第14話 異常事態

 私は帰宅すると、自分の部屋へ直行して着替えをする。


 それから一日中ほとんど見ることもないスマホをバッグから取り出して、机の充電器に挿す。しかしこの充電を忘れてしまうこともよくあって次の日までバッグに入れっぱなしだった、なんてこともよくあったりする。


 つまり、スマホへの関心なんて今まではほとんどなかったと言う事だ。


 当然、スマホは次の朝まで決して触れる事もないので、部屋から持ち出すことはしない。


 正直、スマホ依存の人たちの感覚がイマイチよく理解できなかった。ただ美香に言わせると私の方がよほど理解に苦しむらしく、よくバカにされていた。


 そもそも私のスマホのメモリに登録されている人数が極端に少ない。悲しい事に、これはイコール友だちが少ないってことなのだが。


 そんな訳だからスマホが手元になくても不安になる事なんか全く無かった。


 それなのに。


今ではスマホを片時も離さなくなった。今更になって”いまどきの女子高生”の気持ちがよくよく分かってしまった。


 理由はもちろん維澄さん。


 彼女からの連絡があるかもしれないと思うと、とてもじゃないがスマホを手放すことなんかできない。この小さな機械の向こう側に維澄さんが繋がっていると想像するだけで、まるでそのスマホが維澄さんであるかのように愛おしく思えてくるから不思議だ。


 しかし……


 悲しすぎるのだが、そんな期待も報われることは全くなかった。毎日、着信はおろか通知音すらないのだから。


 結局、いつも私がどうしても我慢できなくなって、どうでもいい話をLineで送ってしまう。


 これですぐにでもレスが来ればまだいいのだが、残念ながら数時間の”未読スルー”の後、もうとっくに維澄さんからのレスを諦めたころに”そっけない返事”が返ってくる。


 ただそんなそっけない返事だけでも、少し幸せな気分になってしまう自分が悔しい。



 そんな毎日を過ごしていた時に、事件は起こった。




 今日に限って、なんといきなり維澄さんから着信があったのだ。



 着信があった時は、悲しいかな維澄さんからだという想像すらできず〝誰だ?〝と訝しんでしまった。


 だから、スマホの画面には”維澄さん”と表示されているのを見た時は、驚きのあまり大声を上げてしまった。


 私はあわてながら通話ボタンを押した。


「檸檬です……い、維澄さんですか?」


 私は興奮気味に尋ねると……


「ご、ごめんなさい急に……」


 そう話す維澄さんの声が聞こえたが、私はその声を聞いた途端、一気に緊張した。


 維澄さんは声のトーンを落とし聞き取れないほどに小さな声を出したのだ。


 しかも明らかに声が上ずっている。


「ど、どうしたんですか?」


「なんか……つけれてるみたいで」


 それを聞いた私はあまりの緊張に内臓がぐるりと鈍く動かされたような不快感を感じた。


 つけられてる?


 ま、まさかストーカー?


 とっさに前に絡んできた男性の顔が思い出された。いや別の男の可能性だってある。


 だってあの維澄さんだ。


 私ですらストーキングされた経験があるのだから……


「い、いま……ど、どこですか?」


 動揺しすぎて声が上ずってしまった。


「まだ自宅から結構距離あるんだけど、動けなくて……」


「自宅にはいかないで!自宅突き止められたらやっかいだら、すぐに人通りの多いところ!!」


 私は思ったことを早口に言った。


「目印ありますか?」


「稲橋公園の裏あたりなんだけど」


 く、暗いじゃないか?なんだってあんな場所に!!


 私はいてもたってもいられず、部屋を飛びした。


「翔!!」


 女子高生の私一人ではどうにも不安だ。その点、空手有段者の翔がいれば安心だ。


「なに?そんな慌てて」


 翔も私の動揺ぶりを目聡く察知して、眼に緊張感が宿った。


「ちょっと付き合って。維澄さんが、男につけられてるっぽい」


「え?マジで?警察呼んだの?」


「まだだけど、そんな暇なさそう。直ぐ自転車で駆け付けたい」


「分かった。二人乗りじゃあスピード出ないから……別々に行こう!」


 そういって二人で稲橋公園を目指した。


 その後……維澄さんに何度連絡しても通話に出なくなってしまった。


 いやな想像ばかりが後から後から湧きあがってくる。


 私は不安で押しつぶされそうになった。


 私の家から稲橋公園までは自転車で飛ばしても15分程度はかかる。


 盛岡の中心部に向かう大通りを、もう足がちぎれるくらいに全力でペダル漕いで飛ばした。


 大通りとは言え、まだ開通してそれほど年数の経っていないこの道路沿いは、無駄に広がった空き地しかない。


 維澄さんから連絡があったのは、その大通りから一本路地を曲がったところにある公園。


 人通りは少なくこの時間に女性一人で歩くなんてとんでもない。


 私と翔は、公園の周りを一周したがついに維澄さんの姿は見当たらなかった。私は激しい焦燥感で吐き気が催してくるのをなんとか耐えた。


 歩きならそんなに遠くには行けないはずだ。でも、考えたくないが車で拉致されるような事があれば、もうどうにもならない。


 私は、電話で咄嗟に〝ひとけ〝のある方に行くことを指示したので、今いる公園から人通りのある通りまで自転車を飛ばした。


 すると大通りに出る手前に一軒だけコンビニがあるのが目に付いた。


 もしや?と思い、私はコンビニの駐車場に自転車を乗り入れて、慌てて店内をのぞきこんだ。


 すると……




 い、……いた。




 私はホッとして崩れ落ちそうになった。


「いたのか?」


 私の後をピッタリ付いて来た翔は、私の安堵の表情を読んでそう心配そうに尋ねた。


「ええ、あそこ……」


 私は休憩スペースに座っている維澄さんを指差した。


 維澄さんは後ろを向いているので表情は読めない。


 私は店内に駈けこんだ。


「維澄さん!!」


 私は人目もはばからず大声で呼んだ。


 維澄さんは直ぐに”くるり”とこちらを向いた。


 驚いた表情の後、ホッとしたように息を大きくはいた。


 そして私と一緒にいた翔にもチラと視線を送った。


「れ、檸檬……」


「だ、大丈夫なんですか?」


 私も興奮おさまらず、つい詰め寄ってしまった。


「走ってこのコンビニに逃げ込んだんだけど」


「追って来たのは誰なんですか?」


「分らないわ」


 すると、また維澄さんは隣にいる翔に視線を移した。


「あ、彼は弟の翔です」


「神沼翔です。いつも姉がお世話になっています……」


 翔はこういう時、武道家らしく、ことさら礼儀正しい。


「あ、弟さんなんだ」


 維澄さんは、安心したように頬を緩めた。ただ維澄さんの顔色は真っ青だ。手も少し震えていた。


 それはそうだろう。あの暗い道で男につけられたら、さぞ恐ろしかったに違いない。


 維澄さんの前にホットコーヒーが置かれていたが、まったく口を付けた痕跡はなかった。


 私は翔に頼んで3つホットコーヒーを注文してもってきてもらった。


 維澄さんは律儀にお金を出そうとしたが、面倒なので”いいから!”と強くいいつけてひっこめさせた。


 今はそんな問答をしている場合ではない。


「なんであんな暗いところに一人でいたんですか?」


「いや、それはその……」


 まただ、また何か隠している。


 でも今はその詮索は後だ。


「まだ、どこかで見てるかも」


 翔がそう言いうと、維澄さんはまた恐怖に顔色を変えてしまった。でも、事実安心していられる状況ではない。


 恐怖で震える維澄さんは、どうしていいのか分からずに困惑するばかりであったので、取り敢えず私が警察に連絡を入れた。


 私は興奮していたこともあり、説明も少々オーバーなものとなり結局、近くの交番から警察官が迎えに来てくれることになった。


 私はテーブルにおかれた維澄さんの両手がなんとも心もとない少女のもののように見えた。


 その両手は小刻みに震えている。


 私は維澄さんの隣に座りその両手を手に取った。


 維澄さんの手は、おそらく緊張しているからなのだろう、驚くほど冷たかった。


 私は自転車を随分長時間飛ばして来たので汗がまだ引いておらず身体もほてっていた。


 だから私の手は維澄さんの冷え切った手とは対照的に燃えるように熱を放っていた。


 私にしては随分と大胆な行動だが、そんな下心なんて今はどうでもいい。維澄さんが少しでも安心してくれれば。


 その一心だった。


 維澄さんは少し驚いたようだったが、私の顔を見て、私と視線が合うとホッとしたように表情を緩めた。


「ごめんね。檸檬」


「なにいってんですか!維澄さんを守るのは私の役目ですから!」


 私はちょっとおどけた調子でそう言った。


「檸檬はカッコイイね」


 維澄さんは少し微笑んで、そしてなぜか直ぐに少しだけ不安な表情で続けた。


「ははは、そんなことされると私……」


 されると?……されるとどうなの?


 私はその後のセリフを待っていたが……結局、維澄さんはそれきり口をつぐんでしまった……。




 しばらくしてパトカーがやってきた。


「詳しいことは交番で」


 無愛想な警官の指示で、維澄さんはパトカーで、私と翔は自転車で交番に向かうことになった。


 ああ、今日は、長い夜になりそうだ……

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