第7話 紙一重

「私のこと、知ってるんでしょ?」


 維澄さんが、いきなりここまで切りこんでくるなんて全くの想定外だった。


 ”『人違い』を主張する″、”白を切り続ける”


  私はきっとそんな反応をされるのだろうと思っていた。最初に見せた維澄さんの私を遠ざける態度からは自分の素性は決して悟られたくないという強い意志を感じた。


 それなのに維澄さんは、いきなり核心に迫る問いを発してきた。これはまるで自分から〝有名人〝である事をカミングアウトしてきたようなものだ。


 さっきの気持ちの入らない店内説明で私はすっかり油断してしまっていた。突然の”ファイナルアンサー”を突き付けられて私は何を答えればいいかなんて咄嗟に思い浮かぶはずもない。


 それでも私は、返答するまでのほんの僅かな時間、頭をフル回転してあらゆる”想定”をしはじき出した。


 だって、この返答は”絶対に”間違ってはいけないからだ。


 まずはネガティブな過去があったなんて私の勝手な妄想という可能性を考えた。


 もしかして”昔の私を知っててくれてありがとう!”なんて思っている可能性だってあるかもしれない?


 いや、それはない。私に見せた表情のことごとくが”不快なもの”だったではないか。あれは間違いなく”知られてほしくなかった”というゆるぎない証拠だ。


 では、あの不快な表情は、芸能人にありがちな「ファン対応するのがめんどくさい」というだけの意味で深い理由なんてないのではないか?


 もしそうだとしたら、あの化粧品コーナーを通った時に維澄さんは「暗い顔」なんなのか?


 ”元モデル”という過去を思い出すことで、あそこまで不快な表情をしてしまうのだからそんな安易な理由にしがみ付いてはいけないと思った。


 しかし、どんな想像をしたってそれらが正解である保証はどこにもない。でも今自分にできる最善の選択をしなければならない。


 ならば……


 そうだ、最悪のケースを回避することに集中しよう。


 最悪のケースってなに?


 それなら分る。


 維澄さんとの関係が一瞬で壊れてしまうということだ。


 つまり徹底的な拒絶。十分可能性はある。いやむしろ維澄さんが見せた一連の不快な表情、所作を思い出せば、全てがその結論に辿りついてしまう。


 そうならないためには?


 私は最初に感じた違和感をもう一度思い出してみた。


 ”美しすぎる元モデル”が東北の田舎の小さな、小さなドラッグストアーに勤務しているというあのありえない”非日常”の風景。


 元有名人がなぜこんなことまでしなければならないのか?


 その理由は分からない。でも少なくとも彼女は、こんな目立たないドラッグストアーにいるということは″身を隠したい″というとこだ。であるなら彼女が私を警戒する理由は?


 きっと昔のことを詮索されることと、維澄さんの存在を周りに人に言いふらすこと。


 おそらくそういうことしかないのだろう。


 それが最も腑に落ちる推測だ。


 だから、私の返答次第でもしかすると彼女は、私を拒絶して最悪、この店を去ってしまうかもしれない。


 せっかく憧れの″IZUMI″に出会えたのに、それはなんとしても避けたい。


 私は不安を抱きつつ、彼女の顔を改めて見ると確かに彼女の表情からそんな決意を思わせる”気配”がする。


 ここはヘタに誤魔化せば、きっと失敗する。そんな気がした。ここは正直に話して、私がそんなことをするつもりがないことを全力で分かってもらうしかない。


 私は彼女を困らすことなんて絶対しない。それを全力で伝えよう。


 一瞬で色々な想像が頭を駆け巡ったが……


「し、知っています」


 私は全神経を彼女の表情に集中して、今、"逡巡”で導きだした「回答」を、まず慎重に『それだけ』を言った。


 しかし、まるで私の必死の考察をあざ笑うかのように自体は最悪の方向へ向かってしまった。



 私がそう応えた瞬間、維澄さんの表情がみるみる消えてしまった。視線は下を向き目は細く半分だけ閉じられた。その目が生気をうしなっていくのが分かった。そして激しい喪失感が全身からにじみ出ていた。薄眼からかろうじて見える瞳はあきらめの表情で、それはまるで作り物。


 私は、あまりの焦燥感で、もやはパニックを起こしてしまった。たったいま、ありとあらゆるシュミレーションしていたはずなのに……


 そこからは、ただただその場を取り繕う、その場しのぎの言葉が、後から、後から口をついてしまった。


「一枚の写真があったんです!その写真が好きだっただけで、他は何も知りません!探るつもりもありません。だから維澄さんがここにいることだって誰にもいいませんし……」


 私はそこまでなんとか捲し立ててが、これ以上話すことをついにあきらめた。私がパニクッて話す間、維澄さんの表情は一切動くことはなかった。


 きっともう私の声なんて届いていない。最後にはダメ押しに維澄さんは私の話す声が煩いかのように、ついに、私から体を背けてしまった。


 ああ、完全に拒絶されてしまった。……もう駄目だ。嫌われてしまった。


 ”嫌われた”


 そう心で反芻すると、悲しみが後から後から胸の奥から湧き上がってきた。あんなに好きだったのに……嫌われてしまった。ずっと憧れてたのに。


 ”嫌われた”


 今度は、私はうなだれて、黙ってしまった。


 重苦しい沈黙がどれだけ続いたのだろう。



 やめよう。アルバイトもしない。私だけが一人舞いあがって、自分の我欲だけを押し通して、人に不快な思いをさせるなんてできない。


 ましてや私が最も大切に思っていた人なんだ。


「あ、碧原さん。私、アルバイトしませんから安心してください。もう二度とここにもきません。あなたに会ったことも誰にもいいません。あなたのことも……忘れ……」


 忘れます。


 私はそういうつもりだった。


 でもそう言いかけてその言葉があまりに悲しすぎて、言い終わる前に言葉を詰まらせてしまった。


 私の両目からボロボロと涙があふれる……


 それを止める気力も起きない……


 ああ、なんて情緒不安定で気味の悪い女なんだ。


「あなたがアルバイトを辞める必要なんてないわ」


 彼女はおもむろに一言、私に告げた。


 彼女は少しだけ辛い顔をしているようにも見えた。でもその後に続く言葉を私ははっきりと予想できてしまった。


 だからその言葉は私が止めた……


「碧原さんが仕事を辞めることないです」


 そう言うと、維澄さんの顔は少し驚きの表情に変わった。


「写真……」


 私は、そんな維澄さん顔を見ながら独り言を言うように話を始めた。


 維澄さんは、私の"言葉”に一瞬キョトンとした表情をした。


「その写真……私の宝物だったんです」


 維澄さんは少し真剣なまなざしを向けだまっていた。


 最後の私の独白くらいは聞いてくれるということか……


「机の上に飾ってたので、毎日見てたんですよ……いろいろ想像してた」


 維澄さんは、私に顔を向け言葉を待ってくれた。


「毎日その写真を見るのが楽しみだった……でも本人あえちゃうなんて……運が良かったな」


 私の作り笑いは気持ち悪く歪んでいて、ただ止めなく涙だけが流れ落ちていた。





「そ、そんなこと言うの……卑怯じゃない」


「え?」


 私は維澄さんが反応してくれたことに驚いた。


  そして私はもう彼女の顔を見つめてた。


 すると維澄さんは明らかに先ほど見せた身の凍るような能面のような表情を崩していた。あきらかに困惑の色が見て取れた。


「やあ、神沼さんどうだった?」


 維澄さんとのそんな微息が詰まるやり取りをしていたまさにそのタイミングで渡辺店長が戻って来た。


 私達の苦悩なんて知る由もなく店長は上機嫌だ。。きっともう私がアルバイトすると思ったのだろう。


 でも店長にもは申し訳ないが、私の答えはもう出ている。


「お手間採らせてしまったもうしわけございませんでしたが今回は……」


「神沼さん!」


 そう言いかけた時、維澄さんが大声で私を呼んで私の言を止めてしまった。


 私もあまりのことに両肩がビックと上がるくらいに驚いてしまった。


「は、はい……、な、なんでしょうか?」


 私は上ずった声で彼女の顔を見た。


 しばらく重たい沈黙が続いた後に、維澄さんは続けた。


「私は夕方のレジが混む時間だけでもサポートしてもらえると……た、助かるけど」


 最後は消え入るような小声だったが、はっきりそう言った。


「え?え?」


 あまりのことに、自分の思考がついて行かなかった。


「そう、なんなら1時間でもいいから、どう?」


 今度は、渡辺店長が維澄さんの言を引き継いで前のめりに説得に来た。私の先ほどの返しから、私が断ろうとしていることに気付いたはずだ。こんな落ち込んだ状況で、自分で言うのもなんだけど、見栄えのいい女子高生をアルバイトで雇うのは店側からすればプラスなはずだ。


 私は維澄さんの本心を探るべく彼女の顔をもう一度見た。少し困ったような顔をしているものの、さっきの拒絶の表情とは明らかに違っていた。


 なんでこんなにも急に態度が軟化してしまったんだ?


 今の彼女はそれ程には私を拒絶していはいないように見えた。


 私は維澄さんの突然の変わりように一瞬混乱したが、この機会を逃すわけにはいかなかった。


「分かりました。夕方だけ入らせたいただきます」


 私は視線を維澄さんから動かさずに、意を決してそう答えた。



 すると彼女は、諦めたように、そして少しホッとしたようにもとれる微妙な表情をした。


「おお、それは助かる。じゃあ早速次、履歴書持ってきて。で、いつから働く?いつでもいいよ?何なら今日からでも」


 今日からって、履歴書も提出していないのに随分といい加減な店長だ。


 でも、よかった。まだ全然安心はできないけど。どうやら首の皮一枚つながったのかもしれない。



 や、やった。これから維澄さんと同じ職場で働ける。もう明日から働かせてもらおう。



 帰り道……どっと疲れたが……私は足取りは軽かった。

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