・・事故で今病院で意識不明なんだ。医者の先生からはかなり危ないって」
知らせを受けた時を思い出したのか女性社員の1人がウッと嗚咽した。
ルイスは動きを止めた。脳内で処理しきれていないようだった。少ししていつもの
「ブルーノ先輩の元へ行きます。どこですか」
メモに病院の名前を書いてもらうとルイスは奪うようにメモを持ってタクシーへと飛び乗った。
「セントラル病院へ向かってください。全速力で」
ルイスを乗せたタクシーはロンドン中のどのタクシーよりも早く走った。病院に着くとルイスお釣りはいらないと3ポンドを運転手に渡してタクシーを出た。
独特に匂い漂う病院内でルイスはブルーノのいる部屋ただ1つを探した。
「先輩、大丈夫ですか!」
やっと見つけた病室ではジェイク1人、どこかに電話をかけているところだった。
ベッドには足や腕にギプスをはめそれ以外も真っ白な包帯でぐるぐる巻きになっている痛々しい姿のブルーノが安らかな表情で眠っていた。
電話を切ったジェイクは病室の開けっ放しのドアのそばにたっていたルイスに気がついて声をかけた。「来たのかルイス。ブルーノが・・・・・・」
ルイスは笑顔を崩さず答えた。
「はい、ルイスです。それよりブルーノ先輩の容態は」
直属の部下の冷静な姿に平静を少し取り戻したジェイクはブルーノの方を向いて答えた。
「ブルーノは大型トラックにはねられて全身を骨折してまだ一度も目覚めてない。即死じゃなかっただけまだましな方らしい」
ルイスは
その日、ルイスの後にも平日だというのに沢山の人がブルーノの元を訪れた。
その厚い人望を目の当たりにしたジェイクはブルーノという人物の素晴らしさを改めて体感していた。
ルイスはブルーノの部下として笑顔で見舞いに来ている人の対応をしていた。
夕方頃になるとさすがに人もパラパラとしか来なくなり、病室には二人とたくさんのコードで繋がれたブルーノだけであたりは静寂に包まれた。
朝から張りつめていた緊張の糸が切れていつの間にかジェイクはベッドに突っ伏して寝てしまっていた。
別れの時は突然やってくる。
ジェイクはビーっという大きな音を聞いて飛び起きた。
「ルイス何かあったのか」
ルイスはある時を境にブルーノの体の状態を映すモニタに異常な波が映し出されたのを発見した。そしてナースコールのスイッチを押した音でジェイクが起きたのだった。
「ジェイクさん。ブルーノ先輩の心拍数が」
「どうした。あっ、ブルーノの身体が弱ってきているのか。早く医者を呼ばないと!」
「もう呼びました!」
看護師と医者が猛スピードで走ってきた。
そして急いだ様子で色々確認をしている時今度はピーッと音が鳴った。
なった方向にはモニタ。そこには真っ直ぐになった心拍数を表すグラフが映っていた。
医者達はすぐさま胸骨圧迫などのあらゆる救命処置を尽くしたが、しばらくしてルイス達の方へ向いた。
「亡くなられました」
その言葉を聞いた途端ジェイクの両目から涙がツーっと流れ床に水たまりを作った。
そしてドアの方からドサッという音が聞こえた。
そこには女性とルイスには見覚えのある二人の子供が立っていた。女性はショックのせいで膝をついて呆然としている。
「あ、ああ・・・」
女性はベットに寄ってブルーノの頬を撫でた。少し残った体温が女性の手を温めた
「私がもう少し早ければ」
女性はうずくまって泣き出した。拭っても拭っても溢れ出るその涙はブルーノの顔に落ちた。
泣いている母親を見て二人の子供達は揃って女性のもとへ駆け寄った。女性は二人を抱き寄せてまた大きく泣いた。
「すみませんこの人は?」
ルイスは全く知らない人の登場と大切な人の死で頭の中の処理が追いつかなくなってしまっていた。
「ああ、彼女はブルーノの元奥さんだ。訳あって離婚したけどそれも彼の優しさからなんだ。だから呼んだんだけどまさかこんなタイミングで来るとは思わなくて」
妻はさっきまでのジェイクの何倍も泣いていた。子供達は抱き寄せられた時に母に尋ねた。
「ママ、パパなんで昼なのに寝てるの?」
「病院にいるってことは何かあったんだよね」
その子供たちの純粋無垢な目は妻のことをより一層強く苦しめた。その苦しみが伝わったのか子供たちまで泣き出してしまった。
病室はブルーノを囲んで涙を流す人が飽和していた。
ある時ジェイクはとある異変に気づいた。
「ルイス。なんでお前は泣いてないんだ。別に必ず涙が流れるわけじゃないけど、ずっと笑ってるのは不謹慎というか。お前はブルーノが死んで悲しくないのか?」
ルイスは周りを見渡して答えた。
「ああ、確かにみんな泣いてますしね。悲しいと泣くんですね。わかりました」
まるで初めて知ったかのようなルイスの反応にジェイクの体にゾワッと鳥肌が走った。
そしてルイスは不格好で不自然な泣き顔を見せた。
「こんな風ですか?すみませんすぐにはできなくて」
さっきまでとは逆に病室で泣いているのはルイスだけだった。ジェイクも妻も子供たちでさえ涙が枯れていた。それどころか声すらも出せなかった。まるで異形の何かを見たかのように目の前の光景にただ飲まれていた。
「それではこれからインプットしていきます」
笑顔青年 江戸文 灰斗 @jekyll-hyde
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