第44話 この先にいるのは
レンジは戦争を知らない。
レンジが生まれ育った日本は、リバーステラで唯一の核兵器の被爆国であり、沖縄で本土決戦が行われたことは知っていた。
特攻隊なんていう人の命を無駄に散らすだけの馬鹿げた作戦が実行され、細菌兵器や核兵器の研究が進められていたことも。
しかし、それは75年も前の話だった。
レンジの祖父母ですらまだ生まれていない時代の話だった。
だが、敗戦国である日本は、戦後75年が経っても、近隣諸国から戦時中に行ったことをいまだに責め続けられていた。そして、自国の民ですらそれらが本当にあったのか、それともなかったのかを知らされてはおらず、国自体がひた隠しにしていた。
昭和や平成という時代が終わり、令和という新しい時代を迎えても、まだ戦後という時代は終わらず、きっと日本はこれからも戦後であり続けていくのだと思う。
レンジが生まれてから起きた戦争は、彼が知る限りはイラク戦争くらいだった。
その戦争は、彼が生まれる数ヶ月前の2003年3月20日に始まり、8年間も続いた。
2011年12月15日にようやく終わっていた。
イラクが大量破壊兵器を保持しているというのが、アメリカがイラクに対しその戦争を起こした理由だったという。
その理由は、アメリカのどこかの大学生が書いた何の根拠もない論文か何かを元にしており、無論そんな事実はないことをアメリカは知っていたという。
アメリカの目的は石油の利権を手に入れるためであり、大量破壊兵器など存在しないと知りながら、戦争をしかける理由をでっちあげたのだと聞いていた。
石油をエーテルに置き換えたのが、この世界で百数十年前に起きた、エウロペがランスと共に引き起こした戦争だった。
違うのは日本とランスの立ち位置くらいだろうか。
日本の自衛隊もランスの竜騎士団も、そんな戦争に荷担した。荷担せざるを得なかったという。
日本は、荷担しなければ石油が満足に手に入らなくなり、国民は戦後直後のような貧しい暮らしに戻らなければならない可能性があったからだった。
しかし、ランスは元々エーテルを必要としてはいなかった。
魔法文明の急激な発展によってエーテルの枯渇を招いたことは、エウロペの自業自得であり、ランスには関係ないことだった。
だが、エウロペとランスの間には「エウロペに危機あればランスが駆けつけ、ランスに危機あればエウロペが助ける」という1000年以上に渡る同盟関係がり、エーテルの枯渇はエウロペにとっての危機であり、ランスは加担せざるを得なかった。
違うのはただそれだけだった。
イラク戦争の数年前には、9.11と呼ばれているイスラム過激派がアメリカに対して起こした同時多発テロ事件があり、本来ならテロ事件が起きれば警察が動くところを、アメリカは軍を動かした。
テロの報復としてアフガニスタンに戦争をしかけたらしい。
同じ神を信じる者たちが、その教えの違いから、その戦争を「神の名のもと」に行う「聖戦」だと互いに主張していたらしかった。
くだらないと思ってしまうのは、レンジが神話には興味があっても、その教えには一切興味がない無神教者だったからだろうか。
リバーステラにとって、神の存在はもはや戦争の理由でしかなく、仮に神が存在したとしても、とうに見限られているだろう。
だから、カーズウィルスが生まれたのではないだろうか。
カーズによるパンデミックは、人類をすべて喰らい尽くすまで終わらないのではないだろうか。
カーズウィルスの最初の感染者は、日本の近隣諸国のひとつの、ウィルス研究所がある土地から出た。
アメリカが戦争を行うのは、テロの報復や石油の利権といった理由以外に、軍が所有するミサイルなどの武器には使用期限が存在するという理由もあるそうだった。
コンビニで買ったプリンは、賞味期限が過ぎたら捨てるしかない。だからそれまでに食べる。食べなければもったいない。
きっと武器の使用期限もそんな感覚なのだろう。
次の使用期限が迫ってくれば、世界規模のパンデミックを引き起こしたとして、また適当な理由をでっち上げて戦争を起こすのだろうか。
延期になってしまったオリンピックが終わった後にでも。
一高校生であるレンジが思いつくレベルのことが現実になるとは思えないし、そこまで人は愚かではないと思うが、本当にくだらないと思った。
自分たちがこれから戦おうとしている相手もだ。くだらない。本当にくだらない。
四人は、エスカレーターで最上階に向かっていた。
すぐそばにあるエレベーターも動いていたが、密室に閉じ込められる形になるため万が一のことを考えてのことだった。
「ダークマターの魔法を使って、わかったことがあるの」
ステラは言った。
ダークマターを触媒として魔法を使用すれば、エーテルに取り憑いたもうひとつの魔素「放射性物質(仮)」だけを消費し、エーテルと切り離すことができることや、その一部は魔法の使用者に取り込まれ、先ほどのステラのように身体が蝕まれ、その身を引きちぎられるような激痛を与えること、そしてそれを繰り返せばレンジの父のように魔王になってしまうということは、レンジですらすでにわかっていることだった。
だから、ステラが「わかったこと」は、それ以外のことだということだった。
「ダークマターを触媒として魔法を使うときも、精霊の力を借りなければいけないの。
でも、精霊には力を貸している自覚はないようだった。自分の力を無断で拝借されていることに気づいてもいないようだった」
それはつまり、時の精霊の魔法でさえ、その力を借りることを一度許された者ならば、ピノアのように精霊の許可をとらずとも、時を操る魔法が使えるということだろうか。
ステラはきっと、大賢者が生きていると確信していた。
レンジもまた、それを聞いて、ようやく確信した。
「父さんなら、ダークマターを触媒とすれば、時の精霊の魔法を精霊に気づかれずに使えるね」
だから、ステラが考えているだろうことをレンジは言葉にした。
「どういうこと?」
ピノアはよく理解できていないようだった。ニーズヘッグもまた同様だった。
「昨晩、ぼくたちは大賢者を倒した。
レオナルド・カタルシスを使って、彼がダークマターの魔法を使えないようにして、自分の体までもアンデッドにしていた彼を細切れにして、その肉片が動かなくなるまで、朝日が昇り始めるまで見つめた」
「けれど、大賢者の動かなくなった肉片は、わたしたちが見つめていたはずなのに、いつの間にか消えてしまっていた。
わたしたちはそれを朝日を浴びて消滅したのだと思った。
けれど、あの瞬間にもし時を止められてしまっていたのだとしたら、大賢者の肉片を回収した者がいたとしたら、それが可能なのはひとりしかいない」
レンジの父が魔王になったというのは、おそらくは大賢者が流したデマなのだろう。
大賢者がそう言えば、きっと誰も疑う者はいなかっただろう。
ダークマターを触媒として魔法を使うことができるのは、リバーステラからの来訪者だけだというデマを、ステラやピノアも信じていたのがその証拠だ。
だが、実際には違っていた。
「大賢者の肉体を回収する理由はひとつしかない。
その者にとって、大賢者はまだ利用価値があり、彼の肉片の時を遡らせることによって、彼を復元するためだ」
最上階に着いた。
謁見の間へと続く、ワープポイントが目の前にあった。
「たぶん、この先にいるのは大賢者とぼくの父さんだよ」
とレンジは言った。
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