第39話 窮地から

「少し時間あるかしら?ちょっとつきあわない?」


 上條裕子は、そう尋ねながらも、その言葉には私がノーとは答えられない威圧的なトーンを響かせていた。


 維澄さんにとって過去のトラウマの元凶であるKスタジオの上條裕子社長。


 私は『何を』『どこまで』話すべきなのか?


 私は上條社長の突然の来訪という予想外の状況にいまだ動揺が収まるどころではない。


 こんな動揺を引きずって、冷静な判断など出来るはずもなかった。




 さらに私は最も考えなければいけないことへの明快な答えを出すことよりも『維澄さんの過去をこの人から聞きたい』という欲望に心を持っていかれてしまった。


 だから少しだけ逡巡したが直ぐに條さんからの提案を呑んでしまった。


「直ぐに支度をするので少し待っていてください」


 私は動揺収まらぬまま、しかし少しの期待感を抱きながら一旦、部屋に戻った。


 …… …… ……


 門の外に出ると、そこにはタクシーが一台待たせてあった。きっと盛岡駅から来たのだろう。


 盛岡駅からここまでタクシーでくれば結構な金額がかかるはずだが、まあこの社長からしたらそんなことは要らぬ心配だ。



 私と上條さんは待たせていたタクシーに乗り込み、私の家から数分のファミリーレストランに入った


「こんなところで悪いんだけど」


「いえ庶民にとっては”こんなところ”でもなんでもありませんから、おかまいなく」


「フフ、面白い子ね」


 私は正直な感想を言っただけだが、上條さんは嬉しそうに微笑んだ。


 目の前に上條裕子が座る。


 凄いことがいま起きている。


 TVとか雑誌でしか見たことがない有名人が私の目の前にいる異常さにいまさらながら驚かされる。


 モデル業界はおろか日本の全てのマスメディアにすら絶大な力を持つ、カリスマ経営者。


 でも私はとってはそんなことより心をざわつかせる事実がある。


 そう……かつて



 維澄さんが愛した女性。




 綺麗。


 ただただ綺麗。


 目の前で見ると、その美しさに私ですら心を奪われて目が離せなくなりそうだ。


 そうか……維澄さんはこの人をずっと近くで見ていたんだ。


 そう思うと、私の心はまた嫉妬で狂わしいばかりにかき乱されてしまう。





「さてと……どこから話そうかしら」


 上條さんは私のそんな動揺に全く意を介するはずもなく前置きなく直ぐに本題に入っいくつもりのようだった。


「上條さんは、私のことをどこまで知っているんですか?」


 私はもう一度話を戻して、頭を整理したかった。


「え?……ああ、何も知らないわよ?あなたのオーデションのプロフィール以外はね。まあもっと言えばプロフィールだって良くは覚えていないわ。申し訳ないけど」



 まあそうだろう。上條さん程の人が私のような凡人にそれほどの興味など持つはずがない。上條さんの関心は維澄さんな訳だから。


 でも私が聞きたかったこともそこではない。


「いや、それは分かっています。その……さっきの会話でどこまで私と維澄さんのことを察したのかという話しです」


 すると上條さんは驚いたように目を見開いてから、すぐに口を開けて笑いだした。


「ハハハ、やっぱり面白いね、君は」


 私は大笑いされるようなことを言った覚えはないので怪訝な顔をしてしまった。


「ごめんなさい。君も結構するどいところがあるんだなって感心したんだよ。」


「そうれはどうも」


 上條さんは上機嫌だが、私はそんなこと褒められたって全然笑えない。


「フフフ……じゃあ逆に聞くけど、私とIZUMIの関係はどこまで知ってるの?」


 私が上條さんと維澄さんの関係を知っている前提か。まあいいや。私が上條さんの顔を知っている時点でそれはバレてるんだから。


「概ね維澄さんから聞いたと思います」


「へえ~”概ね”……ね。その”概ね”ってどの程度なのかしら?」


 上條さんの態度は”どうせ大したこと聞いてるはずがない”そう人を少しばかしにたようなものに見えて少し”カチン”ときてしまった。


 今にして思えば、それもこの人の作戦だったのかもしれない。そう私から話を引き出すための。


 私は対抗心から維澄さんから聞いたことをほぼすべて語ってしまった。


「維澄さんがモデルを始めたきっかけ、上條さんがモデル事務所を立ちあげる話し……それから維澄さんが突然仕事をブッチしてトンずらした話とか」


 私がそこまで話すと……今まで余裕の表情だった上條さんの顔色が見る見ると変わるのが分かった。


「神沼さん?」


 上條さんはまるで私の心を鋭い剣で出射抜くかのような鋭い眼光を向けてきた。


 私は恐怖のあまり全身がふるえる上がってしまった。


「は、はい……」


「あたな……IZUMIとはどういう関係なわけ?」


 私は”ギクリ”として……額からは緊張のあまり冷や汗が流れた。


「ど、どういう……とは?」


「私に対して上手く誤魔化そうなんて思わないでね?正直に話しなさい」


 上條さんは目を細めて、その目の奥にある光はさらに鋭利なものとなって私に向ってきた。


 な、なんて強引な。私が”それ”を話さなければいけない義理なんて全くないのに。


 なのになんでそこまで強引なの?


 私は腹立たしくも感じたが、それよりも恐ろしさが勝ってしまった。


 や、やばい。


 恐い。


 どうしたらいいの?


 なんと答えたらいい?


 わからない。


 恐い。


 ……


 私は自分の感情と思考をついに制御できなくなり、ボロボロと涙を流し始めてしまった。



 さすがにこれには上條さんも慌てた。


「な、なによ?泣くことないじゃない?私そんな難しいこと言った?」


「だって……そんな恐い顔して」


「こ、恐いって、失礼だな……でも悪かったわよ。私もIZUMIのことになるとちょっとまだ冷静になれないんだ。勘弁してくれ」


 私は一旦堰を切ってしまった感情を止めるすべはなくただただ激しい嗚咽と溢れる涙で泣き続けた。



 上條さんはついに観念したようだった。


「今日はごめんなさい。突然訪ねて来て、無理なこときいちゃったようね。続きはまた今度聞かせてもらうから……だから泣きやんでよ?私がいじめているみたいじゃない?」


「いじめてますよ……」


 私は思わずボソリと突っ込んでしまった。


 上條さんもこれには苦虫を噛み潰したような顔になってしまった。


 私は辛うじて顔を上げて上條さんの顔を凝視すると、このほか優しい顔をしていたことにびっくりした。


「ねえ?あたな個人の連絡先聞いてもいいかしら?」


「え?それはオーディションのプロフィールに」


「ああ、だからそれはいちいち控えてないわよ」


 それはそうか。プロフィールを見て自分で確認してくれとはさすがに言えない。


「じゃあ」


 そういって私と上條さんは携帯番号とEメール、Lineの交換をした。


「また連絡させてもらうから……その時また聞かせて」


「はあ」


 私はまた今日のようなことになるのではと想像して憂鬱な顔をしてしまったようだ。


「だからそんな顔しないでよ。次はもっと楽に、なんならIZUMI同席だっていいのよ?」


「そ、それはダメです!」


 私はここだけは強い口調で即答した。


 そして、うっかりと維澄さんの名前を聞いて赤面してしまった。


 こんな私の態度と顔色を見て上條さんは少し首をひねって……


「え?もしかして?」


 や、やばい……


「はは~ん……そういうこと?」


「そ、そいういうとは?」


「フフフ……そうか、そうなんだ」


 上條さんはなぜか凄く嬉しそうに微笑んでいた。


「だ、だからなんですか?」


 私はますます赤面してそう応えるのが精いっぱいだった。


「まあその辺の話しも次、聞かせてよ」



 バレた。私の維澄さんへの気持ち、絶対バレた。


 ホント……恐いこの人。


 油断すると全部見透かされる……




「ゴメンね神沼さん……ちょっと緊急の連絡が入ってこのまま駅まで向かわないといけなかくなったから」


 さっきから上條さんの携帯が煩くバイブレーションしてたのには私も気付いていた。


「ええ、近いから一人で帰れます」


「なんならタクシー呼んで?」


「いや。歩いても15分程度なんでタクシー呼んだら嫌な顔されます」


「そう、悪いわね……」


 結局話しはそこで終わり、上條さんが会計を済ませ、あわただしく待たせていたタクシーに乗って去って行った。




 まるで嵐のようだった。



 さて、私も帰ろうか……


 そう一息ついて踵を返すと……



「れ、檸檬?」


「え?い、維澄さん?……どうしてここに?」


「いや、ちょっと昼食にと思って……それより、今の」


 しまった……見られたのか?


「えっと……」


 私はとっさのことで目が泳いでしまった。


「なんで……なんで上條さんと檸檬が……」



 維澄さんは驚愕の表情で顔が真っ青になっていた。



 ま、まずい……


 私は上條さんと分れて安心したのもつかの間……


 またもや窮地に追い込まれてしまった……

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