第30話 今はこのままで

 私達は盛岡の商店街にある小さなイタリアンのお店に入った。


 ここは地元のTV番組にも何度も登場する有名店で、普段の休日はそうそう入ることはできない程に混雑している。しかし幸か不幸か、時間がまだ11時を少し回ったばかりだったので直ぐに席に通してもらえた。


 デパートを出てから、店に入るまで私と維澄さんは一言も言葉を交わさなかった。


 あまりに気まず過ぎてお互い目も合わず二人で下を向いて歩いた。ほんの数百メートルしか歩いていないのに無限につづく地獄のような辛い辛い時間だった。



 しかしどんなに目を会わないと思ってもも、店について対面で席に座ってしまえばさすがに目を逸らしてばかりはいられない。


 私と維澄さんは、この店お薦めの「ズワイガニのトマトクリームパスタ」のランチセットを注文した。


 料理を待つ間、私はずっと俯いていたが、少しだけ顔を上げて恐る恐る維澄さんの顔を覗き見た。


 すると、運悪く?いや運良く?同じタイミングで維澄さんも顔をうっすらと上げて私を見ようとしていた。


 だから眼がバッチリと合ってしまった。


 私は怯んで目を逸らしそうになったが、なんとか、なんとか耐えて……維澄さんの目をみてとりあえず差し障りんのない話を切り出した。


「維澄さん、この店知ってましたか?」


「え?……ああ、なんか雑誌の特集で見た記憶があるかな」


「ですよね?……ここ人気店でもう30分もすれば絶対座れなかったですよ。早く入れてラッキーでしたね」


「そ、そうね」


 維澄さんも必死に作り笑顔を作っていたのだろうが全然笑えていない。


 むしろそれが少し笑えてしまった。


「維澄さん?そんな変な顔しないでくださいよ。維澄さんは思ったことがストレートに顔に出るから無理に顔なんて作ると変顔になりますよ?」




「じゃあ……私は今、どんな顔すればいのよ?」


 維澄さんは少しムッとしてそう言い返して来た。


「私に告白されてたんだから……嬉しい顔してみるとか?」


 私は自分でもびっくりするような暴言を咄嗟に言ってしまうことがある。そう、特にこの人の前では……。


 でもこれが突破口になった。


「だ、だからそんな……急に」


「急じゃないでしょ?私は出会ったときから言ってます」


「でもそれは、ニュアンスが違ったと言うか」


「それは維澄さんが勝手に勘違いしてただけ。私の気持ちは一貫していました」


 私は維澄さんの前だと強気に出てしまう自分が不思議だった。私は弱い者いじめの傾向があるのだろうか?私は言ったそばから罪悪感じてすぐにフォローを入れた。


「ゴメンなさい。困ってるよね」


「困ってるというか、突然過ぎてまだ何も考えれれないというか、あたなた突然ではないと言うけれど……」


「そうですよね。じゃあ、これから真剣に考えてください」




 少し会話が途切れて、維澄さんは思いつめたように下を向いてしまった。


 そしてゆっくり語り始めた。


「私、こう見えて……むかしから結構、なんというか良く告白されたのよね」


「ええ、こう見えてって、どう見てもそうでしょうね」


「……っ、そ、そうかな?でもそれは檸檬もそうなんじゃないの?」


「まあ、維澄さん程ではないと思うけど、程程には」


「女性からも?……この間も美香さんからも告白されたし」


 ああ、女性からの告白の話しなんだ。そうか維澄さんは女性からも沢山告白された経験があるんだ。


「女性からは、そんなにはないです。それを言ったら美香の方が多いかな。ほら彼女、ボーイッシュで王子様だから」


「ええ、そうよね。だからちょっと焦ったんだよね」


「え?焦る?」


 そうか、やっぱりちょっとぐらいは独占欲が出てたんだな。こんな私に対しても。なんというかくすぐったい。だって私のことをそんな風に見ていてくれたなんて。


 少なくとも私の存在が維澄さんの中で少しは大きくなっているのか……


「私は女子高だったこともあって結構女性同士の恋愛は多かったの。でも、今思うとそれがどこまで真剣な恋愛だったのかが良く分からなくて」


「どういうことですか?」


「女性同士付き合ってる人もたくさんいたけど、決して長続きしない。気付けば次は男性と付き合ってるという人も多く見かけた。私にはちょっとついていけなかった」


「ああ、それは分る気がします。あれは真剣な恋愛じゃないでしょ。そんな簡単に別れたり男に鞍替えしたりとかありえないです」


「檸檬は、檸檬は違うの?」


「はあ?あんな遊びと一緒にしないでください。私が人を好きになったのは維澄さんが初めてで、たぶんこの先も維澄さん意外に好きにならない自信があります」


「そ、それは檸檬がまだ若いから言えるのであって、みんな最初はそう言うんじゃないの?」


「それは正直分かりません。まだ17歳なんで。でも今の素直な気持ちはそうなんですから私はそれ以上のことは言えません」


 でも痛いところをつかれている。


 維澄さんの言いたいことは分る。


 勝手に独りで盛り上がって、人を振り回すだけ振り回して、飽きてしまうんでしょ?ということを言ってるのだ。


 きっと実際にそんな人たちを見てきたのだろう。


 もしかして、過去に維澄さんは女性と付き合った経験があるのだろうか?上條さんより以前に……もちろん上條さんとだって付き合っていたという保証はどこにもないのだが。


「維澄さんは高校時代に……その……つきあったりとかあったんですか?」


「え?……いや、それはないんだけど」


 な、ないんだ。良かった。


 なんか凄くホッとした。


 維澄さんレベルなら当然、お付き合いの一つや二つは覚悟してたけど……ないんだ。


 だとすると経験値は低い?


「もしかすると、私みたいに一方的に押してくる相手がいたとか?」


「檸檬とは全くタイプは違ったけど。ずいぶんと熱心に言い寄られたことはある」


「それは女性ですよね?」


「ええ」


「で、どうしたんですが?」


「一応、友だちとして一緒にいることは多くなったんだけど……」


「だけど?」


「次第に彼女の方から距離を置くようになって……たぶん結果的に私のことが好きとかじゃなかったんだと思う」


「ああ、維澄さんが綺麗だから憧れて近づいただけだね、それは」


 そこまで言って私は”はっ”とした。


 そうか、維澄さんも”これ”を警戒しているんだ。私もきっとそうに違いないと。


「だから檸檬、ごめんなさい」


 え?ごめんなさい?え?まさか……フラれた?


 私は一瞬で顔面が蒼白になってしまった。


「あ!檸檬の気持ちを……その断るとかじゃなくて、私がその辺に対する不信感が強すぎるから」


 ああ、そういうことか。焦った。


 もう撃沈するかと思った。


「私は檸檬といると楽しいし、私も最近では親しい友だちなんていなかったから檸檬には感謝してるんだよ」


「な、なんですか?急にあらたまって」


「だから、もうちょっとこのままは、ダメなのかなと思って」


「いえ、いいんです。別にただ私が好きだってことさえ伝わってれば、今はそれで」


「ごめんなさい、あ、そのこれは」


「ええ分かってますから、大丈夫です。私をフル訳じゃないってことですよね?」


 維澄さんは少し照れたように、当惑気味に下を向いた。


 でもつまり、これはよくある”今の関係をこわしたくない”というヤツだろう。


 それは私だって望んでいること。ただ上條社長の存在を私が意識しすぎて暴走してしまっただけ。


 それで維澄さんをただ困らせてしまっただけなんだ。


「なんか、また私が暴走して困らせてしまいましたね」


「いや、困ってはいない」


「じゃあ、嬉しかった?」


「うん」


「え?…うん?」


「え?なんで?おかしい?」


「だって……」


「いや、普通は好きって言われると嬉しいんじゃないの?」


「まあ、そ、そうですけど」


 確かに美香に告白された時も嬉しかったし……


 そうか、ぜんぜん拒否られてないんだ、そうなんだ。


 私は自然に顔がほころんでしまった。


「あ、檸檬嬉しそう」


「それはそうです」


「フフフ」


 維澄さんにしては魅惑的に笑って見せた。


 ああ……もう死んでもいい。






「でも、檸檬……聞いていい?」


「え?何を?」


「上條さんのこと」


 そ、そうだった。



 私が上條社長の名前をうっかり言ってしまったことでこんな展開になってしまったんだ。


「はい。すいません。昔のことを詮索しないで言われていたんだけど……あのお寺に行ってしまったんです」


「え?お寺?」


「維澄さんが毎月通ってると教えてくれた大乗院です」


「ああ……」


 維澄さんも合点がいったようだった。


「そこで偶然見つけたんです。上條社長にそっくりのあの絵を」


「そうだったんだ。それでその……檸檬は上條さんのことは知ってたの?」


「知ってますよ。有名人じゃないですか、あの人。TVにもよく出演するし……でも私が上條さんの顔を良く知っていたのは昔、維澄さんのことを検索していた時に散々上條さんがヒットしたから。維澄さんとの関係者だとは思っていました」


「そうか……だからか。でも……私が……その」


「なんで維澄さんが過去に上條さんを好きだったかことが判ったかですよね?それは分りますよ。維澄さんの顔見れば」


「え?私の顔?」


「私の部屋で私が飾ってた維澄さんの写真を見て維澄さんは暗い顔をしたでしょ?それはその写真に維澄さんが辛い体験に繋がる何かがあるってことだと私は気付いた。そしてさっき維澄さんはあの写真のIZUMIと同じ顔を、あの微笑みを……上條さんのことを思い出している時にしてました。それを私が見逃すはずがありません」


 私がそこまで捲し立てると、維澄さんは驚きのあまり口をあんぐりと開けて固まってしまった。


「好きな人が誰を好きかなんて簡単に分かるんですよ」


 私は美香に言われたことをもう一度口に出して、維澄さんに告げた。


「はは……檸檬って凄いね。なんでも分っちゃう」


「それは維澄さんに対して限定ですよ?」


「そうなの?」


「そうです」



「そうか。なら私からも話しておかないといけないのかな」


「え?何を?」


「だから上條さんのこととか、昔の私のこととか」


「えっ!だ、だってそれは詮索しないでって」


「それは檸檬とあったばかりのころでしょ?もう檸檬に黙ってる必要もないじゃない」


「えっと……それはどうして」


「檸檬は私の友だちってことでいいでのでしょ?だったら別に隠す必要ないじゃない」


 今度は私が口をあんぐり開ける番だった。


 あれだけ話すことを拒んでいた”辛い過去”であるはずのモデル時代のことを……私に話す?



 私は緊張のあまりゴクリとつばを飲み込んでしまった。

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