第2話
「まずは情報を集めないとな…でも誰に訊けば…?」
現代へ渡り、ユニガンに到着したアルドは、すれ違う人々を眺めながら腕を組んで考える。
「あ!この時代のマクミナルさんは行商人だ…。何か知ってるかもしれない!」
アルドは足早に露天商が立ち並ぶエリアへと向かった。
◇
活気に溢れ、賑わう城下町の通り。色とりどりの露天商が所狭しと並ぶ中、一際小さくみすぼらしいテントの前でアルドは足を止める。
「こんにちは」
「おや、きみか!今日はどうしたんだね?」
アルドに気付いたマクミナルは、以前と変わらぬ様子で出迎えてくれた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「ああ、私でわかることであれば」
「助かるよ。…あのさ、この辺で風景画を専門に描いてる画家を知らないかな?ユニガンにいるって聞いたんだけど…」
「画家…?」
マクミナルは暫しの間思案した後、少し歯切れの悪い様子で答えた。
「…画家…と呼んでいいかはなんとも言えないが…風景画ばかり描いている男であれば知っているよ。最近はセレナ海岸で何か描いてるところをよく見るね」
「セレナ海岸…!どうもありがとうマクミナルさん!」
「あっ、待ちなさい!…もしかして…彼に会いにいくつもりかね…?」
「うん?そうだけど?」
「あー、そうか…いや、…まあきみなら大丈夫かもしれない…が…でも、その…」
「…何かあるのか?」
言い淀むマクミナルの様子に、アルドも思わず眉を顰める。
「…いやぁ…彼は、その…決して悪い人ではないし、絵の腕も確かだとは思うのだがね…ただ、その…もし彼に何か訊きたいことがあるのであれば…風景画以外の絵の話はしないほうがいい」
「えっ?!なんで?っていうか、オレ、その人に人物画を描いたことがないか聞きたくてここまで来たんだけど…」
「なんだって?!…アルドくん、その質問には私から答えよう。彼は人の絵など描いたことはないよ。仮に今から彼に会いに行くにしても…悪いことは言わん。その話だけは絶対にやめておきなさい」
「えぇっ?!そんなはずは無いと思うんだけど…。…でも、マクミナルさんがそこまで言うってことは、よっぽど何かあるのか?」
「う、うーん…まあ…彼はちょっとこだわりが強いというか…。以前、一度だけ商談を持ちかけたことがあるんだ。なかなか良い絵を描く人だと思ってね…。ただ、私が良かれと思って言った言葉で…なんというか、彼がヘソを曲げてしまってね…」
「ははっ、なーんだそんなことか。大丈夫だよ、こだわりとか癖が強い人ならオレの周りにももう沢山いるし」
「ま、まあ、そうかもしれないが…」
「教えてくれてありがとう。せっかくこの時代まで来たことだし、一度訪ねてみるよ」
口籠るマクミナルに気にも留めず、アルドは街道をセレナ海岸方面へ向かって歩き始めた。
雑踏に紛れて遠ざかるアルドの背に向かい、残されたマクミナルは独りごちる。
「腕は確かだと…思うんだがなあ…」
◇
ユニガンを後にしたアルドは、早速セレナ海岸で捜索を始めた。セレナ海岸の最北へと差し掛かったとき、アルドはようやくそれらしき人物を見つける。
「あの人かな…?」
こちらに背を向けているため表情はわからないが、イーゼルに掛けられたキャンバスに向かって筆を動かしている男性がいた。
「おーい、ちょっと訊きたいことがあるんだけど…」
男性はアルドを振り返ると、絵の具で汚れた手を拭きながらアルドに近寄った。
「なんだね?」
「あの、おじさんは風景の絵しか描かないと聞いたんだけど…」
「ああ、私のことかい?
そうだね、私は昔から風景…というより正確には自然が好きでね。光の温かさ、水の冷たさ、土の匂い、風の爽やかさ…それらに触れたときの気持ちの動きを描き留めておきたくて絵を始めたんだ。だから、それ以外のものは全くと言って良いほど描く気が起きなくてね…」
「そうだったのか…」
エルジオンにいる考古学マニアのマクミナルに絵の解説をして貰った際、そのような情報は得られなかった。おそらく長い時の流れの中でそこまでの詳細な文献は消失してしまったのだろう。
「そんなもんだからまあ絵の売れ行きはお察しの通りさ。まだまだ画家として食っていくには程遠いなあ」
からからと笑う男性の人当たりの良さに、アルドは密かに胸を撫で下ろす。
「(なんだ、思ったより普通の人じゃないか)」
マクミナルには大丈夫だと言ったものの、あのような忠告を受けてしまうと、やはり多少は身構えてしまう。
緊張が少し解けたアルドは、思い切って本題の質問を投げかけることにした。
「なあ、それじゃあおじさんは、これまでに人物画を描いたことは…」
「………は?」
アルドの言葉に、男性の動きが止まった。
「……今、何と言った」
「え、だから人ぶ…」
「じ・ん・ぶ・つ・がぁ〜〜〜?!?!!」
瞬時に、男性の形相が恐ろしいものへと変わる。
「そんっっなもの!サファギンの包丁の刃こぼれほども興味はない!!」
あまりの気迫に慄いて後退るアルドを、追いかけるようにして男性は距離を縮めてくる。
「私の魂を揺さ振るのは自然の崇高美のみ!無慈悲且つ峻烈に生命を突き放す冷酷さを抱きながら圧倒的なエネルギーをもって全てを包み込む超常的存在!プリズマのような燦爛とした存在ではなくとも自然とはただそこにあるだけで生命力を感じさせる強く美しいものなのだ!!」
「お、おじさん落ち着いて…」
「言わば絵は私の畏敬の念と信仰心の具現!それなのに何故!人々は何故私に違う類いの絵を描けと勧めるのか!!どうして私がギトついた金持ち共の小汚い顔など描かねばならん!私は絵が描きたいんじゃない、この燃えたぎり噴出し溢れて溺れそうになる魂の叫喚を発露させる手段が欲しいだけなんだぁあああ!!うわああああ!!」
「…なんか…余計なこと言っちゃったな…」
「ぐすん…あの行商人もそうだ…風景画だけじゃ思うように売れないから違うのも描けって…やだもん…描きたくないもん…ぐすんぐすん……だったら、それだったら、もう、売れなくていいもん…」
「(マクミナルさんが言ってたのはこういうことか…)」
アルドは忠告を聞かなかったことを少しだけ悔やんだが、今さらそんなことを考えても仕方がない。
泣き始めてしまった男性の背中をぽんぽんと叩いて慰める。
「ご、ごめんねおじさん…もう泣かないで…。余計なことを訊いて悪かったよ…。…あー、まいったな……。…ん?」
視界の端に、イーゼルに立て掛けられたキャンバスが映った。アルドがここを訪れるまで男性が描いていたものだ。
海を望む断崖。乱立した巨大な岩石。
角度や眺望から言ってもこの絵が『セレナの風』で間違いないだろう。
……ただひとつ、決定的に違う点を除けば。
「…これは…。一度描いたものを描き変えてる…のか?」
ほぼ完成済みであろうキャンバスの中央部分が大きく塗りつぶされている。繊細に、彩り豊かに描かれた風景画の上から、のっぺりと絵の具が載せられている様は、なんだかとても勿体ないとさえ感じてしまう。
まだ細部の描き込みこそされていないが、恐らくあの女性を描いている最中なのではないだろうか。
「なっ、なあ!その絵って元々はここから見た風景を描いてたんだろ?おじさん、人の絵なんて描きたくないって言ってるのに、一度描いたものを潰してまで描き変えてるのはどうして?」
男性は潤んだ目で、アルドの指差すキャンバスを見上げる。
「…その絵…その人だけは特別だ。…恐らく、私の人生で彼女のような人に出会うことは二度とないだろう」
「泣きたくなるほど嫌なはずなのに?それが描いてみようと思った理由?」
男性はスッと表情を変えると、立ち上がってキャンバスの前に歩み寄る。
「第六感…というのだろうか。私は常人の目には映らない何かを感じとることが度々あってね。時にそれは色だったり触覚だったり…様々なんだが、私はそういった絵に関する自分の勘や直感、フィーリングを大切にしているんだ。そういうときは自分でも驚くほど良いものが描けることがあるからね。…彼女からは、これまで私が一度も感じたことのない衝撃を感じた…こんなことはもう二度と起こらないだろうと、思わず筆を取ったんだ」
アルドには、伏し目がちにキャンバスの縁を撫でる男性の目に、まるでこの絵は映っていないように見えた。彼はこの絵の奥に、一体どんな光景を見ているのだろう。
「…芸術家の直感、ってやつなのかな…。この女性は一体、何が普通の人と違ったんだ?」
「ビリビリした。」
「ビリビリ?!」
「ピリピリ?ぞわぞわ?…なんというか、近くにいるだけで体の毛が逆立つような痺れるような…?これまで感じたことのない感覚で…突然雷にでも撃たれたのかと思ったんだ」
「(なるほど…。『迅雷』の由来はこれか…)…ところで、この人は今どこに?」
男性は静かに首を横に振る。
「わからない。現れたのも突然だったのだが、いなくなるのも突然で…。」
「…おじさん、当時の状況を、詳しく教えて貰ってもいいかな?」
アルドの問いに、男性はこくりと頷いた。
「私がここで絵を描き始めたとき、周囲には確かに誰もいなかった。夢中で筆を動かしていて、ふと人の気配を感じて振り返ると、あの女性が立っていたんだ。……当初、彼女は私の描きかけのキャンバスを黙って見つめていたんだが、おもむろに絵に手を伸ばして来て…慌てて止めようと腕を掴もうとしたんだ。まだ絵の具が乾いてないキャンバスに触られると困るからね…でも…」
「でも?」
「その腕に触れる直前に、感じたんだ…」
そっと眼を伏せ、俯いた彼は握った拳を戦慄かせながら呟く。
「…何を?」
「ビリビリ!!!」
「さっき言ってたアレ?!」
「そう、あんな感覚は画家人生…いや、生まれて初めてだった。何か運命のようなものさえ感じた…。だから思わず、彼女に絵のモデルになってくれと頼んだんだ」
「なるほど…。それで『迅雷』… ね」
この謎の答えを知った未来の学者やミステリーハンターたちの顔を想像して、アルドは居た堪れない気持ちになった。
正直に教えてあげるべきか、謎のままにしておくべきか…。少し考えて、アルドは「何も聞かなかったことにしよう」と、内心深く頷いた。
「ねえおじさん。この女性、突然いなくなったって言ってたけど、それはどういう状況?」
「それが…私にもよくわからないのだよ」
男性は小首を傾げる。
「モデルになって貰ってる間、彼女は道のここに立っていたんだが…」
そう言って道の行き止まりを指差した。
「私はこの一本道の行く手を塞ぐように立っていた。見ての通り、他に通れるような抜け道などはない。一度、足元の手提げから画材を取り出そうと彼女から目を離して背を向けたんだが…振り返ると彼女は忽然と消えてしまっていた…」
「消えた…」
アルドは男性が指し示す道をまじまじと観察する。行き止まりの奥はいくつもの巨石が乱立し、足元も悪い。とても人が容易に歩ける道とは思えなかった。確かに彼の言う通り、男性が立っていたという歩道以外、他に通れる道はなさそうだ。
「ほかに何か手掛かりになりそうなことは知らないか?何か他に話たこととか…」
男性は頷き、力強く答えた。
「覚えていない!」
「覚えてない?!」
「描くことに夢中になり過ぎてね…何か話した気はするんだが、内容までは覚えてないなあ。強いて言えば、何かに悩んでる様子だったような気がしなくもないかもしれないような…?」
「…この女性、この時代では見かけない服装だけど、これはあんたが用意したものなのか?」
「いや、彼女が元々着ていた服だよ。彼女にはただ立っていてくれればいいとお願いしただけで、他には何の指示もしていない。…言われてみれば確かに独創的な服だな!ワッハッハ!」
笑い声を聞きながら、アルドは俯き加減にぼそりと呟いた。
「あんた…薄々気付いてはいたけど、変わった人だなあ…」
「ありがとう!よく言われるよ!」
「…別に褒めてはいないけど」
「あ、少しだけ思い出したぞ」
はぁ…と思わずため息を吐いたアルドを尻目に、男性はポンと手を叩く。
顎に手を当て、何かを思い出そうとしている様子だ。
「彼女にどこから来たのかと聞いた時、ここに来る前は水がたくさんあってとても綺麗な町にいた、と言っていたな」
「それ、本当か?!」
「あとは…うーん、これはよくわからなかったのだが…青い光の穴を通ってきた…とか」
「なんだって!」
「…それぐらいだなあ、思い出せるのは。
「いや、十分だよ!どうもありがとう」
男性の言葉に、アルドは少しだけ道先に光が差したような気がした。
◇
アルドは男性から聞き得た情報を整理しながら、セレナ海岸を西に進んで行く。
「女性に関する直接的な手掛かりは無かったけど……。恐らく、時空の穴を通って別の時代からやって来たってことだよな…。…水が綺麗な町…か…」
一番近場の光の柱を目指して、アルドはセレナ海岸を走り抜ける。
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