第116話 大和ショウタロウという男
城下町を抜けると、大きな湖があった。
湖の中心にエウロペの城はあった。
ショウゴは「1周目」では、その湖を見ていなかった。
日が暮れ始めた湖には、蛍のような光が無数に浮かんでいた。
小さいが優しく暖かな翡翠色の光だった。
「うちの親父は、リバーステラにずっといる。俺が物心ついた頃から、今もな。
一人目の来訪者は富嶽サトシのはずだ。
苗字は違うがこいつの父親のはずだ」
ショウゴはその美しいが不気味な風景を眺めながら言った。
その色は、結晶化したエーテルで作られたショウゴやレンジの魔装具と同じ色でもあったが、彼らが知らない歴史をたどってきたエウロペ城と同じ色だったからだ。
一人目の転移者がレンジの父・富嶽サトシではない。
それすらも変わっていたら、もはや自分たちにこの世界でできることは何もないようにさえ思えた。
ステラもピノアもいないのだ。アンフィスが来るかどうかもわからないのだ。
何かの間違いだと信じたかった。
だが、1周目の世界には確かにあったゲートの前のATMや異世界転移アプリは、富嶽サトシがレンジのために用意したものだった。
2周目のこの世界にはそれがない。
この世界には富嶽サトシは来ていない。
ATMや異世界転移アプリが存在しないことこそがその証拠のように思えた。
ショウゴの父は、彼から見てレンジの父のような立派な父親ではなかった。
自分に学歴がないことを家庭の貧しさのせいにし、自分の遺伝子の優秀さを子どもを使って証明しようとしていた。
母はそんな父の言いなりだった。
くそったれだと思っていた。
学歴がないだけじゃない。学もなかった。
毎朝、新聞を読むふりをしてはいるが、何にも理解しているようにはみえなかった。
通学途中にスマホでネットニュースを読んでいるだけの彼の方が時事問題に詳しかった。
自分と妹は、父親にとって社会に報復するための道具でしかなかった。
父親は、ふたりの学費のために借金で首が回らなくなっていた。
それをどうにかするために、さらに借金をして、多額の生命保険を母とショウゴにかけていた。
妹はそれを知らない。だがショウゴは知っていた。
父は、近いうちに借金を返済するため、事故か何かを偽装して母と自分を殺すつもりだろうということはすぐにわかった。
妹はおそらく大丈夫だ。父にとって彼は失敗作だったが、妹は父の遺伝子の優秀さを証明する唯一の存在だったからだ。
生命保険がかけられていないことがその証拠だった。
だが、父はすでに気が触れていた。
最悪の場合、一家心中事件を起こし、自分だけが運良く助かった、なんていうありがちな保険金殺人を起こしかねなかった。
無論父に完全犯罪など不可能だ。
しかし父は自分を「本当はできる人間」だと勘違いし続けている。
だから、ショウゴは妹のそばに居続けた。興味のないアニメを一緒に観たり、BL同人誌を一緒に読んだ。
いざというときに父から妹を守れるように、かたときも離れたくはなかったからだった。
「富嶽サトシっていう来訪者のことは聞いたことがないぞ」
「100年も前の話だ。同じ名前なだけで、お前の親父じゃないんじゃないのか?」
だといいがな、とショウゴは思った。
100年に作られたゲートが不安定でなく、ショウゴが転移したあとに父が転移してきたのでなければ、と。
これ以上のストレスは、今度は自分がまた目の前の兄弟に対して過ちを犯しそうだった。
だから自分に、そして妹に都合のいいように考えることにした。思い込むことにした。
逆に考えれば、一人目の転移者が本当に自分の父であり、自分が転移してきた後でこの世界に転移してきているのなら、リバーステラにいる妹の心配はもういらないということだったからだ。
「お前らが何と言おうが、リバーステラと、この世界テラは、元々はひとつだったと考えられている」
「リバーステラは科学文明が発達した世界で、テラは魔法文明が発達した世界だとな」
「リバーステラにも、古代には手をかざすだけで難病を治したり、杖で海を割ったりする人がいたって話が今でも残ってるんだろ?」
イエス・キリストやモーゼのことだろう。
「お前の頭に今、最初に思いついたのが、テラではアンフィス・バエナ・イポトリルって奴だ」
「アンフィスとは顔見知りだよ。お前らもアンフィスも俺たちの仲間だった。
今日から二日後に、この城下町には四体のヒト型のカオスと100体ほどのカオスが放たれる。
ブライ・アジ・ダハーカには9999人コピーがいる。この国の大賢者だったブライが死んでいても……」
「ブライが死んでる? どういうことだ?」
ショウゴの背中でレンジが目を覚ました。
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