第40話 嘘つき
私はこの時ほど、維澄さんの視線を恐いと思ったことはなかった。
維澄さんとの関係性はもう出会った当初とは違う。
私なりに友だちとして維澄さんから信頼されているという確固たる自信もあった。
しかしこの瞬間に見せた維澄さんの視線はそんな関係性を一瞬で壊してしまうほどに危険な香りを孕んでいた。
「檸檬?いまちょっと時間あるの?」
上條さんがさっき私に言ったセリフを、今度は維澄さんが口にした。
「もちろん。わ、私もお昼まだだし……一緒に食べませんか?」
私はなんとかこれだけのセリフを返すのが精いっぱいだった。
維澄さんの視線は恐ろしいものがあったが、私が初めてあった時のような「拒絶」ではなく私と「話をする」という選択をしてくれたのが僅かばかりの救いだった。
私はさっき出たばかりのファミリーレストランに今度は維澄さんと一緒に入ることになった。
休日で12時を少しばかり回った時間。上條さんと会話した時よりも家族連れのお客さんの数が増えて店内はかなり混雑していた。
私と維澄さんは無言のまま数分待つことになった。気まずいが不用意に中途半端な言葉を掛ける雰囲気ではなかったので私はこの無言のプレッシャーに耐えるしかなかった。
幸いに5分程度で、二人掛けの席に通された。
維澄さんは座るなり、私が見たことがない”怒り”の表情を私に向けた。
この維澄さんの表情は私が予想したものではなかったので面喰った。
維澄さんにとっての上條さんは「過去のトラウマ」の元凶であるはずだ。だから維澄さんが上條さんの姿を見た反応は「怒り」ではなく「動揺」であると想像していた。
そう、まえに店内で起こしてしまったパニック発作を起こしてもおかしくないとまで予想したいた。
だから、こんな怒りをぶつけるような表情を向けられるとは思ってもみなかった。
「檸檬……」
怒りからだろうか?少し声を震わさせ維澄さんは私の名前を口にした。
「ご、ごめんなさい」
私は咄嗟に謝ってしまった。
「なんで謝るの?」
「いや、なんというか維澄さんの知らないところで上條さんと会って……」
そこまで言うと維澄さんの顔は見る見る紅潮してついに爆発してしまった。
「嘘つき!」
維澄さんは声を荒げてそう言った。
ただ私にはこの「嘘つき」という言葉の意味することが全く理解できなかった。
「う、嘘つき?私は別に嘘はなんにも……」
「だって、たったいま上條さんと私に内緒で会ってたじゃない!」
「別に内緒ってわけじゃなくて……さっきたまたま」
「言い訳しないでよ!」
こんなに感情をあらわにした維澄さんを始めて見て私は激しく動揺してしまった。
そして、その勢いの押されて返す言葉を失ってしまった。
「ほら……何も言い返せないじゃない!」
「ど、どうしたんですか?維澄さん?」
「聞きたいのは私の方よ!なんで……なんで……」
そこまで言って維澄さんはついに涙を流し始めてしまった。
私は維澄さんの予想だにしないリアクションにパニック寸前になってしまった。
それでも私は頭をフル回転させてその意味を必死に考えた。
確かに私と上條さんが一緒にいるところを見たのはショックだったと思う。
当然維澄さんにしたら『上條さんの姿を見た』ことによる動揺が大きいと想像していた。
でも今の維澄さんの態度、言動からはそうではないと思えてきた。
つまり維澄さんは『上條さんの存在』そのものよりも『私と上條さんが一緒にいた』という事実に怒りをぶつけている。
だとすれば……
私は以前に維澄さんの過去を聞いて、上條さんに謝るべきだと提案したことがあった。
この時は『維澄さんと上條さんの過去のわだかまり』を私が間に入ってなんとか解消してあげようなんて差し出がましい想像までしていた。
しかしこれは私にとっても、私を唯一の友だちと感じ始めていたであろう維澄さんにとっても前向きな目標であり、十分実現可能だとも思っていた。
きっと維澄さんも同じ目標を持ったに違いない……そう確信していた。
だから『一緒に実現しよう』と思っていたことを……
「私の知らないところで、コソコソと先回りして裏工作をしている」
そんな想像をされてしまったのだろうか?
確かに『いきなり上條さんが私を訪ねてきた』なんてことを維澄さんだって咄嗟に想像できないだろう。だから『ずっと前から私と上條さんが内緒で会っていた』という間違った想像をしてしまったのかもしれない。
私はそこまでの考えにたどりついて維澄さんに真相を分かってもらうべく口を開いた。
「維澄さんはきっと何か勘違いしてます。上條さんに会ったのはついさっきです」
「だからなんなの?」
クソ伝わらないのか?
「だから上條さんがさっき突然、私の家を訪ねて来たんです。私だってびっくりでしたよ。」
「そんな嘘は……」
「嘘じゃないです!!」
さすがに今度は私が声のトーンを上げて維澄さんの言葉を制した。
「聞いてくださいよ!上條さんは私のオーデション写真をどこかで見たらしくそれを頼りに私を訪ねて来たんです」
「なんでよ?どうして檸檬のオーデション写真を見ただけで上條さんが檸檬のところに?」
「私もそう思いましたよ。でも原因は私である訳がないでしょ?維澄さんですよ。」
「わたし?」
「そうでしょ?あの写真をみて維澄さんが絡んでるのに上條さんが気付いたんです。そういうの見抜くの得意でしょ?あの人」
維澄さんはようやく状況を理解したようだ。
でも私はさらに続けた。
「私が勝手に踏み込むことじゃないとは思いますけど……上條さん、維澄さんが生きてるかどうかも分らないって感じでしたよ?」
そう言うと維澄さんははじめて「苦しい」表情をした。きっと維澄さんは上條さんが維澄さんの行方を心配していたことを知っていたのだろう。
だとすると、やっぱり『私が維澄さんと知り合いである』という事実を勝手に上條さんに伝えるのは無神経すぎたかもしれない。
「そうですね。確かに維澄さんが怒る理由はありましたね。私が維澄さんと知り合いであることを勝手に上條さんに話してしまいました」
私は一瞬、再度維澄さんの怒りが復活するのではと想像していたが、それは全く違ったものだった。
「そう……ありがとう」
え?ありがとう?
なんで?
いや、そうだ。これが私が想像した、いや最初に期待した維澄さんのリアクションだったんだ。きっと維澄さんも上條さんに心配を掛けていることを気に病んでいる。
だからこそ私が間に入って伝えてあげたことに感謝をしてくれた。
だったら最初の”怒り”はなんだったんだ。
それがますます分らなくなった。
「裕子さん……どう思った?」
「え?……どうって?」
「会ってみた感想よ」
「ああ……想像以上に恐かったですね」
私は場の雰囲気を少しでも和ませようと少しおどけてそう言った。
「そうね。そういうところは少しあるよね」
「少し?……あれは少しじゃないでしょ?」
「そう?……でもそれを言うなら檸檬もそうじゃない?」
「え?私?私があんな怖いって……それ酷くないですか?」
そう言うとようやく維澄さんは少しだけ笑って見せてくれた。
私もようやく少しホッできた。
「ああ、あとやっぱ綺麗でしたね~ほんと見取れちゃうくらい」
私は和みつつある場に乗じて軽い気持ちでそう言った。
ただ、この言葉で維澄さんの表情がまた一変してしまった。
「そ、そうよね。綺麗よね。上條さん」
維澄さんの顔色が見る見る悪くなってしまった。
今度はなんだ?
そうか、上條さんが綺麗ってことは……
維澄さんの過去の恋愛感情に触れてしまうワードだ。
しまった。軽率だった。
「そう、ほんと元モデルって維澄さんもそうだけどやっぱ私なんか素人とは違うよね?なんかオーラがあるっていうか……」
私は必死に恋愛感情とは遠いところに話を持っていこうと言葉を続けた。
「嘘だ」
「え?嘘?」
「嘘つかないで」
ま、まただ。また嘘?
「ご、ごめん。維澄さんその意味分からない」
すると維澄さんはこの店に入ってきた時と同じ”怒りの目”で私を睨みつけた。
「ごまかさないでよ?檸檬……あなた上條さんとさっき会ったばかりなんでしょ?」
「そ、そうですよ?そう言ったじゃないですか」
「なのに……なんであんなに仲が良くなってるのよ!?」
「え?仲良く?……そんなことないと思うけど?」
「だって携帯番号も教えてた」
え?そこから見てたの?でもだからって……
「檸檬は……綺麗な人見るといつもそうしてるんじゃないの?」
「はあ?何言ってんですか?」
「私は……私は……もうあんな思いはしたくないのよ」
「ええ?だからどういう意味?」
「檸檬は……私のことが好きだったんじゃないの?」
「な、何を急に……」
「違うの?」
「いや……その、違わないですけど」
「嘘」
「いや、嘘じゃないです」
「嘘」
「だから、なんなんですか?さっきから人を嘘つき呼ばわりして」
「あなたはまだ高校生だから、簡単に人のことを好きって言うけど、私はあなたとは違うの」
「そ、そんな……私が好きになったのは維澄さんが最初ですよ」
「嘘」
「だから嘘じゃないっていってるでしょ!」
私も維澄さんの意味不明な「嘘」の連呼にだんだんと腹が立ってきた。何が言いたいんだこの人は。
「さっき上條さんといる檸檬は嬉しそうだった」
「だから何言ってんですか?」
「檸檬は……私といる時と上條さんといる時と……全く同じだった」
「違うでしょ?全然違うよ?」
「嘘!」
「だから……嘘じゃない!」
そう言い返したが……ここまできてようやく気づいた。
もしかして?
維澄さん……嫉妬してる?
確かに維澄さんは私に独占欲のようなものを見せたことがあった。
そう、美香が店に来たときだ。確かに維澄さんは私に近しい女性の存在に異様に反応するのは美香の時で分っていたが……。
でも私のことを好きだという明確な意思表示をしてくれたことはない。
今回もそれと同じこと?
いや、それにしても今回のは度が過ぎる。
「檸檬はきっとこれからも素敵な人にたくさんあう。檸檬のことだから、またすぐに好きになってしまう」
維澄さんは涙をためて話しだしていた。
「でも私は違う。私が好きなっても相手は簡単に去ってしまう」
そ、そうか……上條さんが去ったことだ。
「だから私は人のことは好きにならないって決めてた」
「えっ……そ、そんな」
なら、私はどうなるのよ?
「でも……檸檬があんまり近しくするものだから」
しまった。
間違った。
そうだったんだ。
私は焦燥感で口が渇くほどに緊張した。
でもここで間違える訳にはいかない。
私はゆっくりと、そして慎重に口を開いた。
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