第9話 折れたスティックの『TreUNLine』
9.
学校を出るころには、あたりはすっかり暗くなっていた。日没時間の早さとすっかり冷えるようになった夜の空気に冬の訪れを感じた。
急いでエリの家に向かわなければならない。すぐにでも伝えたかった。
エリの家は、まさに豪邸といった感じで、敷地も広く、大きな家だった。おそらくあたしが訪れたことのある家の中で一番大きな家だ。
一度大きく深呼吸をしてからインターホンを押す。プーーーーーーー…と呼び出し音が鳴った。
すぐにインターホンから声がする。
「はい、どちら様でしょうか?」
優しく品のある女の人の声だった。
「あの…あたし、桜澤さんのクラスメイトの神城です。今日学校で配られたプリントを持ってきました。」
そう言うと女性は嬉しそうに言った。
「あら、アカネのクラスメイト?ちょっと待ってね。今開けるから。」
30秒ほどで、玄関が開く音がした。
「どうもありがとうね。せっかくだからあがっていって。外は寒いでしょう。」
女性は優しくそう言った。年齢的にはあたしのお母さんと同じくらいだろうか。きっと、エリのお母さんだ。どことなくエリと似ている気がする。声と同様、容姿も品のある素敵な女性だった。
エリは風邪を引いて学校を休んでいるのだから、本来ならばお見舞いの言葉だけ伝えてもらって帰るのが正しいのだろう。だけど、そんなつもりはない。プリントを届けるのだって口実でいわばついでだ。本当の目的はエリに会うことにある。エリに会ってスティックを渡さなければならない。だから、あたしはエリのお母さんの言葉に甘えることにする。
非常識な子と思われないか心配で、エリのお母さんの顔をチラリと見たが変に思われた様子はなかった。
「アカネのお友達がうちに来るなんて初めてなのよ。あの子の部屋はあまり片付いてないと思うけど、ごめんね。紅茶入れるから飲んでいってね。」
そう言って2階のエリの部屋まで案内してくれた。
「アカネ、お友達がプリント持ってきてくれたそうよ。ちゃんとお礼言うのよ。ママは紅茶とお菓子持ってきてあげるから。」
あたしに話す時よりもいくらか粗野な声でエリに声をかけると、あたしに微笑みかけて、階段を下りて行った。
「エリ…入るね…?」
そう声をかけながらエリの部屋のドアを開ける。
エリはこちらを向いてちょこんとベッドに腰かけていた。
8帖ほどの広い部屋には、ベッド、勉強机、ちいさなテーブル、それに大きなスピーカーがあった。中でも一番目立つのはシンバルの部分が黒いプラスティックのドラムセットだ。電子ドラムというらしい。
壁のいたるところにバンドのポスターが貼られていた。すべて同じバンドのものだった。黒地にピンクの文字で大きく『Tre UNLine』と書かれたロゴ。レイカさんのステッカーと同じロゴだった。どのポスターにもロゴと一緒に3人の女の人が写っていた。
そのうちの1人に見覚えがあった。
正面に座るエリと目が合うと、エリは素早く目を下にそらした。あたしと仲良くなる前のエリの姿が思い出された。だけど、あたしはそんなエリの姿や反応を無視して、いつもと同じように振舞おうと思った。
「エリ!体調は大丈夫?レイカさんのところにも来ないし、電話も出てくれないから心配したよ。」
エリは黙っていた。
「てか、エリの部屋すごいね。なに?そのドラム?みたいのもあるし、それにこのポスター。トレ…?…なんて読むの?」
気まずい雰囲気を変えようと思って話題を変えた。まだ核心をつくのは早い。
エリのお母さんはすぐにお菓子を持ってきてくれると言っていた。きっとエリは、エリカたちにされたことをお母さんに知られたくはないだろう。
「トレウンラインって読むんだよ。わたしが大好きなバンド。」
エリは小さいけれど、力のこもった声でそう言った。凛とした声。
「そうなんだ。有名なの?あたしそういうの疎くて…。曲聞いたことあったりするかなぁ?」
あたしの知らないバンドだったからきっとそこまで売れているバンドでなない、と勝手に思っていた。
「何言ってるの!!トレウラは有名なんてもんじゃない、伝説的なバンドだよ!?確かにわたしたちは世代じゃないけど、ナナカも絶対聞いたことあるよ!!すっごくカッコいいんだから!ちょっと待ってて…。」
エリは一息にそういうと音楽プレイヤーを操作して音楽をかけようとしていた。
「う~んと…1番有名な曲は…って言ってもシングルがすごく売れたりタイアップがあるわけじゃないし…やっぱりこのアルバムかな…。」
何やらぶつぶつとつぶやきながらどの曲をかけるか選んでいるようだった。
「これ!このアルバムはすごく売れたし、業界での評価もすごく高い伝説的な名盤だからだれでも1曲くらい聞いたことあるはず!!」
そう言いながらエリがCDをかけると大きなスピーカーからは小気味良いドラムの音が鳴り、やがてベース、ギター、そして最後にボーカルの女の人の声の順に音が重なる。ビートの速い英語の曲だった。聞いたことのない曲だけど、確かにカッコよかった。
「英語?洋楽のバンドなの?ごめん、あたしこの曲は聞いたことないみたい。」
「ううん、日本人だよ。ベースの人が歌ってるんだけど、英語の発音が抜群にうまいんだよね。そっかぁ、知らないかぁ。じゃあこれは?」
エリは次々と曲を再生していくが、あたしが知っている曲は1つもなかった。
「え~、ホントに知らないの?残念だな~。次が最後だけど…きっとこれも知らないよね。」
そう言ってエリが最後にかけた曲にあたしは聞き覚えがあった。
「あれ?あたしこれ知ってる。」
知っているが、少し違うような気もする。不思議な違和感。
「え?本当に?この曲だけなんか雰囲気違くてたしかに良い曲だけど、アルバムの中では浮いてるな〜って。」
違和感の正体がなんなのかは分からなかった。
「うん。知ってるのは知ってるんだけど、あたしが知ってる曲とは少し違うような…。」
少し聞いていると気がついた。この曲はあたしが小さい頃、お父さんの車でかかっていた曲に似ている。似ているというかメロディは同じだ。だけどお父さんの車の中でかかっていた曲はダミ声のどちらかというと汚い声の男の人が歌っていた。
「これって…男の人が歌ってるバージョンもある…?」
エリに訊いてみる。
「えぇ!?男の人…?それはないと思うけど…あ、もしかして!!ちょっと待って。」
エリはそう言うと無造作に置かれたCDの中から、歌詞カードを取り出した。そして、それをパラパラとめくり何かを見つけると言った。
「これ、カヴァー曲だ。元々セックス・ピストルズ?…ってバンドの曲みたいだよ。」
エリはなぜか嬉しそうだった。
「すごいバンド名だね…。」
スマホで検索してみるとアッサリと動画がヒットした。再生すると流れたのは違う曲だったが、それもまたお父さんの車の中で聞いたことのある曲だった。
「ねぇ、さっきの曲はなんて曲名なの?」
あたしが訊くとエリは言った。
「ゴッド セイブ ザ クイーンだよ。」
すぐさまバンド名と曲名で検索し直すと今度もあっさりとヒットした。そして、再生するとさっきエリがかけてくれた曲と同じメロディをダミ声の男の人が歌った曲が流れてきた。
「これこれ、これお父さんの車で聞いたやつだ。」
妙な達成感に包まれているとあたしの後ろでドアがノックされる音がした。
「入るわよ?はい、紅茶とお菓子。神城さん、ゆっくりしていってね。」
そう言ってエリのお母さんはテーブルの上に丁寧に紅茶とお菓子を置いてくれた。そして、そそくさと出て行ってしまった。
なんとなくバツが悪そうにするエリにつられて、あたしも黙ってしまった。
部屋にはセックス・ピストルズの『God Save The Queen』がそのまま流れていた。
「ねぇ、エリ。」
あたしは思い切って本題を切り出すことにした。
「エリカたちに…何かされた?」
エリは黙っていた。あたしはエリが応えるまで待とうと思った。
あたしのスマホから音楽だけが鳴り続けている。曲が終わってしまうと、部屋は一気に静かになった。
「うん…。体育祭の日。遠山さんたちに、話があるって言われて…それで…。」
曲が終わるのを待っていたかのようにエリはゆっくりと話し出したが、途中で言い淀んでしまった。
「それで…?どうしたの?」
あたしはできる限り急かさないように気をつける。なるべくエリのペースでエリの意思を尊重したかった。
「それで…いっぱい叩かれて。足で踏まれたりもして…それに…。」
エリはそこまで言うと泣き出してしまった。あたしは優しくエリを抱きしめた。
「スティック…折られたんだよね?ごめん、実は今日、それを知った。気付かなくってごめんね。気付いてあげられなくてごめん。」
エリはあたしの腕の中でぶんぶんと小さく首を振っていた。エリの顔と服の擦れる音がした。
「今日、たまたまエリカたちが話してるの聞いちゃって…あたし脳天気だった。てっきりエリカたちもエリの頑張りを知ってて、応援して、労ってるんだと思ってた。体育祭の後、用があるって言ってたけど、あれエリカたちに呼び出されてたからなんだね。気付いてたら、何が何でも一緒に行ったのに。」
あたしも泣きそうになる。だけど、今はあたしが泣くわけにはいかない。
「1発、いや、もっと…。エリの分もあいつのことぶん殴ってやったから。それと、これ…。」
カバンにしまっていた、折れたスティックを取り出す。
「探してきたよ。折れちゃってるから意味ないかもしれないけど、レイカさんなら修理とかできるのかな?」
「それっ…!?」
エリはあたしから身体を離して、スティックを目に止めると涙で濡れた目を大きく見開いた。
「それ…どうしたの?どこにあった?取られちゃったから…。」
また、エリの目にはいっぱいの涙があふれる。
「うん。ごみ収集所にあった。ちょっと汚れてるけど洗えば大丈夫でしょ?」
あたしはスティックをエリの方に差し出した。
「ありがとう、ナナカ…そんなに汚れて…。気づかなかった…ごめん。」
エリは今になって、あたしの制服が汚れていることに気がついたようだ。実は、あたしも忘れていた。
もしかしたらエリのお母さんにはそっちの方で変な子だと思われたかもしれない。あたしはごみ収集所を漁る異常者だ。でもそれでも構わない。
「いいよ。ねぇ、エリ。今日学校に来なかったのって風邪引いたからじゃないよね?」
責めるようにならないよう、気をつける。
「もう学校に来るの嫌になった?勝手な話、あたしはエリに学校に来てほしい。大丈夫。エリカとか他の子がエリに何かしようとしたら、今度はあたしがなんとかするから。エリのことはあたしが守るよ。」
エリはふるふる首を振ったりコクコク頷いたりを繰り返していた。そして、目いっぱいに涙を浮かべながら抱きついてきた。
「ナナカ、ありがとう。ごめんね。明日からちゃんと学校行くよ。」
あたしはホッとして、優しくエリの頭を撫でた。
「そうだ。レイカさんも心配してるよ。ちゃんと謝ったほうがいいね。」
あたしはワザとふざけて少し脅かすように言った。
「えぇ〜、やっぱり怒られるかな〜。わたしの方からお願いしてドラム習ってるのに無断でサボっちゃったし、それに…このスティック…レイカさんからもらったものなのに…。使えなくなるまで練習するように言われてたのにその前に…」
「ちゃんと事情を話したらレイカさんは分かってくれるよ。とりあえず、今週の金曜日はレイカさんのところに行こう。もちろんあたしも一緒に行くからね。」
あたしがそう言うとエリは今までで一番の笑みを浮かべて頷いた。エリはあたしが思うよりずっと強い女の子だった。
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