第66話 分かっていた
私が”あの仏画”を見に行かなくなったのはいつからだろうか?
あの絵に描かれいた美しい観音あまが驚くほどに裕子さんに似ていた。
私はことさらに信仰心がある訳ではないのに、毎月この仏画が開帳される月の中ごろにこの絵に”会いにいく”のが当たり前になっていた。
そしてそれはなんとなく習慣で、惰性で通っていたいた訳ではなかった。
私は精神的安定を得るために”行かざるを得ない”状況にあったのだ。
昔懐かしい人に会いに行く……
そんな部分もあったのかもしれない。
でもそれよりも、私は彼女にしてしまった”裏切り行為”を懺悔したかったのだと思う。
こんなことは自己満足だとは充分分っていたが、それでも仏さまの姿をした”彼女”に向かい合うことで何か自分が許されるかもしれないという僅かな期待をしてしまっていた。
都合のいい信仰心もいいところだ。
私はいつのまにかこの仏画に会いに行くことを止めていた。
意識的に止めようと思った訳ではない。
いつのまにか”行かざるを得ない”という強迫的な想いはなくなり、気付けば行かなくなってしまっていた。
理由は……
分っている。
檸檬の存在だ。
檸檬は、昔の私に憧れていたという。
そして今では私のことが好きだという。
これは人間的に好意を持っているという意味を超えて恋愛対象として好きだと彼女は言った。
女子高に通っていたころの私は同性からの告白を多く受けた。
しかしそれらのほとんど全てが一時的なもので決して心から私を好きな訳ではないといことをいつも経験させられた。
だから檸檬の気持ちだってそれと同じであるに違いないと思っていた。
でも……
いつのころか”檸檬だけは違うかもしれない”と思うようになってきたしまった。
そう思いたい自分が芽生えてしまったのだ。
私はそんな自分に気付いてから、不安で押しつぶされそうになる日々を送ることになった。
私がはじめて好きになった人は、私がどんなに想っても私を恋愛対象として想うことはなかった。
その人、上條裕子は私の全てだった。
私の願いが裕子さんに受け入れられることはないと知って、裕子さんの元を去った。
私は絶望感と喪失感で生きていることに意味を感じることもできなかった。
いまだにあの時のことを思い出そうにもよく思い出せない。
私の左手首には深い傷跡がある。
その記憶もハッキリしないがその意味することはもちろん分っている。
でもそれらの記憶は、今の私には思い出す勇気がない。
決して思いだすことはできないほどに深く深く押し込められてしまった私の心はそれが表に出ることを許さなかった。
それなのに……
檸檬に会ってから、決して届かないところに押し込めたはずの記憶に意識が触れそうになる。
すると私の身体がおかしくなった。
腹部がぐるぐるとかき回されたように苦しくなり、背中から不快な振動が湧いてきて気が付くつ私は意識を失うほどに過呼吸になる。
だから檸檬の気持ちをなるべく真剣に受け取らないように努力してきた。
でも無理だった。
とっくに分っていた……
もうこの気持ちを抑えるなんてことはできない。
檸檬ははじめ、私の外見にただ憧れを抱いていただけだったのだと思う。
でも彼女は次第に私が人間として未成熟であることに気付づいてしまった。きっと私が過去に深い心の傷を負っていることも気づている。
そんな人間として中途半端な私を見て、距離を置くかと思ったらむしろ私が戸惑うほどに距離を縮めてきてしまった。
彼女は私の弱さを知ることで、むしろ私の為に出来る限りのことをしてくれるようになっていった。
だから……
”もしかしたら檸檬だけは……”
そんな淡い期待が消そうにも消せなくなってしまったいた。
そう、私の方が檸檬のことが好きで、好きでたまらなくなってしまったのだ……
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